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8.正体暴露の危機

 朝(もや)の立ち込める中、魔法省の本部では早くも活気が漂っていた。


「グレイストーン視学官、長官がお呼びです」


 アーサー・グレイストーンは、部下の声に顔を上げた。


 長い廊下を歩きながら、彼は昨夜の放送について考えていた。「レディ・ミッドナイト」の放送は以前より洗練され、その内容は王都中に広がっている。最近では貴族の間でも話題になっているという。


 上司の執務室に入ると、同僚のマルセル・ブランシュタインが既に席についていた。


「おはようございます、グレイストーン視学官」


「ブランシュタイン卿」


 アーサーは一礼し、隣の席に着いた。


「『レディ・ミッドナイト』の件ですが、進展はいかがか」


 上司のカーティス長官が問いかける。アーサーは首を横に振った。


「残念ながら、まだ発信源の特定には至っておりません。しかし、王都近郊の調査を進めた結果、いくつかの貴族邸が候補に挙がっています」


「ほう」


 カーティス長官は興味深そうに身を乗り出した。


「最も可能性が高いのは、ロルファート公爵邸です」


 その言葉にマルセルの瞳がわずかに揺れた。


「何か証拠でもあるのですか?」


「はい。過去三週間の放送の魔力残滓を分析したところ、音の反響や背景ノイズから、ある程度広い空間で放送されていることが判明しました。また、語りの内容や言葉遣いから推測するに、教養ある女性、おそらく貴族の可能性が高い」


「なるほど」


「さらに、ロルファート公爵邸では最近、古い文化に関する書物の購入が増えています。放送でも古代の知恵について触れられることが多いのです」


 マルセルは穏やかな表情を保ちながら言った。


「しかし、それだけでは決定的な証拠にはなりませんね」


「ええ、だからこそ」アーサーは声を低くした。「もう一度、ロルファート邸への調査を申請したいと思います」


 長官は考え込むように手を組んだ。


「分かった。許可しよう。ただし、マルセル卿も同行してください。公爵家相手では慎重さが必要だ」


「承知しました」


 会議を終えた後、マルセルはアーサーに声をかけた。


「グレイストーン視学官、少しよろしいでしょうか」


「はい」


「あなたはなぜ、レディ・ミッドナイトの正体を突き止めることにそこまで執着するのですか?」


 アーサーは真剣な目で答えた。


「この技術は国家にとって重要です。個人の手に委ねるべきではない」


「しかし、彼女の放送は多くの人々に希望を与えています」


「それはそうかもしれません。しかし我々は国のために存在している」


 マルセルはため息をついた。


「調査は三日後に行います。ご準備を」


 アーサーは一礼して去っていった。マルセルは窓から外を見つめながら、複雑な思いに沈んだ。



 *



 エレインの朝は、いつも通り始まった……はずだった。


「お嬢様、急ぎのお知らせです」


 メイドのローザの声に、エレインは驚いて振り返った。


「どうしたの?」


「魔法省からのお知らせが届きました。明日、再び調査に来るそうです」


 エレインの心臓が跳ね上がった。マルセルからの手紙は昨日届いたばかりだったが、彼の警告は正確だった。


『拝啓、エレイン様


 お手紙ありがとうございました。『レディ・ミッドナイト』について、私も彼女の放送に深く心を動かされています。多くの人々が彼女の言葉に救われている事実は、賞賛に値すると思います。

