第15話 - 記録番号438:「玉ねぎ、カエル、そして沈黙」
「もし気にするつもりだったなら、別の職を選んでた。」
アンセルムの街に、また朝が来た。
太陽は昇った? たぶん。けど、昇るだけで十分なのか…それとも、闇が終わったふりをするための儀式?
私は誰?
エルフ。年齢はY。働きすぎてる。
なぜ?
神罰。少なくとも、私はそう呼んでる。
毎日、野蛮人、酔っ払い、ボロボロの冒険者たちと向き合う。
選択肢はそれだけだった…「蛇の眼」という酒場で働くか、ギルドのカウンターに立つか。
喫煙するゴルゴンに罵られるか、空気読めないドワーフに絡まれるか…その中で私はギルドを選んだ。
でも…本当に選んだの? それとも、書類仕事に選ばれただけ?
ここでは、すべてが依頼。すべてが報酬。すべてが、失敗を「挑戦」と呼ぶための言い訳。
彼らは来る。汗まみれで、泥だらけで、傷だらけで。助けを求める目で…いや、生き続けるための言い訳を探す目で。
そして私は?
判を押す。記録する。観察する。
でも…観察することは、理解することと同じなの?
今日も、昨日も、明日も…彼らは来る。
その中に…彼がいる。
カエル。
なぜ、彼はいつも戻ってくる?
根性? それとも、ただのバカ?
なぜ…私は彼の名前を覚えている?
たぶん、彼は剣と話すから。
たぶん、剣が彼に話しかけるから。
たぶん…混沌の中で、彼はまだ「挑戦」しようとしているから。
でも、「挑戦する」って、十分なの?
それとも、迷っていないふりをするための手段?
ギルドの鐘が鳴る。誰かが入ってくる。
また一日。新しい依頼。
そして、答えのない問い。
私は…歪んだ眼鏡を直す。
そして、待つ。
彼が入ってきた。
カエル。
常習者。火事の男。水車小屋の男。失敗の男。
でも…失敗することって、才能? それとも、報われない天職?
肩にかかる擦り切れたマント。挑戦する前から敗北したような目。
そして剣。サロン。喋る刃。金属の叫び。皮肉と絶望の相棒。
彼らはギルドのカウンターへと歩く。まるで世界の重みを背負っているように…いや、自分の選択の重みか。
カエルは巻物を木の台に叩きつける。まるで尊厳を投げ捨てるように。
「カルセン村の防衛。ゴブリン。四体。」
四体のゴブリン…それとも、四つの村?
私は目を上げずに尋ねる。記録帳の方が、冒険者の記憶より信頼できる。
彼はためらう。目が震える。忍耐が蒸発する。
「ゴブリン四体。村は一つ。そこに書いてあるだろ。」
書いてある…でも、完了してるの?
剣が震える。侮辱されたように。言葉が刃になったかのように。
「今言っただろ、文字読めるモグラ女!」
文字読めるモグラ…面白い。でも、愚か者は誰? 喋る剣か…剣と喋る男か?
私は歪んだ眼鏡を直す。仕草。盾。署名。
「で、あなたが…剣?」
「このままバカ続けるなら、喉を切り裂く剣だよ!」
脅し。演出。三幕の悲劇。
彼女は唸る。彼はため息をつく。私は判を押す。
「…任務完了の印を押せばいいんでしょ。」
物理的な印…それとも、存在の印?
剣が身をよじる。斬りたい。罰したい。存在したい。
私は肩をすくめる。魔法の印章が青い煙を立てる。儀式。習慣。
「完了です。でも…任務って、本当に完了することあるのかな?」
剣が私の魂を耳から引きずり出そうとする。
カエルがなだめる。剣には肺がない。私には忍耐がない。
「ゴブリン四体で銀貨二枚…満足感は?」
彼はコインを受け取る。疲れて。敗れて。けれど、まだ諦めない。
「金は金だ。次は?」
次?
唾吐き草、七本。
でも…その名前の由来、考えたことある?
剣が震える。彼はため息をつく。私は観察する。
彼らは去る。扉を押し開ける。混沌を連れて。
そして私は?
