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The Sword That Hates Me (But Is Better Than Me)  作者: 神谷嶺心
第1章 カエルとタロン──予言か、呪いか?
9/22

第7話 — 任務完了(ただし副作用あり)

「生き延びることの問題は、その先も生きなきゃいけないことだ。」



彼らは歩き続けた。 もう、あのジリジリと焼きつける太陽ではなかった。 ゆっくりと沈みながら、金色の光が道端の影を引き伸ばし、すべてをくすんだオレンジ色に染めていく。 夕方特有の、希望と物悲しさが混ざった匂いが漂っていた。


前方の地平線は、すでに色を失い始めていた。 昼と夜の境界が、怠けるようにゆっくりと移ろっていく。


沈黙は、より重くなっていた。 新しい傷を抱えた者たちの気まずい沈黙ではない。 もっと深く、もっと静かなものだった。


そして、ただ歩いた。 一歩、また一歩。 今、聞こえるのは自分たちの足音だけ。

やがて、街の輪郭が見えてきた。 地面の湿気でぼやけて、建物はどこか歪んで見える。 まるで、建築そのものが自分の存在を恥じているかのように。


北門は開いていた。 門番は、朝の不機嫌な男ではなかった。 今のは、好奇心旺盛というより、ただ退屈すぎて他人の人生に首を突っ込みたくなったような顔をしていた。


「おい……」 門番は眉をひそめながら、カエルの肩にかかった袋を見て言った。 「それ……狩りか?密輸か?それとも……その匂い、社会的自殺の未遂か?」


カエルは深く息を吸い、袋の口を少しだけ開けた。


「やめてぇぇぇ!子供がいるのぉぉぉ!アアアアアアアアア!!」


カエルは慌てて袋を閉じた。指を挟みかけるほどの勢いで。 顔はチョークみたいに真っ白だった。


門番は目を見開き、そして――爆笑した。


「ハハハハハ!俺の義母の曲がった角に誓って……お前ら、あの玉ねぎの依頼やったな!?ケボルのとこ行ったんだろ?あの狂人、まだあの呪われた作物で生きていけると思ってんのかよ!」


カエルはただ、疲れ切ったようにため息をついた。 「やめろって……」


サーロンは腰で揺れながら、いつもより少しだけ低い声で、でも鋭さはそのままに言った。 「トラウマはまだ新鮮だぞ、相棒。油断すると飛び散るからな」


門番は笑いをこらえながら、涙を拭った。 「ハハハ……がんばれよ……」 親指で背後を指しながら続けた。 「さっさとタルガ婆さんに届けてこい。あ、伝言は……やめとけ。あいつ、噛むから」


「噛むし、唾吐くし、金も取る」 カエルは袋を直しながらぼやいた。


二人は歩き出した。 あの街の路地……いつも通り、いや、いつも以上に狭く感じた。 角を曲がるたびに、古いビール、カビ、そして語られなかった物語の匂いが漂ってくる。


サーロンが、畑から続いていた重たい沈黙を破るように口を開いた。 「なあ……そろそろ引退を考えるべきじゃないか? 壁に飾られる剣とか、玄関のオブジェとか……そういう静かな余生も悪くないぞ」


カエルは何も言わなかった。 ただ、足元の怪しく動く水たまりを避けながら歩き続けた。


「それにしても……」 サーロンは皮肉たっぷりに続けた。 「今日のキャリアのハイライトが、“バレリーナになりたかった玉ねぎ”に脅されたことだなんてな」


カエルはため息をついたが、口元がわずかに緩んだ。 笑いになりかけたが、力尽きた。


「黙れ、サーロン……ただ、黙ってくれ」


そして、そこにあった。 あの暗い路地。 風に揺れる、今にも落ちそうな傾いた看板。 木がきしむ音が、耳障りなほどリアルだった。


蛇の目亭(オロチの目) 「殺さないなら、食わせるだけ」


扉は、いつも通り開いていた。 油っぽい光が漏れ出し、影と後悔の予感を混ぜていた。


二人は敷居の前で立ち止まり、中を覗いた。 まず匂いが来た。次に音。 それは……“生きている何か”の音だった。 あるいは、それに似た何か。


カエルは深く息を吸った。 「……行くか」


敷居をまたいだ瞬間、声が店内を切り裂いた。 乾いていて、しゃがれていて、毒気たっぷりで、どこか砕けたような声。


「おやおやおやぁ〜!誰かと思えば、疫病神コンビじゃないの!」


タルガはカウンターを拭いていた布を放り投げ、床に唾を吐いた(あるいは毒入りの唾液だったかもしれない)。 首に巻かれた生きたスカーフ――つまり蛇の一匹を整えながら、にやりと笑った。


