火起こし(原始型)②:火を囲む夜
――訓練所・第七区画 野営訓練ログより抜粋
天候:高湿度・夜間演習
記録官:マール=エトワール(代行)
夜の帳が下りはじめた頃、丘の斜面に設置された仮設野営場には、訓練生たちが三々五々集まっていた。
「夕食準備訓練を開始する。今日のテーマは“魔導器が使えない状況下での火の確保”。つまり、素の力で火を起こせってことだな」
指導にあたっていたのは、魔法理論教官のマール=エトワールだった。
いつもの三角帽をかぶったまま、彼は魔導記録装置をいじりながら、ちらりと訓練生たちを見回す。
「えぇ……今日は火花スキル使えないんだけど」
「霧のせいじゃない? 気圧の乱れもあるし、呪文ブレ起こしてるかも……」
訓練生たちは慌てて枝を集め、着火魔法を試すが、湿気を吸った木々は燃える気配がない。
その中で、アッシュ=ロートは黙って動き出した。
しゃがみこむと、麻くずと細い薪を手に取り、火打石を構える。
「あれ……ロート? 火、起こせるんだっけ」
「うん。たぶん、やってみる」
焚きつけらしい声がどこかから聞こえたが、アッシュは特に反応せず、黙々と手を動かした。
──擦れる音。こすり棒のリズム。煙、そして──
「……ついた」
訓練生の一人が、息をのんだ。
炎は小さく、だが確かに、アッシュの掌から立ち上がっていた。
「すげぇ……本当に火がついた」
「しかも煙、少な……? 薪の並べ方、変えてる?」
「空気の通り道を……確保してるんだと思う。これ、計算してるよ」
やがて火の周囲に、自然と人が集まりはじめた。
焚き火は訓練生たちの手を温め、光は彼らの顔を照らした。
「アッシュ=ロート、だったか」
マールが近づいてくる。
「はい」
「君の火……これは、ただの火じゃない。“再現性”がある。それが重要なんだ」
「再現性……?」
「魔導実験の制御火──暴走のリスクを下げるためには、魔力に頼らない火種が必要になる。
そのとき、“君の火”は、極めて有効な選択肢になり得る」
「……俺の火が、役に立つ……?」
「立つとも。君の火は、誰かの始まりになれる火だ。
少なくとも私は、そう見た」
その言葉に、アッシュは目を丸くした。
焚き火を囲む輪のなかで、アッシュだけが少しだけ外れて座っていた。
でも、その距離は、最初よりもほんの少しだけ、狭まっていた。
【訓練所記録 第78期生:アッシュ=ロート】
スキル名:火起こし(原始型)
分類:環境依存・実技系スキル(基礎生活・サバイバル補助枠)
実技訓練記録:第七区画 野営演習(夜間)
訓練内容:道具不使用による野外火起こし訓練
天候条件:湿度82%・気温9度・風速2.3m/s(微風)
火起こし成功までの所要時間:42秒
使用素材:麻くず、針葉樹枝(自選)、火打石(貸与)
着火後の持続時間(補助なし):16分
訓練生特性評価(第2次観察)
器用度:C+(手順の正確さはあるが動作に硬さ)
集中力:A(周囲の雑音に影響されず継続)
判断力:B(湿度を見越した材料選定)
協調性:D+(協力要請には応じるが、自発的関与が少ない)
メンタル状態:漸改善。演習後、訓練生間での会話あり。
評価官メモ(記録教官:マール=エトワール)
「技能の安定感は顕著。環境変化下での発火精度は他スキル保持者を凌駕する。
魔力使用者が機能不全を起こした場面において、物理的火起こしスキルが班の生命維持に直結した点は注目に値する。
一方で、自己の価値を語る言葉が乏しく、内省時に“運が良かっただけ”と結論づける傾向が見られる。
次回訓練では他者からの依頼や感謝を明確に体験させ、“自分の火が、誰かに必要とされた”という認識を定着させたい。」