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The Sword That Hates Me (But Is Better Than Me)  作者: 神谷嶺心
第1章 カエルとタロン──予言か、呪いか?
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第13話 — まだ乾かぬ肉と気配の裏道

「すべての脅威が吠えるわけではない。 あるものは、干される途中の肉と静寂の中に隠れる。」



ギルドの扉をくぐった瞬間、古い木材の匂いと汗、安酒の混ざった重たい空気が彼らを包み込んだ。 遠くで誰かが叫ぶ声がかすかに聞こえ、緊張の中で木製の床がわずかにきしむ。


薄暗い空間の隅では、冒険者たちが笑っていた。 汚れた服、臭い体、地獄から帰ってきたような薄ら笑い——それが「コチンチョ」たちだった。


「アイツが…カエルか?あの“太陽の一閃”のメンバー」 「叫ぶカエルの最後の一撃、あれはコイツだったってさ」 「伝説級の魔物相手に…なんであんな奴が勝てたんだ?」


カエルはその視線を感じた。鋭利な刃のように突き刺さる目線。 背筋に熱い鉄棒でも差し込まれたかのように緊張が走る。


足音を響かせながら、彼はギルドの奥へ進んでいく——そこは栄光と失敗の物語が集う場所。 焼けた蝋の匂いに、冷えた湿気と安酒の酸味が混ざる。 黄色い炎が揺れ、壁に飾られた古地図と錆びた武器の影が踊る。