「遅かったじゃないか。もう少しでカラスか呪いを送るところだったよ」


カエルはまた深く息を吸い、袋をカウンターにドスンと置いた。 濡れた布と……苦悶の混ざったような音がした。


「ほら、頼まれてたやつだ」 そう言って、袋の口をめくった。


開けた瞬間――


「切らないでぇぇぇ!夢があるのぉぉぉ!」 「助けてえええええええ!」 「私は食材じゃない!芸術なのよ!」


叫び、泣き声、嘆き――まるで玉ねぎの保育園が集団で存在の危機に陥ったような騒ぎだった。


タルガは片目を見開いた。 緑がかったその目は、血管が浮き、濁っているのにどこか光っていた。


そして――笑った。 高らかに、喉を裂くように。 その笑い声に、髪の蛇たちもビクッと縮こまり、笑うべきか隠れるべきか迷っているようだった。


「ああ〜……この嘆き、たまらないねぇ。耳が喜んでるよ……」 ゴホッ、ゴホッ。 石と石を擦り合わせたような咳をしながら、喉を鳴らした。 「腹が減ってきたわ」


サーロンはカエルの腰で揺れながら、すかさず毒を吐いた。 「そりゃそうだろ。あんたにとっちゃ、不幸はスパイスだからな」


タルガは彼を一瞥もせず、肘でカウンターを叩いた。 すると、蛇の一匹が動き出し、カエルをじっと見つめた。 二股の舌を、チロチロと。


「そこ座りな、坊や。なんか作ってやるよ。文句は食ってからにしな」 タルガはまた咳き込んだ。 「ゴホッ、ゴホッ……このホコリのせいかね……いや、客かもな……もう分かんないよ」


カエルは、まだ睨んでくる蛇を避けるように手を上げ、早口で言った。 「いや……今はいい。ギルドに寄って、任務報告だけ出してくる。完了確認してから戻るよ」


タルガは腕を組んだ。肩に巻きついた蛇たちも、まるで一緒に彼を値踏みしているように動いた。 「ふん。そうしな、坊や。でも急ぎな。あたしの機嫌が……これ以上悪くなる前にね」 ゴホッ、ゴホッ…… 彼女は袋を見下ろした。中では玉ねぎが、くぐもった声で絶望の叫びを上げていた。 「こいつらはもうあたしのもんだ。漬物にしてもいいし、精神拷問にも使えるしね」


彼女は袋をポンポンと叩いた。 中から「ひぃぃ、根っこはやめてぇぇ!」という声が返ってきた。


サーロンが鞘の中でカチリと鳴った。 「この婆さんはな……空腹、脅迫、家族愛の中間みたいな存在なんだ。まあ、分からんでもない」


カエルはため息をつき、マントを整えて扉の方へ向き直った。 「すぐ戻る」 そう言い残して、彼は湿った夜の中へと消えていった。


残されたのは、古びたビールと揚げ物の匂い、そしてトラウマを抱えた玉ねぎたちで埋まったカウンターだった。


雨はすでに止んでいたが、湿気は顔にも、革にも、魂にまで張り付いていた。 灯されたランタンはポタポタと滴を落とし、黄色い光を吐き出していたが、狭い路地の闇には勝てなかった。


