第20話 晩餐会に咲く、森の百合
息をつく暇もない秋の十二支会議も、明日が閉会の儀。
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今回は、最近の不穏な動きのこともあり、特に忙しい。
一方、リヒトさんは、大学の試験と重なって、3年前のように十二支会議の官吏として作業をすることもない。
つまり、ほとんど会っていない。
朝に、一瞬だけ、通りすがりに、僕が「封殺」の術を掛ける。
そうしないと、僕とディモイゼの空気に当てられて、リヒトさんが病気になるからだ。
でも、周囲に人がいて、ほとんど喋れない。
3年前にリヒトさんが大神殿にいたことについては、関係者に「忘却」させている。
しかし、「封殺」のことが周囲にばれると、リヒトさんが「神馬ツムギの親戚」という話がややこしくなる。
だから、挨拶に紛れて、そっと掛けるだけ。
リヒトさんは、質素な服に、髪を1つにくくり、
メアリ嬢からもらった空色のリボンをチョーカー代わりにつけ、小さな声でいつも言う。
「どうぞお気をつけて。」
祈りのようだ。
僕は、振り返りたいのを堪えて、堂々と歩く。
この間にも、テオがリヒトさんに近づくかもしれないのに。
一日の終わりの、燭台の点滅だけが、僕とリヒトさんをかろうじてつなげている。
今回は4回、
次は6回、
その次は7回…
リヒトさんは、本当は何を合図しているんだろう。
おやすみ?
馬鹿シリウス?
早く会いたい?…なら、嬉しいが…
僕は、口元の傷に口づけしてくれた、柔らかい唇を思い出す。
首元の傷から、鎖骨を通り越したときの唇の感触も思い出す。
馬上で、僕の腕を、胸に抱え込んでくれたときに感じた、あの…
あの…
そうして、16歳の僕は、悶々と悩ましい夜を過ごすわけだ。
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閉会の儀前夜の晩餐会が始まった。
僕は内心、開始早々から、早く終わることを願っていた。
引きも切らずに挨拶を繰り返す。
そして、御令嬢の多いこと。
僕はそっと人数を数えて、本日行うべきダンスの数とタイミングを計った。
大王の役割だから、女性と踊ることは特に何とも思わない。
でも、リヒトさんが、僕の命を守るため、ズタズタの姿で泣きながら大神殿を去った後は、
彼女を裏切っている気がして、
婚約や結婚の絡む相手と踊ることがたまらなく嫌だった。
相手の女性が嫌なのではない。
豪華な部屋で女性に微笑んでダンスをしている、僕自身が、
美しく着飾った女性の手を取って踊る、着飾った僕自身が、
嫌だったのだ。
それなのに、僕は今日もまた、これまでと同じように、婚約や結婚の絡む相手と踊るのだ。
ようやく、リヒトさんが大神殿に戻ってきたのに、
今、ここには、かつてリヒトさんにプロポーズしたテオもいるのに、
僕は、手をこまねいたままだ。
僕は、全員同じようにしか見えない女性を前に、礼儀正しく挨拶を繰り返しながら、心に決めた。
もう順番なんかどうでもいい。
人の目だってどうでもいい。
この晩餐会が終わったら、その足でリヒトさんの部屋に行って、
リヒトさんを抱き締めるんだ。
そのときは、絶対、「頭」なんか使うものか。
…
ふと、ホールの階段がざわめいている気がして、目をやった。
が、瞬間に…
…僕は、その時挨拶をしていた人々のことなどすっかり忘れて、そちらに足を踏み出した。
一歩…一歩…
誰かにぶつかった気もしたが、よく分からない。
僕は階段を見上げたまま、足を止めた。
そこには、ステファニーとツムギに付き添われたリヒトさんがいた。
身体にピッタリと合った細身の、銀の刺繍を全面にあしらった黒いドレス。
全体的にレースや装飾はほとんどないが、かえってそれが、彼女の清楚さを引き出している。
華やかな晩餐会に、森林奥深くに咲く百合がそっと差し出されたかのよう。
僕だけでなく、晩餐会の参加者全員が息を飲んで見守る中、
ステファニーとツムギは、リヒトさんを連れ、艶やかな笑顔を浮かべて階段を降りてくる。
リヒトさんの方は、晩餐会に気圧されたように、うつむき加減で降りてくる。
ツムギが僕に微笑んだ。
「シリウス様、ご紹介いたします。こちらが私の縁戚の、リヒト・ヤブサメですわ。」
「私もよく存じ上げておりますの。
大変気立ての良いお嬢様で、私たち皆、リヒト様が大好きなのですよ。」
ステファニーがにこやかに続ける。
僕は二人の顔を見て、ああ、あの男性陣がこの二人を仲間にして一計画立てたのだと察した。
が、もうそれもどうでも良かった。
僕は、この小鳥のような子猫が逃げ出さないように、急いで手を取った。
「Lady、どうか私に、貴女とダンスを踊る光栄を与えてください。」
その瞬間、音楽が流れ始めた。
リードを始めようとしたものの、リヒトさんは困惑が極まったのか、うつむいてすくんでしまっている。
僕は、彼女の耳元に顔を寄せてささやいた。
「3年前を思い出して。
僕に身を任せれば大丈夫。」
ようやく、リヒトさんは顔を上げて、その夕日色の瞳を僕に向けた。
恥ずかしさと緊張で青ざめた顔…
その顔を縁取る黒髪は遠慮がちに結い上げられて、耳元に白い花が飾られているばかり。
ああ、なんて…なんて、可愛いんだろう!
目がくらみそうだ!
会えない日々の果てに、こんなリヒトさんを見られるなんて…
僕は無我夢中でリヒトさんを見つめる。
気付けば、リヒトさんは、伏し目がちながも、呼吸を合わせて踊っている。
リヒトさんのダンスは、経験がないとは信じられないほど滑らかで美しい。
猫族の気高いしなやかさを感じながら、僕も夢のように踊る。
「僕を見て。」
リヒトさんは、右に左に視線を泳がせながら僕を見た。
風に溶けそうな唇が、何かを言いたそうに微かに動いている。
が、そこで音楽が止んだ。
ホールが喝采に包まれる中、ツムギが近付いてきた。
「シリウス様、リヒトは、このような場に慣れておらず、気分が悪いようです。
畏れながら、リヒトに外の空気を吸わせていただけますでしょうか?」
僕は、万感のお礼を込めた視線をツムギとステファニーに向ける。
晴れて理由と資格を得て、僕は、リヒトさんと二人で庭園に出た。




