雑記 彼は勇者である前に
――「異世界から来た少年」
訓練所の中庭。
春の風がゆるやかに吹く午後。
木陰に並んだベンチには、3人の教官が腰掛けていた。
「セイル=ミナズキ。異世界召喚者か……」
カリナが手元の記録を閉じながら、ぽつりと呟く。
「最初、肩書きだけ聞いて“また英雄志望か”って思ったけど……全然そんな子じゃなかったわ」
「むしろ、“勇者”って言われ続けたぶんだけ、
“自分でいていいのかな”って不安になってる感じだったね」
サーシャは小さく首を振る。
「知らない世界に突然連れてこられて、“救世主”って言われて。
それでもめげずに訓練受けてるって、私には、すごく強いと思えるけどな」
「適応率は高い。学習スピードも早い。だが、芯が折れやすい傾向」
ヴィスは簡潔に答え、紅茶に口をつける。
「……ほんと、よく頑張ってるわよね。
たぶん最初に“放逐”されたとき、心折れてもおかしくなかったのに」
「……強くなりたい、って言ってたな」
カリナがぽつりと続ける。
「“誰かのために”じゃなく、“自分で強くなりたい”って。
私、それ聞いてちょっとだけ、泣きそうになったよ」
ヴィスは紅茶のカップを置き、静かに言った。
「彼は、勇者ではない。“勇者と呼ばれた少年”にすぎない。
けれど──この世界で生きることを、やめていない。それがすべて」
サーシャが小さく微笑んだ。
「ね。ちょっと、応援したくなる子だよね」
「……教官全員に可愛がられてるって、あの子知ってるのかしらね」
「気づいてないと思う。本人はまだ、ずっと“隅っこにいる”と思ってる」
「……あら、ちょうど来たわよ?」
サーシャが指差した先に、セイルが訓練服のまま駆け寄ってきた。
「失礼します!あの、ヴィス“さん”! 明日の訓練内容、ちょっと確認したくて──」
「“さん”……?」
カリナとサーシャがぴくりと反応する。
ヴィスは一瞬沈黙してから、冷静に返した。
「内容は明日通達。補助訓練枠に変更。詳細後送」
「了解しました!あと……その……あの……」
セイルはもじもじしながら、ちらりとヴィスを見た。
「その……えっと……“女性”の教官って、他にもいらっしゃるんですか?」
空気が、一瞬止まった。
サーシャがカップを持ち上げる手を震わせ、
カリナが目線をそらす。
ヴィスは無言で立ち上がった。
「訓練、10分前倒し」
「えっ、な、なんで!?俺、何かしました!?」
「10分前倒し」
「えっ、こわっ!?あれ!?なんで!?」
去っていくヴィスの背中を見ながら、
サーシャとカリナはそっと目を合わせ──
そして同時に、吹き出した。
「……ふふっ、やっぱりあの子、かわいいわね」