9.決断の時
三日後、魔法省の調査は終わった。彼らは何も見つけることができなかった。エレインは自室で安堵のため息をついた。
「ソフィア、本当にありがとう」
向かい合って座る友人に、エレインは心からの感謝を伝えた。
「当たり前でしょ。でも、このままじゃいつまた調査が来るか分からないわ」
ソフィアは真剣な表情で続けた。
「私の別荘なら、しばらくは放送に使えるわ。王都から少し離れるけど……」
「そうね。でもその前に」
エレインは立ち上がり、窓辺に歩み寄った。雨上がりの庭に虹がかかっている。
「今夜、特別な放送をするつもりなの」
「特別?」
「ええ。今までより、もっと踏み込んだ内容になるわ」
エレインの瞳に決意の光が宿った。
*
その夜、エレインは魔道具を手にしていた。放送開始の時間が近づいている。
「こんばんは、レディ・ミッドナイトです」
いつもと変わらない穏やかな声で、彼女は放送を始めた。
「今宵は、皆さんと特別なお話をしたいと思います。この国の未来について」
エレインは深呼吸した。
「この国には、生まれによって定められた境界線があります。貴族と平民、富める者と貧しき者。そして、その境界線は長い間、誰も疑問を持たずに受け入れてきました」
彼女の声は少しずつ力強さを増していく。
「しかし、人の価値は生まれによって決まるものでしょうか? 私はそうは思いません。真の価値は、その人が何を考え、何を行い、どう生きるかによって決まるのです」
エレインは前世の知識と経験を思い出しながら、言葉を紡いだ。
「先日、こんな手紙をいただきました。『私は平民の子として生まれたため、学問を修めたくても門前払いです。しかし、知識を得たい気持ちは誰にも負けません』」
そして、別の手紙も。
「『息子が貴族の学校で学びたいと言います。才能も努力も十分なのに、私たちの身分では叶わない夢だと諦めさせるべきでしょうか』」
エレインは一瞬、目を閉じた。
「皆さん、考えてみてください。才能ある人々の可能性を閉ざすことは、この国の損失ではないでしょうか。私たちが築くべき社会とは、誰もが自分の才能を花開かせる機会を持てる場所なのです」
部屋の隅で、ソフィアがじっと聞き入っていた。彼女の目には涙が浮かんでいる。
「明日、王立学院では学問の祭典『知恵の広場』が開かれます。どうか平民の方々も足を運んでみてください。知識の扉は、すべての人に開かれるべきなのですから」
エレインは最後にいつもの言葉を添えた。
「あなたの夜が、希望に満ちたものでありますように」
放送が終わり、エレインはソフィアを見た。
「……危険よ」
「知ってる。でも、これが私にできることなの」
*
翌日、王立学院では前例のない光景が広がっていた。
「こんなに多くの平民が来るなんて……」
マルセルは驚きの表情で、学院の前に集まる人々を見つめていた。普段は貴族の子弟しか見られない場所に、町の人々が集まっている。
「ブランシュタイン卿」
声をかけられ、マルセルは振り返った。
「エレイン様、おはようございます」
「学問の祭典を見に来られたのですか?」
「ええ、そして……」
マルセルは周囲を見回し、小声で続けた。
「昨夜のレディ・ミッドナイトの放送を聞かれましたか?」
エレインは心拍が速くなるのを感じた。
「はい、たまたま……」
「彼女の言葉に影響されて、これだけの人が集まっているのですね」
二人は学院の中に入った。展示室では、様々な学問の成果が披露されている。平民の子供たちが目を輝かせて見入る姿に、エレインは胸が熱くなった。
「彼女の放送は、確実に社会を動かし始めています」
マルセルの言葉に、エレインは黙って頷いた。
「エレイン様は、どう思われますか? この変化について」
「私は……」
エレインは自分の本心を探った。
「……必要な変化だと思います。生まれではなく、才能と努力が評価される社会であるべきです」
マルセルの目が温かさを増した。
「私もそう思います。実は」
彼は声を落とした。
「魔法省内でも、レディ・ミッドナイトの放送について議論が起きているのです。彼女を罰するべきか、あるいは公に認めるべきか」
エレインは息を呑んだ。
「あなたは……どちらの立場か訊いてもよろしいのでしょうか」
「私は彼女を支持します。この国には新しい風が必要だ」
マルセルの言葉に、エレインは心の中で感謝した。
二人が展示を見て回っていると、どこからともなく騒ぎが聞こえてきた。展示室の入口付近で、何人かの貴族が平民の一団と言い争っている。
「平民が何故ここにいる! ここは貴族のための場所だ!」
高圧的な声が響く。エレインは思わず足を止めた。
「レディ・ミッドナイトが言っていた。知識はすべての人のものだと!」
平民の若者が反論する。状況は険悪になりつつあった。
