第8話 神鼠の身体と色気の行く先
私が客室に通されると、ほどなく、シリウス様が浴室から出てこられた。
裸の上半身にかぶったタオルで顔や頭を拭きながら「オスカー、お待たせした」と静かにおっしゃる。
我々の大王は、ごく自然に、いつも人をねぎらう御方だ。
タオルから覗く身体に、私は思わず感嘆のため息をつきそうになった。
少年から青年といった細い腰ではあるが、
その全ての部分に鍛えられた筋肉が備わっている。
背中も腕も、ファリスのような隆々といった趣ではないが、
どこも隙間なく鍛え上げられて、
中にバネがあるかのような緊張感がみなぎっている。
貴公子の学び舎として選ばれやすい騎士学校だけではなく、
強力な兵士を育成するハバリー体技学院にも通ったのは、
心技体を磨き、あの女性に再会するための計画を遂行しようとなさったのだろう。
我々の大王は、本当に、真っすぐで、真面目で、勇敢な御方だ。
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私は率直にお尋ねした。
「晩餐会前に、リヒトさんにお会いになったんでしょう。
いかがでしたか?何かお話しになりましたか?」
シリウス様には申し上げていないが、実は、
あの女性に3年間決まった人がいないことは調べがついている。
あのような苦しい別れから3年も経ち、
素晴らしく成長したシリウス様に再会すれば、さぞや…
「『馬鹿シリウス』と叫ばれて、逃げられた。」
「ば…!?!?」
シリウス様を見ると、その瞳の色に合わせて我々が準備した、
アクアマリンカラーの滑らかな絹のシャツを猛然と羽織って、必死にボタンを留めておられる。
私は必死に口元を押さえた。
「笑えばいいだろう。」
ボタンを留め終わったシリウス様は、ソファに身を投げ出し、腕に顔をもたせ掛けていらっしゃる。
「失敗した。」
「どうして…」
「リヒトさん、泣いていたんだ。すごく…」
「なぜ…」
「理由は分からない…」
「違います。なぜ、女性が…リヒトさんが泣いているのに、さっさと抱き締めないんです?」
「え?…そんな…だって僕は…」
「ああ、やってられません!」
私は、顎の右隣にある刻印に触れると、「神路開門 神通…」と詠唱を始めたが、
瞬時に、シリウス様が「神羊オスカー!何をしている?」と無効化する。
「とりあえず、アダムをここに呼ぼうかと。」
「アダム?急にどうした?」
「シリウス様、明日までに、女性の口説き方、扱い方を彼から習いなさい。
アダムなら、連絡を取れれば、今から数時間でここに来られるでしょう。」
「待て、待て…」
シリウス様は慌てて顔をお上げになる。
「アダムには…その…秋の十二支会議で相談するから…」
「ほう…そんなにごゆっくりでいいのですか?」
私はチラリとシリウス様を見た。
「リヒトさんは、大番頭の息子からずっと求婚されているようですよ。」
シリウス様は凍り付いている。
「父親の大番頭も乗り気なんですが、リヒトさんがずっと断っていたようです。
それが、最近、別の男からも言い寄られるようになって…
業を煮やした大番頭とその息子が、明日辺り、ぜひとも結婚するよう説得するんだとか…」
シリウス様のアクアマリンの瞳が光を放ち始めた。
「リヒトさんは断っているのに、さらに説得だと…?」
ゆらめく水面のように、光を受けた宝石のように、燃え盛る青い炎のように、
アクアマリンの瞳が虚空を見つめる。
「明日の予定、午後からはオスカーとの会談だけだったな?」
「ええ。キャンセルいたしましょう。」
シリウス様は少し微笑んで、「ありがとう」とおっしゃる。
我々の大王は、こういう方なのだ。
「今日はもう休もう。」
シリウス様が立ち上がる。
「はい。私も下がりましょう。ですが、その前に…」
私は、シリウス様に近寄ると、その絹シャツのボタンを3つほど開け、袖もまくり上げた。
「こうやって、少しは色気をお出しなさい。
もったいないお化けがやって来ますよ。」
シリウス様は一瞬呆気に取られていたものの、私を扉まで見送ってくださる。
と、ストンと腕を伸ばして「通せんぼ」したかと思うと、
今は私よりも高くなった顔を傾けて、微笑みながらささやいた。
「僕はもう…大人だよ?」
竜巻のような色気にさらされて、私はもう呆れて物も言えずに退室した。
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我々の大王は、暗い過去と重い責任と宿命に立ち向かう、素直で天然の色気に溢れる御方なのだ。