残る。
巻物には印が押された。
問いには、まだ答えがない。
そして…彼がまた戻ってくるかもしれないという、妙な予感。
でも、戻るって…選択?
それとも、執念に化けた運命?
市場は騒がしかった。叫び声、硬貨の音、約束。パンと埃と絶望の匂い。
私はギルドを出るのが好きじゃない。でも…時には、書類仕事にも呼吸が必要。
屋台の間を抜け、売り子と答えたくない質問を避けながら歩いた。
そして…見た。
カエル。
「明日のパン」のオークと話していた。
オークは預言者のように身振りを交え、カエルは混乱した弟子のように聞いていた。
でも…「明日のパン」って、何?
約束? 嘘? 比喩?
彼はパンを握っていた。まるで答えを握るように。でも…彼は問いを知っていたのだろうか?
私は近づかなかった。話しかけなかった。ただ、観察した。
そして…なぜ観察したのか?
好奇心? 退屈? それとも…名前をつけたくない何か?
私は歩き続けた。玉ねぎと安っぽい哲学の匂いを後にして。
「蛇の眼」が私を待っていた。
酒場。巣窟。希望を装うことを諦めた者たちの避難所。
サルガがいた。いつものように。戦争を生き延びたような葉巻を吸いながら。
「ほらほら…書類女が巣から出てきたぞ。」葉巻を口にくわえたまま、彼女は唸った。
「で、あんた…まだ死んでないの?」私は無表情で返した。
「毎日ちょっとずつ死んでるさ。でもこの葉巻が私を生かしてる。」咳き込みながら、理論を証明するように言った。
私はカウンターに座った。彼女は液体らしきものを注いだ。名前も目的も聞かなかった。
「で…」煙を吹きながら彼女は言った。「あのガリガリ、また来たのか?」
沈黙。
カエル。
なぜ彼女は聞いた?
「いつも戻ってくる。」私は乾いた声で答えた。
「そして、あんたはいつも気づく。」彼女は歪んだ笑みを浮かべながら言った。知りすぎてる者の笑み。
「気づくのも仕事のうち。」私は嘘をついた。
「仕事外で考えるのも…そうなのか?」咳き込みながら、彼女は笑った。
私は答えなかった。答えることは、認めること。そして認めるのは…私の流儀じゃない。
彼女はコップを拭いた。コップより汚れている布で。
「気をつけな、エルフ。感情を持ちすぎると、この街に飲まれるぞ。」目を合わせずに言った。
「じゃあ…感情を持たない者は、もう飲まれたの?」私は、思わず聞いてしまった。
彼女は答えなかった。ただ咳き込んだ。その沈黙は、どんな答えより重かった。
私は飲み終えた。支払いは硬貨と…心に残したくない思考。
酒場を出た。空は紫だった。何も約束しない色。
そして私は?
ギルドに戻った。
だって…他にどこへ行ける?
もし…誰かに気づくことが、最初の過ちだったら?
それとも、最初の奇跡?
数日が過ぎた。
いや…そんなに経ってないかもしれない。
アンセルムの時間は奇妙だ。悪いワインのように流れる——遅くて、粘ついて、後悔の味。
カエルは現れなかった。
そして私は…まだ彼のことを考えている。
なぜ?
特別ってわけじゃない。記憶に残るようなことをしたわけでもない。ただ…存在してる。それだけなのに、なぜか気になる。
たぶん、彼の「聞き方」だ。言葉一つ一つを手がかりのように受け取る。世界はまだ解読できると信じてるような。
バカだ。
今日、彼は戻ってきた。
失敗した任務の重み——そして、泣きたくなるほどの玉ねぎを背負ってギルドに入ってきた。
文字通り。
匂いが先に来た。玉ねぎ、汗、そして敗北。
「任務完了…まあ、なんとか。」彼は笑おうとした。
私は答えなかった。ただ見つめた。
彼は何かが違っていた。見た目じゃない。でも…目の奥に、あるはずのない何かがあった。
希望?