カエルの足取りは重く、靴底が濡れた石畳を叩く音が、タップタップと耳に残る。 そして、サーロンは鞘の中から、いつものように毒を吐いた。


「なあ……」 彼はわざとらしく声を引き伸ばした。 「俺さ、剣ってもっと栄光に満ちた存在だと思ってたんだよ。伝説の英雄に掲げられて、冒険して……」

――金属のため息。


「……でも現実はこれだ。集団セラピーだよ。相手は玉ねぎだけどな」


カエルは濡れたマントを肩にかけ直し、ため息をついた。 「とりあえず……終わったな。玉ねぎの任務は完了。あとはギルドに報告するだけだ」


「“あとは”ね……」 サーロンが皮肉たっぷりに震えた。 「で、次は何だ?“叫ぶカエル”の討伐依頼か?いや、やめてくれ。あの生き物が玉ねぎ並みに叫ぶなら、俺、自分で折れるぞ。マジで」


カエルは乾いた笑いを漏らした。 「叫ぶカエルは勘弁。今日の精神ダメージはもう限界」


中央広場が、闇の中から姿を現した。 酔っ払いがふらつきながら通り過ぎ、ボロボロのマントを羽織った女が、泥にはまった荷車と口論していた。 その向こうでは、割れかけた窓から音痴な音楽が流れていた。


二人はさらに細い路地へと入った。 狭くて汚くて、カビの匂いと酸っぱいビールの臭いが互角に戦っていた。


そして――


――バシャッ。


カエルはつまずき、前につんのめって、もう少しで地面にキスするところだった。 振り返って悪態をつくと、そこにいた。


ドワーフ。 地面に寝転がり、腕を組み、片足を自分の樽に乗せて――爆睡中。 そのいびきは、ドラゴンの咆哮と豚の窒息をミックスしたような音だった。


「……なあ、マジでさ……」 カエルは壁で手を拭きながら、呆れたように見下ろした。 「こいつら、どうやって生き延びてんだ?」


サーロンが金属の笑い声を響かせた。 「このドワーフ、俺よりスクラップ寸前だぞ。俺だって古い剣なのに」


「微動だにしないな……」 カエルは軽く足でつついた。 ドワーフはさらに大きないびきをかき、樽を恋人のように抱きしめた。


「やめとこう……」 カエルは首を振った。 「下手に起こしたら、ナイフ抜いて“俺の樽を狙ってる!”とか言い出しかねん」


「まあ……実際、俺は狙ってたけどな。 あの樽、街の半分より長生きしそうだし」 サーロンがさらりと毒を吐いた。


路地を抜けた。 看板が湿った風に揺れ、ギィギィと不快な音を立てていた。 数歩進んで角を曲がると――そこにあった。


ギルドの扉。 少し歪んでいて、ヒンジは玉ねぎよりもうるさく軋み、 看板は色あせ、ひび割れた紋章が、今にも落ちそうな釘一本でぶら下がっていた。 その釘すら、彼らと同じくらい疲れて見えた。


カエルは立ち止まり、深く息を吸い、指を鳴らしてサーロンを見た。 「終わらせようぜ」


「そうだな。で、頼むから次は“叫ぶカエル”とかやめてくれ。 俺の理性の糸、もうギリギリなんだよ」


カエルは扉を引いた。 中から漏れ出すのは、温かい光と、汗、ビール、古びた紙、そして失敗の匂い。 まるで“歓迎されてる鬱”だった。


そして、入った。


ギルドのホールは、混沌の中の機能美。 飛び交う声、壊れた笑い、怪しい囁き、ぶつかるジョッキ、転がるサイコロ…… そして、汗、濡れた革、古いビール、カビた紙の混ざった、あの独特な匂い。


カエルは、今週分のドラマをすでに使い切ったような顔でカウンターに向かった。 任務報告書を「パサッ」と音を立てて置く。 それは、紙になったため息のようだった。


カウンターの向こう―― 巻物の山、噛み跡のある羽ペン、割れたスタンプ、倒れた名札の中に、彼女はいた。


受付嬢。 すべての冒険者が恐れる存在。


鼻先にぶら下がった眼鏡、彫刻のような無表情、 「この仕事に見合う給料じゃない」と全身で語る姿勢。 ……いや、そもそも給料が出てるのかも怪しい。


彼女はゆっくりと目を上げ、眼鏡を直した――が、すぐにまたズレた。


「……あんたら、生きてたのね。 それとも、これは睡眠不足による集団幻覚か…… いや、バカな冒険者の過剰摂取かも……誰にも分からないわね……」


その声は、哲学的な皮肉と詩的な絶望が混ざったような、 疲れと諦めのハーモニーだった。


カエルは深く息を吐き、紙を差し出した。 「任務……終わった……たぶん……」

彼女は紙を引き寄せ、目を通し、眼鏡を直そうとしたが――やはり協力的ではなかった。 軽く首を振りながら、ぼそっとつぶやいた。


「泣く玉ねぎ……こんな依頼考えたやつ、頭おかしいでしょ…… あの農夫、倫理的に訴えられないかな……いや、他人の問題で飯食ってるギルドがそれ言うのは……どうなんだろうね……」


