雑記 譲れない理屈と感情
――「……それでも、私はあれが正しいと思っている」
資料館の奥、記録室の片隅にある静かな休憩スペース。
夕方、誰もいないと思っていたそこに、マールは本を持って入ってきた。
だが、すでに座っていたのはレオンだった。
「おやまあ。珍しいわね、あんたがここに来るなんて」
「静かな場所を探していたんだ。誰にも話しかけられないと思ってな」
「その目的、今ここで破綻したわね」
レオンはにやりと笑いながら、紙コップのハーブティーをひとくち啜った。
「ネーヴくん、推薦出せたわね」
「ああ。君の言葉が効いたようだ」
「ふふん、でしょう?アタシ、説得力には定評あるのよ」
「……ただの直感にしては、理屈の通りがよかった。君にしては、な」
レオンはわざとらしく手を胸に当ててみせた。
「あら失礼ねえ、“感覚派”にも矜持はあるのよ?
ていうか、あんたのほうが珍しく引いたじゃない。なんかあったの?」
マールは一拍置いてから、机に本を置き、ぽつりと答える。
「……あの子、“僕の言葉で誰かが楽になるなら”って言っただろう。
あれは、数字でも証明でもなくて、“信じる”と言った。
私は、そういう言葉が一番信用ならない。けれど、今回は──」
「それで、認めたわけね。少しだけ」
「……私は、あの子の“迷い方”が嫌いじゃない。
疑って、止まって、それでも言葉を選んだ。
直感で動く者より、ずっと深く、誰かを見ていた」
「……やっぱあんた、厳しいけどちゃんと見てるわねぇ」
レオンは小さく笑って、立ち上がった。
「じゃ、アタシは食堂寄って帰るわ。甘いものでももらってきてあげましょうか?」
「要らん。甘いものを摂取すると、思考が鈍る」
「はいはい、また理屈ね。……でもさ」
振り返りざまに、レオンはひと言残した。
「思考が鈍るくらいの優しさも、たまには必要よ?」
そう言って、軽く手を振って去っていった。
マールはその背中を見送りながら、本を開いた。
しばらくののち、ふっと呟く。
「──そうか。あれを“優しさ”というのか」
ページをめくる指先は、いつもよりわずかに、丁寧だった。