表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Sword That Hates Me (But Is Better Than Me)  作者: 神谷嶺心
第1章 カエルとタロン──予言か、呪いか?
7/22

第6話 — 前編「大地の涙」

「この畑では、泣くのは人間だけじゃない。」



ぬかるみに沈む足音が、旅の公式BGMになっていた。 そして、道が畑に変わるのに、そう時間はかからなかった。


最初は、ぽつぽつと茂み。 次に、傾いた木の柵。 そして──畑。


玉ねぎ。 たくさんの、玉ねぎ。 だが、普通の玉ねぎではない。


背の低い植物。 ねじれた葉。 土に埋まった白い球体が、ぷるぷる震えている。 そう、震えていた。 中には、鼻をすするやつもいれば、しゃくりあげるやつもいた。 そして──明らかに泣いているやつも。


畑の端に、男がひとり。 立ち尽くしていた。 何も見ていない目で、虚空を見つめながら。 人生の選択肢すべてを後悔しているような顔。


ぼさぼさの髭。 麦わら帽子。 「もうどうでもいい」と言わんばかりの服。 腕を組み、敗北した戦士のような目。 ──玉ねぎに、負けた男の目だった。


カエルは濡れたマントを肩にかけ直し、近づいた。


「えっと……こんにちは」 首の後ろをかきながら、声をかける。 「泣き玉ねぎの依頼を出した農家さんを探してて……」


男はゆっくりと振り向いた。 目は真っ赤。 泣きすぎた証拠だった。


「……俺だ」 七つの人生を背負ったような溜息とともに、そう答えた。 「ケボルだ」


鞘の中から、サロンと金属音が鳴る。


「よし。少なくとも話は早い。レタスに尋問する羽目にならなくて済んだな」

ケボルは無言で、震える手を畑の方へ向けた。


「……俺は……頑張ったんだ。ほんとに……でも、あいつら……」 彼の声が震える。 「芝居をするんだ。泣き出すんだ。頼んでくるんだ……『夢がある』って……『玉ねぎになりたくない』って……『ダンサーになりたい』とか、『詩人になりたい』とか……」 目をこすりながら、すすり泣く。 「そしたら……俺も泣いちまって……もう無理なんだよ……無理なんだ……」


カエルは目を見開いた。


「……冗談だろ」


カエルが呟いた。


鞘の中で、サロンと金属音が鳴る。


「これは呪いよりタチが悪い。農業テロだぞ、これ」


ケボルは袖で鼻を拭き、深く息を吸い込んで、少しだけ姿勢を整えた。


「……任務で来たんだよな?」


カエルは頷いた。


「うん。で……ああ……」 また首の後ろをかく。 「タルガ婆さんがさ、もし可能なら、泣き玉ねぎを何個か分けてほしいって」


ケボルが顔を上げた。 その目が、一瞬だけ光を取り戻す。


「タルガ……? あの頑固婆さん、まだ生きてたのか」 苦笑いとも、懐かしさともつかない笑みを浮かべる。 「ったく、あの魔女め……サラマンダー酒の一本、三十年前から借りっぱなしだぞ……」


指を折って数えながら、ぼそっと言った。


サロン。


「なるほど。じゃあ、同じ時代の害悪ってわけか。納得した」


「今でも客に悪態ついて、情報を売ってるのか?」 ケボルが笑いながら尋ねる。


カエルは肩をすくめて、苦笑い。


「たぶん、前よりひどい。最近は、話の途中で咳も混ざる」


「ははっ!」 ケボルは太ももを叩いた。 「あの婆さん、ほんと変わらねぇな。よしよし、あいつのためなら、何個か分けてやるよ」 もう一度鼻をすすりながら、続けた。 「……ただし、あんたらが収穫できたらの話だけどな」