受付の前に立つと、眼鏡の女性は埃まみれの本から顔を上げなかった。


「ご用件は?」 細く乾いた声、眼鏡が鼻から落ちそうで、ゆっくりとそれを直す。


「新しい依頼を。手短に」 カエルは言葉をテーブルに叩きつけるように吐き出す。


沈黙。彼女はページをめくる手を止めて、思案するかのように言った。


「新しい依頼…それとも、古びた繰り返し?」


カエルは深く息を吐いた。忍耐が限界に近づいている。


「新しい。意味のある依頼を。無駄は嫌だ」


「無駄…とは?それとも時間を稼ぐ知恵かしら?」 ほとんど見えない微笑みを浮かべたまま、彼女は言葉の罠をしかける。


サロンが声を響かせる。


「時間なら、お前は浪費の達人だな」


受付嬢はようやく視線を上げる。カエルを真っ直ぐ見つめる。


「あなた…誰?本当にここにいるべき人?」


眼鏡がさらに落ちそうになりながらも、問いは鋭い。


「カエル。剣の使い手…戦士だ」


短く、疲れた返答。


「戦士…?それとも剣を持って歩くだけの者?」


サロンがイラついて鼻を鳴らす。


「尋問か?依頼を受けに来たんだぞ。演劇じゃない」


彼女は答えず、黄ばんだ羊皮紙を広げてテーブルに並べる。


「依頼…それとも試練?あなた、本当に準備はできてる?」


「何をすればいいか、早く言ってくれ」


「私たちの依頼があなた向きではないなら? あなたが、依頼にふさわしくないなら?」


サロンが目を細める。


「もういいだろ。核心を言えよ」


受付嬢は息を整え、眼鏡を直して、声を潜めた。


「特別依頼…その意味、理解してる?それとも私が定義するべき?」


カエルは喉を鳴らして答えず、静かに息をのむ。


「特別依頼?私に…?」 「あなたに?それとも、あなたではない誰か?受けますか?逃げますか?」


カエルは疲れ切った声で叫んだ。 「受ける!俺がやる!」


彼女は笑みを浮かべながら、問いを続ける。 「受ける…では、誰が依頼を渡すか知ってますか?自分で見つけたいですか?」


「言えよ、もう…」


「ギルドの長…誰か分かりますか?それとも私が説明すべきですか?」 視線はサロンへと移る。


サロンは乾いた声でつぶやく。 「やっと、まともな話…か?」


「会いに行くのか?」


「会いに?それとも罠に?依頼か?試練か?準備はできていますか?」


カエルは首を振り、ついに立ち上がる。 「行く。ギルドの長に会うには、どこだ?」


受付嬢は静かに微笑み、小さな巻物を手に取り、横の扉を指差す。 「こちらかも?それとも、違う?」


サロンは爆発寸前だった。 「これ、拷問かよ!」


彼女はゆっくりと回り、無言で扉を開ける。 奥には、薄暗い木製の階段が伸びていた。


「この先…ギルドの長への道ですか?それとも意味のない階段ですか…?」


カエルはサロンと視線を交わす。彼女はもう登り始めていた。木がきしむ音が、問いのように響く。


彼らは黙って後を追った。 目指すは長か。あるいは、ただの問いの渦か。


階段の終わりには古びた扉があった。 鋭利な何かで引き裂かれたような傷跡が深く刻まれている。


受付嬢はゆっくりと扉を押す。


「ここ…ギルドの長の部屋ですか?それとも帰れぬ穴の入り口でしょうか?」


彼女は中に入る。 カエルは拳を握り、呼吸を整えて後を追った。


部屋の空気は異質だった。 古木の匂い、錆びた鉄、そして…硫黄。


荒削りの机の奥、黒い皮膚と後ろに曲がる角。 火のような目を細め、指を顔の前で組んだ男が座っている。


笑っているようで笑っていない。 それは脅威か。あるいは、ただの習慣か。


彼は動かず、そして語った。


「俺はクロト。ギルドの長だ。ここに在る者は、在るべき者。 在るべきでない者は、入らない。もし入れば、戻れない。」


カエルは一歩踏み出す。その肩に重みが落ちる。


サロンが低くつぶやく。 「…好きだな、この人…」


