↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
放課後ノート〜翠明高校ライティング部〜  作者: やた
05.要約は、愛のムチ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/74

05.2.情報の断頭台

 部室の外では、雨脚がさらに強まっていた。古びた窓枠が風に煽られてガタガタと震え、時折、遠くで低い雷鳴が響く。


「……五千文字、か」


 湊はタブレットに表示された遠藤の記事を、絶望的な気分でスクロールした。指を動かしても動かしても、黒い文字の列は終わらない。サッカー部時代の苦悩、神崎部長との出会い、ライティング部の再建。そのどれもが熱く、重く、一文字たりとも無駄なものなどないように思えた。


「これを、百四十文字。つまり……記事の約三十五分の一にまで削るなんて」


「あんた、まだそんなところで立ち止まってるの?」


 隣でキーボードを叩く乾いた音が止まった。結衣が、氷のような視線を湊に向ける。だが、その声にはいつもの絶対的な自信が欠けていた。彼女の画面を覗き見ると、無数の書きかけのフレーズが、まるで迷宮のように乱立しては消されている。


「瀬戸口さんだって……苦労してるんじゃない?」


 湊の指摘に、結衣は眉間に深い皺を刻んだ。


「当たり前でしょ。遠藤先輩の記事は、構造そのものが一つの巨大な『熱』なの。論理的に整理しようとしても、その熱が、文脈の至るところに飛び火してくるわ。一つを削れば全体のバランスが崩れ、一つを残せば文字数という壁にぶち当たる。だから、こうやって手を動かさないといけないのよ……」


 結衣は珍しく苛立ったように、長い髪を指でかき上げた。


「要約は『あらすじ』を作ることじゃない。その文章の中に隠された、たった一つの『背骨』を見つけ出し、それ以外をすべて削ぎ落とす作業よ。でも、この記事は……どの骨もあまりに太すぎて、どこで切断すべきか、私のハサミが迷っているわ」


 結衣は湊のタブレットを奪い取ると、画面上の文章を大胆に範囲選択した。


「例えばここ。サッカー部時代の練習メニューの詳細。これは『努力した』という事実を伝えるための肉付けに過ぎない。バッサリ切るべきなのは分かっている。でも……切った瞬間に、この後の『挫折』の重みが薄れてしまう」


「そう、そうなんだよ!そこ、先輩が一番こだわってたところなのに……」


「わかってるわよ!感情論を持ち込まないで!」


 結衣は叫ぶように言い返した。自分自身の「書き手の想いを尊重したい」という良心と、「校閲者として冷徹に削らなければならない」という義務感の間で、彼女もまた引き裂かれていた。


「次、ここ。神崎部長と出会った時の窓の光やインクの匂い。情緒的で、この記事の魂のような部分。でも、要約には不要。排除……すべきなの。でも、これを消すと、ただの『部活紹介記事』に成り下がってしまう。情報の重要度と、読者の心を動かすトリガーの強度が、完全に矛盾しているわ」


 湊の目の前で、結衣は一度選択した文章を解除し、また別の場所を消しては戻す、という作業を繰り返した。論理の申し子である彼女が、ここまで「正解」を見失い、狼狽している姿を湊は初めて見た。


「……ひどいよ。こんなの、ただの骨組みにさえならない。僕たちの迷いが、そのまま文章に現れてる気がする」


「そうよ。迷いはノイズなの。それを一番よく分かっているのは私よ」


 結衣はタブレットを湊に突き返し、膝の上で拳を握りしめた。


「いい?読者は暇じゃないの。Li-NKのタイムラインを流し読みしている人たちに、五千文字の熱量をそのままぶつけても、煙たがられてブロックされるだけ。私たちがやるべきなのは、読者の心に突き刺さる一本の『銛』を作ること。でも、今の私たちには、その銛を研ぐための砥石が足りないわ」


 結衣の横顔には、湊と同じ、あるいはそれ以上の焦燥が浮かんでいた。


「情報の断頭台に立ちなさい、佐倉くん。書き手の未練は、読み手にとってのノイズでしかない。それは、私自身にも言い聞かせているわ。でも……」


 彼女の言葉が、途切れた。


「『遠藤先輩はサッカー部で挫折しましたが、ライティング部で立ち直りました。ぜひ読んでください』……これじゃ、誰もクリックしないよね」


「最悪ね。情報の死体だわ」


 画面を見た結衣が吐き捨てるように言ったが、その後に続く彼女自身の案も、どこか説明的で、遠藤の熱量には遠く及ばなかった。


「情報を削るだけじゃダメなの。削ぎ落とした後に残った骨に、もう一度だけ、読者を惹きつける『毒』を塗るのよ。でも、今の私のロジックじゃ、その毒が作れない……」


 結衣は頭を抱え、机に突っ伏した。


 窓の外では雨が激しさを増し、視界を真っ白に染め上げていた。密室のような部室の中で、湊と結衣の間に流れる空気は、共有された「敗北感」に満たされていた。


(先輩が本当に伝えたかった『核』は、何だ……?)


 湊はもう一度、遠藤の原稿の冒頭に目を走らせた。

 そこには、泥だらけのユニフォームを洗う、孤独な少年の姿が描かれていた。

 その「痛み」を、結衣の「論理」を壊さずに、どうやって百四十文字の器に流し込めばいいのか。


 二人の思考は、激しい雨音にかき消されるように、停滞の泥沼へと沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。