「マルセル卿、何とかしないと」
エレインの言葉に、マルセルは頷いた。しかし、彼らが動く前に別の声が割って入った。
「皆さん、落ち着いてください」
振り返ると、学院長のウィリアム・ハーウッド教授が立っていた。白髪の老人は、穏やかな声で語りかけた。
「今日は特別な日です。学問の祭典『知恵の広場』は、知識を愛するすべての人に開かれています。貴族も平民も、ここでは皆、知識を求める者として平等なのです」
教授の言葉に、場の雰囲気が和らいだ。
「素晴らしい」
マルセルがつぶやいた。
「ハーウッド教授は昔から改革派でしたが、ここまで踏み込んだ発言は初めてです」
エレインは感動していた。その様子をマルセルは微笑みながら見つめていた。
*
夕刻、帰り道の馬車の中で、マルセルはエレインに話しかけた。
「今日は素晴らしい一日でしたね」
「ええ」
「エレイン様、一つ提案があるのですが」
マルセルの表情が真剣になった。
「来週、魔法省では視学官を中心に新しい教育制度についての会議があります。貴族のみならず、才能ある平民にも高等教育の機会を与えるという案です」
「それは素晴らしいことでは?」
「はい。ですが、反対派も多い。そこで、ロルファート公爵家として支持を表明していただけないかと思うのです」
エレインは驚いた。公爵家が改革を支持すれば、大きな影響力になる。
「父には相談しなければなりませんが……私個人としては賛成です」
マルセルの顔に安堵の表情が広がった。
「ありがとうございます。実は、今夜もレディ・ミッドナイトの放送で、この件について触れてもらえればと思っているのです」
エレインの心臓が跳ねた。
「どうして彼女に? ……それに内部情報を漏らしてしまえばあなたの身にも危険が」
マルセルはエレインの言葉をそっと遮るように首を振った。
「彼女の言葉には特別な力があります。多くの人の心を動かせる力が」
マルセルの目に熱意が宿っていた。
「彼女に会いたいですね、いつか」
エレインは微かに赤面した。
「彼女はきっと……目立つことを望んでいないのでしょう」
「そうかもしれません。しかし、彼女の声は確実に世界を変えています」
馬車がロルファート邸に到着し、マルセルはエレインの手を取って降りるのを手伝った。
「エレイン様」
彼の視線がエレインを捉えた。
「あなたにも……伝えたいことがあります。今度、お時間をいただけますか?」
エレインの胸が高鳴った。
「はい、喜んで」
*
その夜、エレインは再び放送の準備をしていた。今回は王立学院での出来事と、マルセルから聞いた教育改革の案について話すつもりだ。
放送を終えた後、彼女は深く考え込んでいた。彼女の言葉が確実に社会を動かし始めている。喜ばしいことだが、それは同時に責任の重さも意味していた。
翌朝、驚くべき知らせが届いた。
「お嬢様、大変です!」
ローザが慌てて部屋に飛び込んできた。
「何かしら?」
「魔法省の長官が声明を出しました。レディ・ミッドナイトに正式な放送許可を与えるという案が議論されているそうです!」
エレインは言葉を失った。
「ただし、彼女が正体を明かすことが条件だそうです」
ローザの言葉に、エレインの心が揺れた。正体を明かすこと。それは公爵令嬢としての立場と、レディ・ミッドナイトとしての活動が直接結びつくことを意味する。
決断の時が来たのだ。
書斎で考え込むエレインのもとに、一通の手紙が届いた。マルセルからだった。
『拝啓、エレイン様
魔法省の最新の動きについてはご存知でしょうか。レディ・ミッドナイトの件です。彼女の活動を公認する方向で話が進んでいます。
ただ、私には一つの懸念があります。彼女が正体を明かした時、貴族社会がどう反応するか。彼女を保護できるのか。……これは、罠ではないのか。
もし彼女のことをご存じでしたら、どうかこの情報をお伝えください。私は彼女を守りたいのです。
マルセル・ブランシュタイン』
エレインは手紙を胸に抱きしめた。マルセルは本当にレディ・ミッドナイトを守ろうとしている。そして、彼は自分の正体を知らない。
彼女は決意した。彼に、すべてを明かす時が来たのだ。
すぐにペンを取り、返信を認めた。
『拝啓、マルセル様
お手紙ありがとうございます。実は、大切なお話があります。明日、私の屋敷でお会いできますか? あの離れで。午後三時に。
そこで、すべてをお話しします。
エレイン・フォン・ロルファート』
手紙を密封しながら、エレインは深く息を吐いた。明日、彼女は自分の正体をマルセルに明かすのだ。彼の反応を思うと胸が締め付けられる。
しかし、これが彼女の選んだ道。もはや後戻りはできない。
社会を変える力を持つレディ・ミッドナイトとして、そして公爵令嬢エレインとして、彼女は未来へ一歩を踏み出す決意をした。
つづく