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放課後ノート〜翠明高校ライティング部〜  作者: やた
13.リライト・フレンドシップ

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06.三色の灯火

「もういいわ。今日のところはここまでにしましょう」


 これ以上ないほど硬く冷え切った結衣の声が、夕暮れの空き教室に響いた。彼女は広げていたノートをパタンと強い音を立てて閉じ、カバンへと押し込む。その横顔はいつもの論理的な冷静さを保とうとしていたが、微かに震える指先が、彼女の内面の激しい昂ぶりを物語っていた。


「うん。そうだね、これ以上話し合っても並行線だし、お互い時間の無駄だと思う」


 くるみもまた、普段の愛嬌のある笑顔をすっかり消し去り、少し声を尖らせてタブレットをスマートフォンの横に叩きつけるように置いた。


「とりあえず各自で、自分が正しいと思う構成の下書きを書いてくる。それでいいでしょ、湊?」


「えっ、あ、うん……。そうだね、一度持ち帰って頭を冷やすっていうか、整理するのは良いことだと……」


 二人の間に挟まれて完全に小さくなっていた湊は、オドオドしながら必死に言葉を紡いだが、結衣とくるみはすでに互いから完全に視線を逸らしていた。


「じゃあ、失礼するわね」


「うん、バイバイ。佐倉くん、また明日ね」


 事実上の喧嘩別れだった。二人は別々の方向を向いたまま、挨拶もそこそこに空き教室を出ていく。あとに残されたのは、急速に色を失っていく放課後の教室と、自分の不甲斐なさにただ呆然と立ち尽くす湊だけだった。二人のカツカツという足音が廊下の向こうへ消えていくのを、湊はただ胃のあたりがキリキリと痛むのを感じながら見送るしかなかった。


・


 すっかり日が落ちるのが早くなった十月上旬の夕暮れ。渡り廊下のベンチに一人ぽつんと座り、夕闇に沈んでいく中庭を見つめていたくるみの隣に、一人の長身の男子生徒がふらりと近づいてきた。


「よお、名取。ずいぶんと暗い顔をしてベンチと同化してるじゃねえか。生徒会の優秀な一年生が、そんなところで何サボってんだ?」


 声をかけてきたのは、生徒会の先輩である三年の一ノ瀬駿だった。彼はブレザーのポケットに両手を突っ込み、いつもの気さくでフランクな口調でくるみの顔を覗き込む。


「あ……一ノ瀬先輩。サボってなんかいないです。ただ、ちょっと……」


「ライティング部の瀬戸口と一戦交えたか?さっき、ものすごい剣幕で部室棟に歩いていく瀬戸口とすれ違ったぞ」


 駿は楽しげに笑いながら、くるみの隣にドカッと腰を下ろした。くるみはキュッと唇を噛み締め、膝の上で握りしめた拳を見つめる。


「私、間違ったことは言ってないと思うんです。受験生が知りたいのって、学校パンフレットに載ってるような数字や設備じゃないはずです。この学校に入ったらどれだけ楽しい毎日が待っているかっていう、ワクワクするような熱量のはずなんです。それを瀬戸口さんは『ただの日記だ、信頼性がない』って理詰めでバラバラに否定して……。あんな冷たい記事、誰が喜ぶんですか」


 一気につむじ風のように吐き出されたくるみの本音を、駿は「なるほどな」と静かに受け止めた。彼は夕空を見上げながら、どこか含みのある声で語り出す。


「名取、お前の言う『熱量』は確かに正しいし、それはお前にしか出せない最大の武器だ。葛城会長のデータ主義は完璧だけど、それだけじゃ人は動かねえ。でもな、逆もまた然りなんだよ。どんなに綺麗な熱い言葉も、ただの勢いだけじゃ、頭のいい受験生やその親の『本当にこの学校で大丈夫か?』っていう不安の壁を突破できねえんだ」


「不安の壁……」


「そう。お前の強みである『エモさ』を、ライティング部の持つロジックという『骨組み』とどう繋ぐかだ。瀬戸口の理詰めは、お前の熱量を殺すためのものじゃねえ。お前の熱量を、もっと大勢の奴らに誤解なく届けるための『盾』になり得るんだぞ。そこをちょっと考えてみろよ」


 駿はそう言うと、くるみの頭を軽く小突いて「じゃあな、あんまり遅くなる前に帰れよ」と立ち去った。くるみはその背中を見送りながら、自分の胸の中にある刺々しい感情が、少しずつ形を変えていくのを感じていた。