違う。そんなはずない。
彼は報告書を差し出した。どもった。冗談を言おうとした。誰も笑わなかった。
私は笑うべきだった。皮肉るべきだった。無視するべきだった。
でも…沈黙した。
それが、私にとって最悪の兆候。
沈黙は、思考が叫ぶ時。
彼は去った。私は残った。
玉ねぎの匂いと…問いかけたくない疑問と共に。
なぜ、まだ彼のことを考える?
なぜ、まだ気づいてしまう?
なぜ…彼が話すと、一瞬だけ世界が意味を持つように感じる?
そして…彼が黙ると、何かが欠けているように感じる?
たぶん…玉ねぎのせい。
もしかして…名前をつけたくない「何か」の始まりかもしれない。
もし、そうだったら?
もし…感情を持つことが避けられないなら?
いや。今じゃない。
彼じゃない。
私じゃない。
でも…もしも?
ギルドの扉が軋んだ。
カエルが入ってきた。
その後ろに、いつもの「陽光の一閃」パーティー。レオンは胸を張り、シルフィーはくるくる回り、エルレンは韻も踏まない歌を口ずさんでいた。
カエルは…ただ通り過ぎた。
周囲を見ず。何も言わず。
サロンが微かに鳴った。控えめに。
彼らはカウンターに来た。
私はそこにいた。
「任務?」私は目を上げずに尋ねた。
レオンが前に出る。ショーウィンドウの笑顔。
「無事完了しました!」拍手を期待してるような声。
「無事…それとも、ただ生き延びただけ?」私はページをめくりながら呟いた。
シルフィーが手を振る。エルレンがリュートを回す。カエルは黙ったまま。
「報告書は?」私は手を差し出した。
カエルが渡す。くしゃくしゃの紙。急いだ字。
「全部書いてある。」低い声。
私は彼を見た。一瞬だけ。
何かが違う。
いや、違わないかもしれない。
報告書をめくる。判を押す。
「報酬はカウンターに。」感情なく告げる。
レオンが礼を言う。シルフィーが微笑む。エルレンが歌う。カエルは…ほんの少しだけ、そこに留まった。
そして背を向けた。
去った。
私は本に戻った。
でも、なぜか…次の行を読まなかった。
ただ、そこにいた。
考えていた。
なぜ?
どうでもいい。
ページをめくる。
机には、叫ぶカエルの報告書がまだ残っていた。
判は押された。処理済み。でも…忘れられてはいない。
あのカエル、まるでオペラの訓練を受けたかのように叫んでた。泣き虫玉ねぎたちは別のショー。ギルドは入場料を取るべき。
私は本を閉じた。コートを手に取った。酒場へ向かった。
「蛇の眼」は混んでいた。希望に対して、人数が多すぎる。
サルガはいた。いつものように。三つ半の王国で違法とされてそうな何かを吸っていた。
「またあんたか。」目を合わせずに言った。
「私はずっとここにいた。」私はカウンターに座った。
彼女は、疲れた石から抽出したような液体を注いだ。
「任務、ひどかった?」煙を吹きながら尋ねた。
「叫ぶカエル。泣き玉ねぎ。眩しすぎるパーティー。」私は要約した。
「…ああ、普通の日ね。」咳き込みながら言った。
飲んだ。喉が焼けた。
「泣き玉ねぎって…本当に泣くの? それとも、泣くべきだったことを思い出させるだけ?」思わず聞いてしまった。
サルガは笑った。乾いた、割れた音。
「野菜について哲学し始めたら、相当ヤバいわよ。」
「うん。」私は答えた。
沈黙。
いい沈黙。
貴重な沈黙。
彼女は、戦争を生き延びたような布でコップを拭いた。
「ギルドに戻るの?」尋ねた。
「そのうちね。」私は言った。
「それまで?」
「それまで…世界が意味あるように見せかける。」
彼女はもう一杯注いだ。
それ以上、何も聞かなかった。
その方がいい。
カエルが特別任務を求めた。
もちろん、求めるよね。
みんな求める。でも、理解してるのは少数。
私は巻物を取り出し、横の扉を指差した。
「たぶん、あっち。あるいは、ないかも。」感情なく言った。
サロンが鼻を鳴らした。カエルは進んだ。