 しかし、魔法省内ではまだ彼女の活動を問題視する声が強く、特にグレイストーン視学官は執着心を持って調査を続けています。

 近々、再びロルファート邸への調査があるやもしれません。どうかご用心ください。

 古代語の勉強会は予定通り楽しみにしております。


マルセル・ブランシュタイン』


 エレインは父の執務室へ急いだ。


「お父様、魔法省の調査について」


 ヴィクター公爵は落ち着いた様子で娘を見つめた。


「知っている。心配するな」


「でも、前回よりも念入りな調査になるかもしれません」


「エレイン、お前はただ堂々としていればいい」


 父の言葉に、エレインは複雑な気持ちを抱いた。


「……わかりました」


 エレインは執務室を出ると、すぐにソフィアのもとを訪ねた。


「大変なの! 明日、また魔法省が調査に来るわ」


 ソフィアの顔色が変わった。


「前よりも本格的な調査をするみたい。マルセル卿からの手紙で警告があったの」


「放送用の魔道具は?」


「今は音楽室に隠してあるわ。でも、あの場所も安全とはとても言えない。明日までにどこかに移動させなきゃ……」


 二人は頭を悩ませた。


「……魔法省の調査は午後からよね?」


「ええ」


「なら、朝早くに私が持ち出して、しばらく預かることもできるわ」


 エレインは友人を見つめ、感謝の気持ちで一杯になった。


「ありがとう、ソフィア」


「親友でしょ? それより……」


 ソフィアは少し笑みを浮かべた。


「マルセル様と進展はないの?」


「もう! そんな場合じゃないわ」


 顔を赤らめながらも、エレインは内心で考えていた。マルセルは彼女を守ろうとしているのか、それとも単なる礼儀なのか。



 *



 その日の夕方、エレインは庭園を散歩していた。これが最後の放送になるかもしれないという思いが胸を締め付ける。


「エレイン様」


 振り返ると、執事のジョセフが立っていた。


「マルセル様がお見えになりました」


「え? 今日?」


 予定外の訪問に動揺しながらも、エレインは応接室へ向かった。マルセルは窓際に立ち、庭を眺めていた。


「突然の訪問、失礼します」


「いいえ、こちらこそ」


 マルセルはエレインに近づき、周囲に人がいないことを確認してから、小声で言った。


「明日の調査についてです。グレイストーン視学官は、エレイン様……あなたを『レディ・ミッドナイト』と疑っています」


 エレインは息を呑んだ。


「私を? どうしてですか?」


「古い文化への造詣、放送内容の教養深さ、そして何より……」


 マルセルは真剣な眼差しでエレインを見つめた。


「前回の調査で、敷地内に隠された魔道具が存在することに気づいたようです。どこにあるのかよりも、もはや『隠されていた』ということ自体が問題です」


 エレインの顔から血の気が引いた。


「そんな……」


「明日は私も同行します。できる限り守りますが、用心してください」


 マルセルの言葉に、エレインは不思議な安心感を覚えた。


「心配してくださり、ありがとうございます」


「それから……これを」


 マルセルは小さな包みを差し出した。開けると、小さな銀色の鳥の形をした魔道具だった。


「危険を感じたら、これを窓辺に置いてください。それだけで構いません」


「これは?」


「説明している時間はありません。信じてください」


 マルセルは去り際、ドアの前で立ち止まった。


「エレイン様、もしあなたが……いえ、なんでもありません」


 その言葉を残して、彼は姿を消した。



 *



 夜、エレインは最後になるかもしれない放送の準備をしていた。すべての魔道具は翌朝、ソフィアが持ち出す予定だった。


 エレインは深呼吸し、放送を始めた。


「こんばんは、レディ・ミッドナイトです。今宵も皆様の心に寄り添えることを願っています」


 いつもより感情を込めて、エレインは語りかけた。


「時に私たちは、自分の信じる道を歩むことに迷いを感じることがあります。周囲の視線や、失敗への恐れが足かせになることも」


 自身の状況と重ね合わせながら、彼女は続けた。


「しかし、真に大切なのは自分の心に正直であること。たとえ誰もが反対しても、自分が正しいと信じることを貫く勇気こそが、人生を豊かにするのです」