サロン。


「うんうん。泣き玉ねぎを倒す……これが俺たち冒険者としてのキャリアの頂点か。感動だな」


ケボルは深く息を吐き、数歩後ろに下がると、泥だらけのズボンで手を拭き、畑を指さした。


「……全部そこにある。収穫できたら……幸運を祈るよ」


ケボルがそう言い残し、静かに後ろへ下がった。


カエルは深く、深く息を吸った。 目の前の畑を見つめる。 そこに広がるのは──こちらを見返してくるような、玉ねぎたち。


「……よし。行くか」


鞘の中で、サロンと金属音が鳴る。 サラサラと震えるような音。


「もし一個でも『剣さま』とか呼んできたら……俺、近くの鍛冶場に飛び込むからな」


カエルはため息をついた。


「俺もだ。ほんとに」


そして、畑へと──一歩、足を踏み入れた。


まだ二十、三十メートルは離れている。 それでも、もう聞こえてきた。

音が。


風でもない。鳥でもない。


──泣き声だった。


「……これ、マジで起きてるのか?」 カエルは目を細めながら、現実を疑うように呟いた。


鞘の中から、カン、と乾いた音。


「マジだな。そして、これ一回聞いたら……もう二度と耳から消せないやつだ」


近づくにつれて、音はどんどん大きくなる。 もはや、ほぼ騒音。 いや、合唱だった。 玉ねぎたちの──悲鳴の合唱。


「やだぁぁぁ……抜かないでぇぇ……まだ赤ちゃんなのにぃぃ……!」


「うちには芽が三つもあるのよ!育てなきゃいけないのよぉぉ!」


「お願いぃぃ……私、観賞用になりたかっただけなのぉぉぉ!」


カエルは顔を覆った。


「……これは現実じゃない。現実なわけがない」


鞘の中で、ガリッと音が鳴る。 サロンと震えるような金属音。


「これ……これはもう犯罪だろ。 精神に対する……いや、存在そのものに対する犯罪だ」


一番近い端から始めることにした。 慎重に。 まるで、正体不明の猛獣が入った檻に近づくように、一歩ずつ。


カエルはしゃがみ込んだ。 目の前には──大きくて、まるまると太った玉ねぎ。 ぶるぶる震えていて、皮の表面には小さな目がきらきらと光っていた。 そして、彼の存在に気づいた瞬間──


「ひぃぃぃっ!た、助けてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」 まるで今まさに殺されているかのような叫び声だった。 「わ、わたし何もしてないのにっ!お願い、神様ぁぁぁ!!」


カエルは飛びのいた。 尻もちをつきかけながら、胸を押さえる。


「な、なんだこれ……想像以上にヤバいぞ……」


鞘の中から、カン、と乾いた音。


「さっさと抜け。野菜の弁護士が来る前にな」


だが、玉ねぎは止まらない。


「ぜ、喘息持ちなんですっ!煮られたら死んじゃうぅぅぅ!!」 咳き込みながら、土の中でじたばた暴れる。 「それに……妊娠してるのっ!!」


カエルは茎をつかんだまま、目を見開いた。


「はっ……?」


「三つ子なのよっ!三つの芽があるのっ!残されたら孤児よっ!!」


「切れ、カエル。どうせハッタリだ。子宮なんてない、玉ねぎだぞ」


カエルは力を込めて──ぐっ、と引き抜く。


──スポンッ!


玉ねぎは土から抜けた。 まだ震えていた。しゃくりあげながら。


「ひ、ひどいぃぃぃ……モンスター……っ!!」


カエルはそれを袋に放り込み、深く息を吐いた。 すでに冷や汗が背中を伝っていた。


「……よし、一個目。次いこう」


歩き出す。 次の玉ねぎは──一見、落ち着いているように見えた。 カエルがしゃがむまでは。


目を開ける。 もう片方も開ける。 そして、細く、甘ったるい声で囁いた。


「……あなた、こんなことする人じゃないでしょ……? 見てよ、その顔……イケメンで、強くて、勇敢で…… ヒーローって感じ…… そんな人が……家族を引き裂くなんて、しないよね……?」


カエルはまばたきをした。


「い、今……口説かれてる……?」


サロン。


「おい兄弟。玉ねぎの色仕掛けに引っかかったら、俺は道に寝転んで馬車に轢かれるからな」


「こっちに来て、イケメンさん……その剣、捨てて……わたしを……このままにして……」 玉ねぎはまたウィンクした。 「あなたのサラダになれる……丸ごとでも、スライスでも……」


カエルは手を伸ばした。 震える指で、茎をつかむ──


「やめてぇぇぇっ!!ウソだったの!!大っ嫌いよぉぉぉ!!」


突然、玉ねぎが泣き叫び始めた。


カエルは一気に引き抜く。


──スポッ!


玉ねぎは土から抜け、しゃくりあげながら袋に放り込まれた。


「……二個目。よし、次、次、次……!」


歩き出す。 少し先に、眠っているような玉ねぎがあった。


カエルはそっと近づき、茎に手をかける。


その瞬間──ぱちっ、と目が開いた。


「見えなければ……見られてないっ!!」


葉っぱで自分の顔を隠しながら、ぶるぶる震える。


「透明化っ!私は今、透明なんだからっ!!」


サロン。


「有機的に完璧。潰すのが惜しいレベルの天才だな」


カエルは無言で引き抜く。


──スポッ!