受付嬢は眼鏡を整え、手を後ろで組み、首を傾ける。


「…この者、本当に長でしょうか?ただの名も無き魔族が演じているだけ…?」


クロトは微動だにせず。 指先を締め、炎のような目をさらに細める。


「俺はクロト。偽らない。俺は俺だ。 俺であることは、俺が変わらなかった証だ。」


「…でも、もしかして…一度も本物じゃなかったのでは?」


「俺だ。ずっとそうだ。“前の前”よりも、前から。」


カエルは視線を巡らせた。サロン、受付嬢、そして角を持つ男。 まるで狂った織物の中に、一本の論理の糸を探そうとしているようだった。


サロンは笑いを押し殺しながら呟く。 「これ…舞台劇か?それとも、存在のプログラムにバグ出たか?」


クロトは剣には目もくれず、その目で骨を透かすようにカエルを見ていた。


「お前は…“叫ぶカエル”の任務を遂げた者。 最後を決める者。迷わぬ者。渡す者。お前は、在る者だ。 そして在る者は、ここに来る。」


カエルは瞬きした。 「…俺が、そんな…?」


受付嬢はわずかに顔を傾け、薄く口元に笑みを浮かべる。


「それとも…ただの運かも。 宇宙の手違い?…もしくは、うまく語られた嘘…?」


クロトの指が力を込める。 角が闇の中でわずかに光を帯びる。


「運など無い。あるのは、行動。 行動する者が在る者。行動しない者は…存在しない。」


受付嬢は眼鏡を直しながら首を傾けた。


「でも…行動する者も本当に在るのか…? ただ“在るつもり”になっているだけでは…?」


「在る。俺は、そう断言する。」


サロンは笑いが抑えきれず、椅子の上でよじれる。 「もうダメだ。公式に狂ってる。 現実の刃が鈍って、ただの石にぶつかってるぞ」


受付嬢は静かに息を吐き、手元の紙を整えながら言う。 「では…たぶん、そう… 今こそ、私が席を外す時。 …もしくは、そう見せるだけ?」


クロトは手をゆっくりと振る。無表情のまま。


「任務は終わった。君は理解している。 理解している者に、俺は何も問わない。 だから、終わったのだ。」


受付嬢は眼鏡を直し、ゆっくりと背を向ける。 そして出て行く前に、囁く。


「…でも本当に終わったのか? …終わってないのでは?」


扉が静かに閉まり、重たい沈黙が部屋を包む。


サロンは声を震わせながら吐き出す。 「はい、もう人質ですね。 “肯定しかできない悪魔”の哲学に捕まった…素晴らしい。」


カエルは大きく息を吸い込む。ほぼため息に溺れていた。


「…俺、ちょっと…目眩してきたかも」


クロトは手を握り直す。 その目は半開きの炭火のように燃えていた。


「今こそ、話す時。 俺が語る。語るなら、それは真実である。」


沈黙がサロンよりも鋭かった。


カエルは再び息を吸う。 肺の中に疑問の余地はもう無いと信じながら。


「…たぶん、準備はできてる。 特別依頼って…何なんだ?」


クロトは身を乗り出す。 指を組んだ手をほどき、机の上に音を立てて置いた。 鈍く、そして重い音。まるで判決のよう。


「一通の手紙。」


「…手紙?」 カエルは眉をひそめる。


「そう。手紙。届けるもの。定められた道。証となるもの。」


サロンは笑い声を爆発させる。 それは石を引きずる釘のような音だった。


「HAHA!特別依頼って…鳩かよ! 紋章も運ぶのか?帽子でも被せるか?これ、本気で言ってる?」


「本気だ。」 クロトは微動だにせず言い放つ。


「その手紙は、誰も届けられなかった。 挑戦した者は皆、敗れた。 理由は恐怖。弱さ。…そして、覚悟の欠如。」


カエルは片目を見開き、 そのあまりに重苦しく語られた“郵便”の実態に混乱する。


「…でも、ただの手紙だろ?」


「手紙だ。だが、その手紙は届かなければならない。 東の門を越え、“七つの叫びの山”を登り、“反響の森”を渡る。 そして、見える世界の果てにある孤独なる城へ。 それだけだ。」