 放送中、エレインはふと窓の外を見た。そこには一瞬、黒い影が見えたような気がした。


「――そして、あなたを信じてくれる人がいるなら、その絆こそがどんな困難も乗り越える力になるでしょう」


 放送を終え、魔道具を元の隠し場所に戻した時、エレインは再び窓の外に人影を見た。今度ははっきりと。黒い制服。それは視学官アーサー・グレイストーンだった。


「まさか……」


 震える手で、エレインはマルセルから受け取った銀の鳥を窓辺に置いた。すると、小さな魔道具がチカチカと青い光を放ち始めた。


 入口のドアを背に立っていたエレインは、背中を壁に引き摺るように座り込んだ。


 たった数分が何時間にも思えたが、いつまで経ってもドアを開ける者はいなかった。


 やがて恐る恐るドアを開けて周囲を見渡したが、いつの間にかアーサーはいなくなっていた。



 *



 翌朝、ソフィアが早々に訪れた。


「大丈夫だった?」


「わからないわ。昨夜、アーサー視学官が庭にいるのを見たの」


 ソフィアの顔色が変わった。


「いくら調査のためだからって、公爵家の敷地へ忍び込むなんて……」


 そこで二人は顔を見合わせた。


「まずいわ。もう調査が始まっているかもしれない」


 二人は音楽室へ向かったが、そこには父公爵と執事長ジョセフの姿があった。


 魔法省職員らの姿が無いことに胸を撫で下ろしながら、エレインは父へ訝しげに尋ねた。


「お父様……?」


「おはよう、エレイン」


 ヴィクター公爵は穏やかな表情で微笑んだ。


「昨夜、興味深いものを見つけたよ」


 父の手が示す先には、放送用の魔道具があった。彼女の心臓が止まりそうになる。


「これは……」


「君が『レディ・ミッドナイト』として使っている魔道具だね」


 エレインは言葉を失った。


「驚かないでくれ。かなり前から気づいていたよ」


「でも、どうして何も」


「君の成長を見守りたかったんだ。そして、君の放送が多くの人々を勇気づけていることも知っていた」


 ジョセフが一歩前に出た。


「お嬢様、実は私も毎晩聴かせていただいております」


 エレインは唖然とした。


「……昨夜、さる御方より助言をいただいておりました」ジョセフが続けた。


合図(・・)があれば警備の者を向かわせるような手筈になっていたのです。私もお話を伺った際は半信半疑だったのですが……まさか本当にロルファート家の敷地へ忍び込むとは。とんだ不届き者です」


 憮然としているジョセフの言葉を父が引き継ぐ。


侵入者(・・・)に気づいた警備の者らが忍び寄って捉えようとしたのだが、彼らに気づいた途端に目にも止まらぬ速度で庭を横切ると、塀をひらりと飛び越えて逃げていったそうだ。悔しいことに証拠も痕跡も一切残されてはいない。はっは、彼は視学官などよりも怪盗に向いているのかもしれないな」


 苦笑を漏らす父に、エレインは胸がいっぱいになる気持ちだった。


「……銀の鳥が知らせてくれたんですね」


 ソフィアがつぶやいた。それを聞いたヴィクター公爵は眉を上げた。


「銀の鳥? ああ、マルセル卿の魔道具か」


「お父様は彼と……?」


「昔からの知り合いだ。彼から連絡があって、君を守りたいと」


 エレインの顔が熱くなった。


「今日の調査では、何も見つからないよう手配した。しかし……」


 父の表情が厳しくなった。


「魔法省――グレイストーン視学官は簡単には諦めないだろう。彼は君を徹底的に調べるつもりだ」


 エレインは深く息を吐いた。


「わかりました。どうすればいいですか?」


「もはやこの屋敷に安全な場所はない。放送場所は変えなければならないだろうな……」


 ちょうどその時、ローザが部屋に入ってきた。


「お嬢様、魔法省の方々が門に到着されました」


「予定より早い!」


 エレインは窓から外を見た。黒い制服の一団、そしてその中に金色の髪が見えた。


「マルセル卿も来ている」


「私はこのまま裏門を使わせてもらうわ」華奢な体で魔道具の箱を背負ったソフィアが早口に告げ、踵を返した。


 エレインは心を決めた。自分は放送を続けたい。魔法省の一行が館に入ってくる姿を見ながら、彼女は静かに決意した。


 レディ・ミッドナイトとして、まだ伝えたいことがたくさんあるのだ。



つづく

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