「三個目」


次の玉ねぎは、静かだった。 ただ、すすり泣きながら、虚空を見つめていた。


カエルがしゃがむと、ゆっくりとこちらを見て、ぽつりと呟いた。


「……もう連れてって……この残酷な世界には、もう耐えられない…… 私は、生まれながらにして不幸だったの……」 鼻をすすりながら、続ける。 「せめて……せめて、ちゃんとした……スープになりたかった……」


カエルはまばたきした。


「……なんか、深いな」


サロン、皮肉たっぷりに。


「そうだな。ちょっと丁寧に煮込みたくなる。……いや、やっぱりならない」


──スポッ! 袋へ、ぽい。


少し先に、ひときわ太った玉ねぎがいた。 そして──明らかに、態度がデカい。


「おっと、ストップ。そこの三流冒険者、近寄らないでくれる?」 「……あんた、私が誰だか分かってるの?この畑で一番の玉ねぎよ? “年間最優秀オニオン賞”三年連続受賞者。私を抜くなんて、グルメへの冒涜よ」


カエルは腕を組んだ。


「……で、抜いたらどうなる?」


「ギルドのレビュー、星一つ減るわよ? “野菜の扱いが雑”って噂されて、依頼も減って──」


──スポッ!


袋へ、ぽい。


サロンが一言。


「口は達者だったが、命は短かったな」


二人は息を整えた。 汗だく。神経もすり減っている。 畑はまだ、植物精神病棟のようにざわついていた。 すすり泣き、叫び、嘆き、そして芝居。


だが──すでに五つ。 あと数個……勇気があれば、いけるかもしれない。


カエルはサロンを見た。


「……これ、人生で一番ひどい日かもしれない」


額の汗──いや、もしかしたら涙かもしれない──を拭いながら、深く息を吸う。 その瞬間、視界の端で何かがバタバタと動いた。


また一つ、玉ねぎ。 葉を必死に振り回し、まるで飛ぼうとしているかのように。


「やだやだやだっ!!夢があったのにっ!! わ、わたし……なりたかったの……」


震える声。 ぎゅっと閉じた目。 全身で訴えるドラマ。


「……バレリーナにっ!!」


「……は?」 カエルは思わず立ち止まった。


玉ねぎは葉をくるりと回し、茎に引っかかって転がった。 そのまま、しゃくりあげながら横たわる。


「毎日、ピルエットの練習してたのに…… なのに……生まれた場所が……違ったのよぉ……!」


サロン、即座に突っ込む。


「おめでとう。今度は存在意義に悩む玉ねぎだ」


カエルは顔を覆い、膝をつき、そっと茎をつかんだ。


「……ごめん。本当に、ごめん」


カエルがそう呟いた瞬間──


「やだぁぁぁっ!!わたしじゃないっ!! 隣のスミカにしてっ!!あの子のほうがずっと辛口よぉぉ!!」


サロン、毒気たっぷりに。


「スミカは苦手だ。お前でいい」


カエルは引き抜いた。


──スポッ!


袋に入れる前、一瞬だけ手が止まった。 喉の奥が詰まるような、そんな感覚。


「……あの子、ただ踊りたかっただけなのにな……」


サロンが金属音を鳴らしながら、皮肉たっぷりに返す。


「今ごろ、フライパンの上で踊ってるさ。 人生ってのは、そういうもんだ」


歩き出す。 そして──次の玉ねぎは、明らかに年季が入っていた。


葉は黄ばんで、皮はしわしわ。 目は小さく、声はかすれていた。


「はぁぁ……また来たのかい…… 最近の若いもんは、すぐ引っこ抜こうとする…… 昔はね、土の中で自然に枯れるまで待ったもんさ…… 今はもう、せっかちで、乱暴で……」 弱々しく咳き込む。


カエルはサロンを見た。 目を見開き、動揺を隠せない。


「……年寄りだよ。これ、もう犯罪じゃん……」


サロン、冷たく一言。


「そうだな。これはもう、植物界の高齢者虐待だ。 さあ、やれ」


「やめておくれ……お願いだから…… ああっ、坐骨神経が……いたた……」


葉っぱを腰に当てながら、苦しそうに呻く。


カエルはそっと茎を握った。 その目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「……ごめんなさい、おばあちゃん……」


「分かってたよ……こうなるって…… うちの孫たちに伝えておくれ…… あんたたちは……モンスターだよ……モンスター……」


最後の咳とともに──


──スポッ!


袋へ、ぽい。


カエルは深く息を吐いた。 目は赤く、声も出ない。


サロンも、しばらく沈黙していた。 そして、鞘がわずかに揺れた。


「……あれは……キツかったな。認めるよ」


「……まだ、いくつか残っていた。 ──たぶん、最悪のやつらが。」

ここまで読んでくれて、ありがとうございます。


はい、読んだ通りです。泣く玉ねぎ、誘惑する玉ねぎ、嘘をつく玉ねぎ、哲学する玉ねぎ。 そして、はい。自分でも「どうしてこうなった?」って思ってます。


ただの簡単な依頼のはずが、気づけば感情と植物のトラウマ収穫祭に。


笑ってくれたなら嬉しいです。 もし泣いたなら……カエルにちょっと共感しすぎかもしれません。


後編もすぐ始まります。 畑は、まだ彼らを許していません。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