雑記 記録に残すということ
――「道があれば、人は戻ってこられる」
静かな夜だった。
資料館の2階、旧閲覧室を改装した記録閲覧スペース。
ゼルド=クロイツは、古文書を束ねる手を止めることなく、小さく口を開いた。
「……通気口の図面、書き直しておいた。あの少年、実地での修正精度が高かった」
部屋にいたのは、彼を含めて4人。
壁にもたれていたシュロが、「ふぅん」と気の抜けた声を出す。
「ええ腕やったな。あの子、昔のわし思い出したわ。
若い頃、材料集めやら下見やらで、よう似たような通路ばっか通ってたで」
「そういう時、図面なんてなかったでしょ」
カリナが窓辺の椅子に座りながら、視線を上げずに言う。
どこか、遠い昔を思い出しているような声音だった。
「ないどころか、ろくな地図もなくて、戻ってこられなかった仲間もいた」
ゼルドのペンが止まる。
「“見えていれば戻れた”。そういう死は、記録の不在が原因だ。
道を記録するのは、“次の誰か”を生かすためだよ」
「……通っただけじゃダメなんだなぁ」
シュロがぽりぽりと後頭部をかく。
「通ったあとに、何がどうだったかって残してくれたヤツのおかげで、
次は楽になる。わしら、そういう記録にずっと支えられてきたんやな」
「記録があるから、対処ができる。封印も、結界も、再現も」
奥の壁際に立っていたヴィスが、ぽつりと落ち着いた声で続ける。
「“記録されていない魔”ほど、厄介なものはないから」
ゼルドは黙って、指先で古い記録紙の角を折った。
「“道を見つける者”と“道を記録する者”──両方が揃って初めて、
“次の人”が生き延びられる。どちらが欠けても、命の継承は途絶える」
カリナがふと、視線を窓の外に向けた。
闇に沈む訓練所の敷地、その奥に微かに光るのは、資料館の裏口。
「……通気口だけ、って思うかもしれないけど。
あの子のスキル、“戻れる道を作ってる”んだよね。誰かが踏み外さないために」
「記録と道しるべ。そういうもんは、目立たんけど尊いやつや」
シュロがそう言って笑うと、ヴィスが珍しく少しだけ目を細めた。
「記録は“事実”を語らない。ただ、そこに“あったこと”を残す。
けれど──それだけで、生き残る者の未来は変わる」
ゼルドは最後に、古びた地図の一角にペンを走らせ、こう言った。
「だから私は書く。通った者がいて、戻った道がある限り。
それを残すことが、私にできる“支援”だから」
部屋には静寂が戻った。
けれどその空気は、確かに誰かが通った“道”のように、温かさを残していた。