階段を上がる。木が軋む。まるで存在そのものに文句を言ってるように。
私が前。彼が後ろ。言葉はなし。
ギルド長の部屋の扉は、武装した実存主義の攻撃を生き延びたような風貌だった。
私はゆっくり押した。
「ここがギルド長の部屋かもね…あるいは、誰も戻ってこない井戸の口かも。」私は呟きながら入った。
クロトはそこにいた。いつものように。生きた岩。角を持ち、言葉はまるで布告。
会話はいつも通りだった。断言、否定、岩の哲学。
カエルはついていこうとした。サロンは皮肉で爆発寸前。
私はただ、観察していた。
手紙が机にふわりと舞い降りた時、私は「その時」が来たと悟った。
「たぶん…いや、たぶんじゃなくて…今なら、二人きりにしてもいいかも。」眼鏡を直しながら言った。
クロトが手で合図した。私は部屋を出た。
扉をゆっくり閉めた。
階段を下り、カウンターに戻った。
数分後、カエルが通り過ぎた。
何も言わず。
目も合わせず。
去った。
私は本のページをめくった。
思考が走る。
彼は私に話しかけなかった。
そして私は、それを期待していなかった。
ギルドの鐘が、時間外に鳴った。バードがよろめきながら入ってきた。絶望に刻まれた顔。震える声。神が堕ちるのを見たような目。
「誘拐だ!」恐怖に足を取られながら叫んだ。「剣を持った戦士…喋る剣…彼を連れて行った!」
私は動かなかった。冷たさではなく、役割として。私たちの間の机は、ただの木ではない——それは規則であり、盾であり、私が感情を持たないためのすべて。
「誘拐の届け出は、街の衛兵の管轄です。」目を上げずに言った。
「間に合わないんだ!」彼は懇願した。声は壊れ、震えていた。「彼だった…玉ねぎの男…カエルのバカ…カエル!」
その名前が、胃に拳を打ち込むように響いた。でも、私は反応しなかった。彼は震え、私はページをめくった。
「衛兵へ報告を。」私は固く言った。まるでその硬さが私を守ってくれるかのように。
バードはためらった。扉を見て、私を見て、床を見た。死、時間、運命について何かを呟き——そして走り去った。扉が音を立てて閉まった。ギルドは、空気より重い沈黙に包まれた。
私はページをめくった。でも、読まなかった。
呼吸が止まった。胸が締めつけられた。奇妙な熱が喉を上がり、そこで消えた。飲み込まれた。いつも言わないものと一緒に。
その名前は、記憶ではなく、傷として響いた。
カエル。
バカ。無謀。迷惑。でも、生きていた。いつも戻ってきた。いつも、歪んだ笑顔と、前よりひどい話を持って。いつも、存在しすぎる癖を持って。
もし、今回は戻らなかったら?
違う。私の問題じゃない。友達でもない。何でもない。
でも、その名前は残った。解決しない不協和音のように。答えのない問いのように。痛むはずのない不在が、痛むように。
私は本を閉じた。別の本を開こうとした。でも、できなかった。
ギルドは沈黙のまま。そして、初めて——誰かが入ってくることを願った。誰でもいい。彼以外なら。
なぜなら、もし今カエルが入ってきたら…私は、自分に残ったものをどうすればいいか分からない。
私は本を閉じた。蝋燭を消した。規則では、最後の記録まで灯しておくべきだった。でも、記録はなかった。ただ、不在だけ。
不在は、記録できない。
私は立ち上がった。椅子を整えた。扉を一秒長く見つめた。
そして、何も言わずに去った。
何も考えてないふりもせずに。
でも、その名前は——記憶の歯に挟まったままだった。
カエル。
カエルが戻ってきた。
彼女は気にしてないふりをした。
俺は気づいてないふりをした。
みんな、それぞれの役を演じてる。
誰も、それを本気で信じちゃいない。
任務は続く。
プロトコルも同じく。
感情?印鑑付きじゃなきゃ、無効。
彼女は「巻き込まれない」と言う。
もしそれが本当なら、このエピソードは存在しない。
そして俺がこれを書く必要もなかった。




