第21話 神鼠は猫に、ちゃんと伝えて口づけを
僕は、リヒトさんをエスコートして大神殿の夜の庭園に出た。
あれだけ二人きりで会う時間がないと言っていたのに、いざこうなると、うまく言葉が出てこない。
どうにかこうにか、いつも御令嬢方に言っていることを思い出し、
「こちらに行きましょう。夜の景色が綺麗です。」
と誘うと、リヒトさんがピクリと止まった。
「晩餐会のときは…こうやって女性と二人きりでここを散歩するの?」
僕はギクリとした。ご明察のとおりだからだ。
「今の台詞を言うの?」
リヒトさんの声は怒っているようだ。
僕は焦った。
喧嘩に使えるほど、僕たちに時間はない。
「晩餐会のときに、どこかの御令嬢と散歩をするなんていつものことです。
別に僕は…」
「じゃあ、今も、いつものことね!」
リヒトさんは、僕の腕から、その手を引き抜いた。
僕はムッとした。
「そんなことは言っていない。」
どうして?
せっかくの時間を、リヒトさんはどうして?
僕の頭を、テオの顔がかすめていく。
「だから、私を特別に扱うテオと結婚する」…?
でも、僕は勇気と理性を叩き起こした。
「リヒトさん、話してくれなきゃ分からない。
ねえ、コルデールでも言ったでしょう…
貴女が何を聞きたいのか、何を伝えればいいか、
僕は分からないって!
だから…」
「マリア様が来てる…」
リヒトさんはポツンと言った。
「マリア様との婚約はどうなったの?…」
僕はアッと唇を噛んだ。こんな大事なことを言っていなかった…
「あれは、3年前、貴女がいなくなったその日に、断りました。」
「どうして…」
「そんな…僕はリヒトさんが好きなんだから、断るのは当然です。」
「え?好き…って…どういう意味の…」
「そんな…もちろん、『恋している』の意味です。」
「エッ……」
リヒトさんは、暗闇でもわかるほど真っ赤になった。
口を動かしても言葉が出ないようで、喉の辺りで両手を握りしめている。
僕はようやく、僕自身の無茶苦茶さに、追いついた。
「ア――――!!!!!
僕は何をやっているんだ!!!!」
僕はかがみ込むように前のめりになった。
僕は最悪だ。
順番を間違えるにしても、この間違え方はあり得ない。
薔薇百本なんてお笑い種にもほどがある!!!
僕は前かがみになったまま呟いた。
「リヒトさん、僕に噛みついてください。
貴女に謝っても、謝り足りない…」
と、リヒトさんの小さな手が、僕の頬に触れた。
「だ、大丈夫…?」
僕は目が覚めたように前を向いた。
僕の背丈が伸びたから、この体勢だと、リヒトさんの顔が目の前にある。
白い花を添えた整った顔が、
深い知性をたたえた瞳が、
心配そうに僕を見ている。
僕は明確に自分を取り戻した。
「ごめんなさい、リヒトさん…
順番に説明します。少し歩きましょう。」
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3年前、僕がリヒトさんに恋をしているとはっきり気付いたこと、
想いを伝える前に、リヒトさんが大神殿を去ったこと、
必ずリヒトさんを迎えに行くと誓ったこと、
その日にフレドリック、マリア、その父母を呼んで婚約の「予定」を断ったこと、
その時、好きな人がいると伝えたこと、
危害が及ぶ可能性を考えて、リヒトさんの名前は出さなかったこと、
その後3年間、数えきれないほどの縁談があったが、いずれもきっぱり断ったこと、
断っても断っても縁談が尽きないこと、
マリアのように一度断ったのに何度も持ち掛けられることも多いこと、
社交上、パーティーのときに女性とダンスや散歩を行うこともあること…
リヒトさんは時折質問を挟みながらも、静かに耳を傾けてくれる。
何とか話し終わったとき、
そこは、いつか、僕たちが「どこまで近づけるか」を巻き尺で測った池のほとりだった。
「これで…少し、説明できましたか…?」
リヒトさんは、ふいに池の方に目をやってから、
僕をチラリと見上げると、いたずらっぽく微笑んだ。
「本当だ…確かに、ここは夜の景色が綺麗ね?」
その笑顔を見て、僕は、
澄んだ風が身体中を通り抜けたように思った。
黙ったままリヒトさんを見ると、彼女はそのままの笑顔で言う。
「ここ、巻き尺で距離を測った場所。覚えてる?」
「もちろんです。」
「シリウス、あのときから3年で…こんなに背が高くなるなんて…なんだか…」
「だめですか…」
リヒトさんは優しく首を振った。
「照れてしまうの…どうしても。
とても大人なんだもの。」
リヒトさんは、笑顔のままで、湖の方に目を逸らす。
「今の服なんか、まともに見られない。」
「それはどういう…」
「すごくかっこいいんだもの。」
僕は顔中から火を噴きそうになった。
僕は、リヒトさんの両手を握りしめると、刻印に押し付けた。
「貴女って人は…!!!そういうことは、僕が、貴女に先に…!!!」
リヒトさんは、ようやくリヒトさんらしい調子を取り戻したらしい。
「結局、どれも似合うんだけど…!
そうそう、コルデールで二人で丘に出かけたときの白いワイシャツね、
あれもすごく…」
僕は、木の幹を壁にして手をつくと、
無邪気にしゃべり続けるリヒトさんを、
囲うように覗き込んだ。
「すごく…なんですか?」
「あの、すごく…」
「貴女が、僕に口づけしてくれたときの?
首にキスしてくれたときの?」
僕は、いよいよリヒトさんを覗き込む。
「僕、さっき言いましたよ?
リヒトさんのことが好きだって。
貴女に…」
僕は耳元で囁く。
「恋をしているって。」
一度「らしさ」を取り戻したリヒトさんは、
再び借りてきた猫のように縮こまっている。
僕は彼女の顎を持ち上げて、僕の方に向けた。
リヒトさんの顔は、瞳と同じ夕日色に染まっている。
僕は鼻先で、彼女の鼻先をつつきながら囁いた。
「今日のドレスのリヒトさん、綺麗です。
いつも…綺麗で…可愛いけど…」
僕は目を閉じると、リヒトさんの唇にそっと僕の唇を押し当てた。