サーロンが鞘の中から皮肉たっぷりに鳴った。 「訴えるなら、宇宙そのものを訴えろよ。もう全部バグってるからな」


彼女は一トンくらいの重さがあるようなため息をついた。 視線を上げることなく、隠し引き出しから小さなコイン袋を取り出し、 まるでゴミを捨てるような手つきでカウンターに置いた。


「苦しみに対しては報酬が出る…… でも、未処理の精神的トラウマには追加料金が必要かもね……」


カエルは無言で袋を取った。 その中のコインの音が、まるで彼を嘲笑っているようだった。


「で……次の依頼でも探してるの? それとも、人生の虚無について語りに来ただけ?」 彼女は顔も上げずに、適当な巻物を引っ張り出した。


カエルはサーロンに、そして受付嬢に絶望の視線を送った。 「なんか……もうちょっとマシなの、ない……?」


彼女は紙をめくり、板を回し、魂まで軋むような音を立てる引き出しを開け、 目線をあまり上げずに答えた。


「“叫ぶカエル”ってのがあるけど……どう? 今日の君たちのメンタルで耐えられるかは知らないけど」


カエルは二歩後ずさった。 まるでその名前に匂いでもあるかのように。


「い、いや……マジで無理……」


「なんで?ただのカエルでしょ? それとも、あんたたちが無視してるトラウマより声がデカいの?」 彼女は三度目の眼鏡直しを試みたが――また落ちた。


彼女は無表情のまま、片眉をわずかに上げた。 「本当に断るの……?確信ある


の……? もし“叫ぶのは一日の半分だけ”って言ったら……? あるいは……四分三……?どうかな……?」


カエルは両手を上げた。 「もういい。明日また来るよ…… 精神的ダメージが少なければ……いや、たぶん無理だけど」


彼女は腕を組み、重力に逆らうことを諦めた眼鏡を直しながら、 朝食に皮肉を噛み砕くような声で言った。


「明日ね……その頃にはカエルが声を失ってるかもよ? それって君たちにとって勝利なのかな…… それとも、また一つの存在的敗北……?」


カエルは無言で背を向け、カウンターを軽く叩いて歩き出した。 サーロンは金属の音でぼやいた。


「カエル……玉ねぎ…… 次が“夫婦カウンセリングを受けてる魚”だったら、俺は自分で分解してスプーンになるわ」


ギルドの扉がギィィと音を立てて開き、 二人を外の世界へと吐き出した。 街灯の光さえ、彼らのテンションに若干引いているようだった。


カエルはこめかみを押さえ、深く息を吸った。 「もう……今日は終わり…… いや、終わったのか……?」


サーロンが鋭く鳴った。 「今誰かが依頼持ってきたら、俺は井戸に飛び込むぞ…… ちゃんと深いやつな……」


そして、二人は歩き続けた。 苛立ちと疲労、そして――ほんの少しだけ…… 自分たちの存在に負けたような気分で。


夜は、まだ終わっていなかった。

ここまで読んでくれたあなたへ――おめでとうございます。 あなたは“泣き玉ねぎ任務”を生き延びました。 全員がそうできたわけじゃありません。 中には途中で魂を失った者もいれば……酢漬けにされた者もいます。感情的に。


カエルとサーロンはというと、まあ……まだ動いてます。 それだけで、この世界ではほぼ英雄扱いです。


任務は完了。報酬も受け取った。 そしてトラウマは……おまけでついてきました。


でも、安心しないでください。 “叫ぶカエル”はまだそこにいます。 そしてこの世界のユーモアセンスは、相変わらず壊れてます。


次回もお楽しみに。 カエルが逃げ出さなければ、ですが。

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