サロンはぼそっと呟く。


「“それだけ”だってさ…まるで破滅劇のタイトルだな。 見えぬ世界の果ての城?週末は詩でも書いてるのか、角男?」


クロトは静かに答える。


「俺は真実しか語らない。その手紙には“叫ぶカエル”を討ち果たした者が必要だ。 その者は、お前だ。」


カエルは額を掻いた。熱でも出たような仕草。


「…なるほど。 叫ぶ太ったカエルを斬っただけで世界の果てまで行けと?完璧だな。さすが、これが勇者選抜か。」


その瞬間、クロトは立ち上がった。 室内の光が彼の腕の魔族紋を照らし、体格が倍増したように見える。


彼が手を差し出すと、黄金の印が刻まれた手紙が空中に舞い、カエルの前で静かに机に降りた。


「持て。」


「…届けるだけ?」


「届ける。果たす。価値ある者となれ。」


サロンがぶるぶる震えながら叫ぶ。


「今年一番の英雄譚だな!劇場公開間近: 《カエルと紙の呪われた使命》!」


「黙れ、サロン。」


クロトは腕を組み、冷たく続ける。


「行け。君たちには、他の者にはないものがある。」


「…なんだ、それ?」 カエルが手紙を持ち上げながら尋ねる。


「喋りすぎる剣。」


サロンは叫ぶように笑った。 その足元の木材が震えるほど。


「クソッ…ちょっと好きになったかも、この野郎。」


クロトは背を向ける。すでに物語は動き始めていた。


「君たちはやり遂げる。俺はそう決めた。」


カエルは手紙を握り、苦味の残る覚悟と共に扉を開けた。 サロンは腰で揺れながら、歩くごとに笑いの気配を振りまいている。


彼らは無言で階段を下りていく。 一段一段が、紙切れの重みを語っていた。


そして、ギルドの外へ出た。 まだ不穏な空気の残る朝だった。


カエルは深く息を吐く。


「よし…始めるか。」


「最高だ。 呪われた城で死ぬって、前々から憧れてたんだよな。」


カエルは街の大通りで立ち止まる。 古びた布の日除けと、色褪せた旗の間から太陽が差し込む。


彼は静かに宣言する。まるで聖なる使命であるかのように。


「明日のパンはもう無理だ。干し肉が欲しい。」


サロンは刃のようなツッコミを小声で放つ。


「おっと、王様がご所望だ。 プロテインを欲するとは高貴な流儀。 次の“明日のパン”には、また盗賊ニンジャが付いて来るかもな?」


カエルは目をぐるりと回し、言葉にも疲れをにじませる。


「…さっさと行くぞ。もうそれ言うな。」


「再会したら、歌う予定だからな」 サロンは鞘の中で一人笑っている。


彼らは狭い道を進む。 乾いた革の臭いが漂う小道、歪んだ路地、頭上には洗濯物。


そして…また、それは訪れた。


あの“気配”。冷たい。重たい。沈黙より濃い。


カエルは立ち止まり、息を止める。


その目は、闇を貫いていた。


「…今の、感じたか?」


「感じたって? また窓際に吊るされた気分だよ」サロンがぼやく。 「お前の影が妙だぞ。魂の皮でも剥がされてるか?」


「誰も見えないけど」


「死んだ奴も見えないんだよ。 早く行こうぜ。飾りにされる前にな」


彼らは足早に進む。


そして現れたのは市場。 布の屋台、歪んだテント、怒鳴り声、鐘、犬の吠え声——カオスが壁のように立ちはだかる。


その雑音の中、妙な迫力のある声が響く。


「干し肉だよー!」


「今は湿ってるけどね… 屋根の上で昼まで干せば、おやつになるよ!」


カエルは屋台へ向かう。 その表情は、諦めと羞恥の中間地点。


「…少し分けてくれ」


「何枚?濡れてる方?それとも… 乾きかけてる方?」


サロンは震えながら呟く。


「肉を買うのか? 説明書付きの肉なのか?」


カエルは無言で返す。


「見た目が一番乾いてるやつをくれ」


「ほら、これだな。もうすぐ乾きそう。 あと二時間太陽に当てれば…水滴止まるかもな」


商人は、古びた靴下のような肉片を差し出す。


カエルは硬貨を置いて、布に包んで離れた。


後ろから、商人の陽気な声がまだ追ってくる。


「ありがとよ、冒険者! 忘れずに日向に干してくれよ!HAHAHA!」


カエルは背を向けたまま手を上げた。 羞恥が振り返る余裕を奪っていた。


「それだよな」 サロンが鋭く囁く。 「魔法の手紙を託された英雄、そのスポンサーが湿り肉。 “明日のパン”の方がまだ誠実だったな」


「…黙れよ、ほんとに」


市場を抜けていく彼ら。 腐りかけの果物の香り、偽の首飾り、穴の空いたコイン、 “運”と“男らしさ”と“敵にゆっくり死を”という効能を持つお守り——全部ひとつの屋台で売られている。


彼らは裏路地へ。 その先、影が戻ってくる。


今度は…街の騒音が、警告をかき消していた。

この章を書き終えた時、心に残ったのは“声より重い静寂”だった。 市場は騒がしい。肉は乾ききっていない。冒険者たちは笑っている。だが、どこかに沈んでいる“気配”は、それを見ていた。


カエルとサロンはふざけながら歩く。 肉を買う英雄。恥と任務を混ぜた旅。 でもこの章が本当に語っているのは、“気配の始まり”だ。


物語のペースは加速している。 裏道に差し込む影は、偶然ではない。 この肉の章を笑いながら通過した読者も、きっと気づいたはず。 何かが、待っている。


そしてそれは次のページに潜んでいる。

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