香りの記憶③:残したい記憶
――推薦面談・記録開始
面談官:マール=エトワール
被面談者:第79期訓練生 ミスト=パフュマ
「……つまり君は、“調香師としての独立”を、訓練所推薦で目指したいと?」
マールは面談用の記録紙を片手に、いつものように顎に手を当てながら言った。
香りがわずかに漂う室内。その中心に、ミスト=パフュマは真っ直ぐ座っていた。
「はい。……もう一度、調香師の門を叩きたいです。
前は、“素材を扱えない調香師なんて”って断られましたけど……」
彼は、胸元で軽く手を組んで、ゆっくり言葉を続けた。
「でも僕、自分のスキルを“素材に触れないからこそ再現できるもの”だって思えるようになりました。
香りが残す記憶。感情。……それを、伝えられる人になりたいです」
マールは無言でペンを走らせる。
そしてふと顔を上げた。
「ミスト。君にひとつだけ確認しておきたい。
“香りで人の記憶を引き出す”というのは、時に“癒し”ではなく、“痛み”になることもある。
それでも、その力を使いたいと、君は思うかい?」
少しの沈黙。
けれど、ミストの答えははっきりしていた。
「はい。……それでも、香りで“戻れる”人がいるなら、僕はその“入口”になりたいです」
マールはわずかに目を細め、記録紙を伏せた。
「よろしい。推薦は出す。
“記憶再現型感覚スキル保有者。調香師見習いとして訓練過程優良。推薦を妥当とする”──
この内容で、都市の香料ギルドへ送ろう」
「……ありがとうございます」
ミストの声は小さいが、どこか張りがあった。
「ただし」
マールはその場を離れようとしたミストに、一言、背中越しに言う。
「“調香師”である前に、“残したい香り”がある限り、君のスキルは生き続ける。
──どうか、それを忘れずに」
振り返ったミストは、柔らかく、けれどしっかりと頷いた。
【訓練所記録 第79期生:ミスト=パフュマ】
スキル名:香りの記憶
進路:都市香料ギルド推薦枠・見習い調香師候補
備考:記憶反応を伴う香りの再現に優れ、癒し・心理補助分野にも応用の余地あり
教官メモ(マール=エトワール)
「彼のスキルは“香りを作る”ことではない。
“誰かの記憶に残す香り”を再現し、“忘れたくないもの”を、そっと掬う力だ。
私自身、その香りで失われた過去と再会したのだから」