・


 一方、ライティング部の部室に戻り、誰もいない室内で一人パソコンに向かって猛然とキーボードを叩いていた結衣の隣に、音もなく影が落ちた。


「結衣ちゃん、そんなに強い音でキーボードを叩いたら、可愛いパソコンが可哀想ですよ」


 非常に柔らかく、ゆっくりとした丁寧語。振り返ると、長谷川澪が、おっとりとした温かい微笑みを浮かべて佇んでいた。彼女は手にした温かい麦茶のペットボトルを、結衣の冷たくなった頬にそっと押し当てる。


「あ……澪先輩。すみません、取り乱していました」


「ふふ、いいんですよ。名取さんと、上手く言葉が噛み合わなかったのですか?」


 結衣はペットボトルを受け取り、小さく溜息をついた。


「名取さんは、感情論ばかりで記事を構成しようとするんです。翠明祭の楽しさや部活のキラキラした雰囲気が必要なのは分かります。でも、客観的なデータや進学の実績というファクトがなければ、受験生向けの記事として信頼性が生まれません。私の言っていることは、論理的に絶対に正しいはずです。なのに、彼女は堅苦しいと撥ね退けて……」


 結衣の言葉に、澪は静かに耳を傾けていた。そして、包み込むような優しい声で、そっと語りかける。


「ええ、結衣ちゃんの言う通り、あなたの論理はとても正しくて、綺麗です。でもね、正しい言葉が、いつも一番に相手の心に届くとは限らないの。特に、これから新しい世界へ飛び込もうとしている受験生にとってはね」


「届かない、ですか……?」


「数字や実績は安心をくれるけれど、ワクワクするような『憧れ』をくれるのは、名取さんの言うような、理屈の通らない生の熱量かもしれないわ。結衣ちゃん、あなたの論理は、湊くんの不器用な本音を世間に届けるための素晴らしい武器。だったら、名取さんの持つその眩しい『熱』も、あなたの論理で綺麗に包み込んで、もっと遠くへ届けてあげることはできないかしら? 少しだけ、彼女の視線に寄り添ってみて」


 澪は結衣の肩を優しく撫でると、そのままおっとりとした歩調で部室を出て行った。結衣は画面を見つめたまま、タイピングを止めた。正しさの先にあるもの。自分が頑なに守ろうとしていた境界線が、少しだけ揺らぐのを感じていた。


・


 そして湊は、部室棟の裏手にある自動販売機の裏で、すっかり冷え切った缶コーヒーを両手で包むようにして、一人地面を見つめていた。自分の不甲斐なさに胸が押し潰されそうだった。二人の間に入って、オドオドするだけで何もできなかった自分が情けない。


「何一人で黄昏れてんだよ、湊。そんな暗いツラしてっと、せっかくの缶コーヒーが余計に苦くなるぞ?」


 不意に背後から声をかけてきたのは、遠藤駆だった。彼は爽やかで快活な体育会系の笑みを浮かべ、湊の隣の壁に背中を預ける。


「遠藤先輩……。僕、やっぱり駄目です。瀬戸口さんと名取さんが、記事のことで言い争いになっちゃって……。僕は真ん中でオロオロするだけで、何の役にも立てなくて」


「ハハッ、知ってるよ。一ノ瀬から聞いた。一年生の教室がバチバチだってな」


 駆はコーヒーを一口すすると、真剣な眼差しを湊に向けた。


「いいか湊、どんな良い言葉も、届かなきゃ意味がない。それはお前が一番よく知ってるだろ?今、結衣と名取は、お互いの『正しさ』という矛と盾で殴り合ってる状態だ。でもな、戦ってる二人の言葉の裏にある『本当に伝えたい動機』を、一番近くで、一番よく知っているのは、その間に入っているお前だろ?」


「僕が……二人の動機を?」


「そうだ。結衣は記事の信頼性を守りたい。名取は受験生のワクワクを守りたい。どっちも学校のための本音だ。お前はただオロオロしてるだけに見えるかもしれないけど、二人の言葉を全部聞いて、メモしてるのはお前だけだ。だったら、その二つの良いところを掛け合わせて、新しい形に組み直せるのは、間に入っているお前しかいないだろ?下書きを作るのがお前の役目なんだろ。戦略を練るんだよ、湊」


 駆は湊の背中をバシッと力強く叩くと、「期待してるぞ、相棒」と言い残して爽やかに去っていった。


 叩かれた背中の痛みが、湊の胸の奥にくすぶっていた何かに火をつけるようだった。


 二人の板挟みになって怯えるだけの自分。けれど、駆の言う通り、二人の言葉の熱量を、一番特等席で聞いていたのは自分のはずだ。


 湊は缶コーヒーを飲み干すと、決意を秘めた目で自宅へと向かって、力強く歩き出した。今夜は忙しくなりそうだ。窓の外には、桜が瀬川の夜景が静かに広がり始めていた。

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