第24話 神鼠が 猫と国を守って 死ぬときは
未明になって、僕はようやく自室へ向かった。
廊下の途中で「エデ」と呼ぶと、すぐに大柄なメイドが後に続く。
「リヒト様は嘔吐を続け、ようやく寝ても、すぐに起きて嘔吐。
先ほどまた眠りにつかれました。」
僕は方角を変えた。
「この後は僕がリヒトさんを看る。…朝まで共にいる。取り計らえ。」
エデはすぐに下がる。
が、僕がリヒトさんの部屋の前に立つと、中から扉を開けたのは、そのエデ。
部屋には、僕の着替え、湯を張った陶器の桶、熱いタオルなどが準備してある。
軽食や酒まで添えて。
僕がエデに「ありがとう。」と頷くと、彼女は即座に退出した。
枕元にそっと近づくと、ネグリジェのリヒトさんが背を丸めるようにして、
眉根を寄せ、土気色の顔をしかめたまま寝ている。
僕は部屋の端に行って、香油を染み込ませた熱いタオルで、
頭と身体を拭けるだけ拭いた。
湯に浸かって、先ほどの悍ましい事件を洗い流したいが、
今はこれで満足すべきだろう。
同時に僕は、サンドイッチやマフィンを次々と口に詰め込んでいく。
行儀は良くないが、体技学院や騎士学校で会得した特技だ。
柔らかいシルクのシャツを着て、帯剣すると、リヒトさんの元に戻った。
リヒトさんの眉から影が消えている。
深い眠りについているようだ。
僕はホッと息をつき、
リヒトさんの枕元に準備されたソファに体を沈め、オットマンに両足を投げ出した。
ここにあるのが嘘のようなリヒトさんの寝顔を見ながら、
僕の瞼も重くなっていった…
********
目を覚ましたときに、私の視界に入ってきたのは、
ソファに座って目を閉じるシリウスの姿だった。
身を起こして周りを見たが、シリウスしかいない。
きっと、私が具合を悪くしたと聞いて、付き添ってくれたのだろう。
シリウスこそ、遅くまで大変だったろうに…
窓の外は徐々に明るくなっているものの、雲が低く垂れこめている。
毛布を掛けてあげたいが、起こしてしまいそうだ。
帯剣までして、神経を尖らせているのだから。
私は諦めて、そっとまた横になった。
そうしてまた、シリウスを見る。
思い出すまいと思っても、グロテスクな光景が私に蘇ってくる。
神竜フレドリックの、双子の妹への歪んだ、道に外れた恋。
彼は、自身に向き合わず、周囲を、とりわけシリウスを、
恨み、
妬み、
憎み、
その結果、妹を殺し、人外に堕ちた。
あれを眼前にしても全く動じず、完璧に動く十二支は、やはり十二支だ。
私など、ただ怯え、竦み、目を逸らし、守られるだけ。
でも、その十二支の命が絡む事件が…数年おきに起こっていないか?
クロエ様は?
…偶然だ。
コルデールの襲撃事件は?
…これも偶然だ。
神竜フレドリックの件は?
…彼自身の問題だ。
遡れば…あの誘拐戦争は…?
…偶然に決まっている!
でも、もし偶然じゃなかったら?
今後、シリウスにも……?
私は、憂いを含んだシリウスの寝顔を見ながら、思わずシーツを握り締めた。
どうか、神様、
どうか、シリウスの命をお守りください…
シーツに顔を埋め、手を握り合わせて祈る。
「大丈夫ですか…?」
ハッと目を開けると、シーツがめくられて、シリウスが私を覗き込んでいる。
私はパッと起き上がった。
「ごめんなさい。起こした…?」
「十分寝ました。それより、苦しいですか?
水飲みますか?」
言いながら、シリウスは水差しからグラスに水を注ぐ。
どうしてかくもシリウスは、一つ一つの動作が様になるのかとぼんやり見惚れていると、
シリウスが静かにグラスを手渡してくれる。
「グラス、持てますか?」
と言いながら、屈みこんで、私の背中を支え、グラスを口に持っていってくれる。
もう大丈夫なのだが、この優しさに甘えておきたい思いが勝って、そのまま飲ませてもらう。
「シリウスは大丈夫…?ちゃんと食べた?」
「僕は寝る前、ここで結構食べました。
リヒトさんこそ、少し食べないと…」
というと指をパチンと鳴らす。
すぐにノックが聞こえ、扉の外から、エデさんの「参りました。」という声が聞こえる。
エデさんは、元・女性騎士で、親衛隊長ダンテスさんの奥様。
シリウスが、私がコルデールから戻ってきたときに専属の護衛・メイドとして付けてくれた。
無口だけど、頼もしくて、優しくて、恐ろしく仕事が早い方だ。
シリウスは「リヒトさんの食事を、ここに。」と短く言う。
エデさんは、すぐに支度を整えて来てくれるだろう。
…私の考えはちっともまとまっていない。
でも、エデさんが来るまでに、言わなければと思った。
私は、うなじの刻印に手をやった。
熱を持っている気がする。
どんなに「偶然だ」と言い聞かせても、予感は剥がれ落ちない。
それなのに、私は、昨夜のように、
ただ怯え、竦み、目を逸らし、守られるだけなのか?
本当は、私が、君を支えなければならないのに!!!
私は、曇天の中に広がる薄明を見つめながら、シリウスに問うた。
「何かが、十二支に起こっているのね?」
グラスを机に戻していたシリウスの動きが止まった。
「シリウス、貴方にも、また、何かが起こるかもしれないのね?」
私はシリウスの方を見た。
シリウスはグラスに目を落としている。
その姿こそが、答えだ。
「『命に代えてもツヴェルフェトとリヒトさんを守る』とか、バカなこと思ってる?」
シリウスは私に向き直って、ムッとしたように言い返す。
「バカなこと?
命に代えなきゃ守れないときだってある!
僕は死んでもリヒトさんを…」
「馬鹿シリウス!!!!!!!」
私は爆発したようにベッドに立ち上がると、思いっきりシリウスの頬を引っぱたいた。
シリウスは反射的に私の手を掴んで、怒りを含んだアクアマリンの視線でキッと見る。
「何するんです!!」
私は掴まれた手を引き離そうとしながら、この鈍感バカに怒り心頭になった。
「バカだからでしょ!!!」
彼の鋼鉄のような指と腕は、私の反抗ごときでは微動だにしない。
「何がバカですか!!!
いつもそうやって、何も話してくれずに、勝手にして!!!」
「全部話さないと分からないの!?
だからバカなんでしょ!!!!!」
私は「離して!」と歯ぎしりしながら、反対の手でシリウスの指を引きはがそうとする。
シリウスは、その反対の手も易々と掴み上げると、光を放つ目で私を睨んだ。
「貴女と国に命を懸けようという僕の気持ちを、バカ呼ばわりですか?」
ああ…この人はバカだ。
「君が、命を懸けて国を守ったら…」
私の声は、否応なく戦慄いた。
「私を守って、君が死んだら…」
耐え切れずに涙がこぼれ落ちる。
「私、すぐに死ぬから。」
(次話に続く)




