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7.心を繋ぐ

 朝の光がエレインの部屋に差し込んだとき、彼女はすでに目を覚ましていた。昨夜の放送後、ろくに眠ることができなかったのだ。


「お嬢様、朝食の準備ができました」


 メイドのローザがドアをノックする音に、エレインは深いため息をついた。


「あと少しだけ……」


 身支度を整えながら、昨夜の出来事を思い返す。あの足音は一体誰のものだったのか。発見されずに済んだのは幸運だったが、不安は消えなかった。

 食堂に向かうと、父は既に席についていた。


「おはよう、エレイン」


「おはよう、お父様」


 ヴィクター公爵は娘の顔色を見て眉をひそめた。


「疲れているようだな。昨日の調査で緊張したか?」


「少し、ね」


 エレインは紅茶をすすりながら、さりげなく尋ねた。


「マルセル卿はもう出発されたの?」


「ああ、早朝に。君にもよろしくと言っていたよ」


 エレインはほっとした。彼が足音の主だったらと思うと対峙する自信がなかった。


「そうそう、これが届いていた」


 父は一通の手紙をエレインに渡した。見覚えのない封筒には、「エレイン・フォン・ロルファート様」と丁寧な筆跡で書かれている。


「誰からかしら?」


 食後、自室に戻ったエレインは慎重に封を開いた。中から出てきたのは、薄い青色の便箋だった。


『拝啓、エレイン様

 初めてお手紙を差し上げます。私はリリー・ウィロウと申します。薬草師の娘です。

 先日、レディ・ミッドナイトの放送で「身分違いの恋」について勇気をいただき、思いを伝えることができました。

 彼とはしばらく友人として交流することになりました。まだ恋人同士というわけではありませんが、一歩踏み出せたことが大きな喜びです。

 放送を聴いていて、レディ・ミッドナイトの声の響きやお話の内容に、貴族の方の教養を感じました。

 勝手な推測ですが、もしかしたらエレイン様のような教養ある方がレディ・ミッドナイトなのでは、と思うことがあります。

 お忙しいところ失礼いたしました。もしお返事いただけるなら、この上ない喜びです。

リリー・ウィロウ』


 エレインは手紙を何度も読み直した。ついに自分の放送を聴いている人物から直接連絡が来たのだ。しかも、自分がレディ・ミッドナイトではないかという推測まで。


「どうして私だと……?」


 エレインは困惑した。自分の正体を知っているのはソフィア……と、加えるとしても父だけのはずだ。

 考えていると、ソフィアが約束通り訪ねて来た。


「大変だったわね、昨日は」


 エレインは彼女に手紙を見せた。


「これ……大丈夫なの?」


「わからないわ。でも、この子は単に推測で書いているだけみたい。他にも貴族の女性に同じ手紙を送っているかもしれない」


「返事は出すの?」


 エレインは窓の外を見つめた。


「ええ。でも、エレイン・フォン・ロルファートとして」



 *



 数日後、エレインはリリーに返信を送った。レディ・ミッドナイトではなく、公爵令嬢としての立場から、彼女の恋の進展を祝福する内容だった。


 そして、その晩の放送。


「今夜は『勇気ある一歩』について考えてみましょう。皆さんの中にも、大切な思いを伝えられずにいる方がいるかもしれません。でも、その一歩が、時に人生を大きく変えることがあるのです……」


 放送を終えると、エレインは魔道具の調整を始めた。音楽室での放送も少しずつ慣れてきていた。


 ふと、窓の外に目をやると、庭園の木々の間に人影を見た気がした。


「誰かしら……?」


 エレインは身を竦ませたが、再び見ても何も見えない。心配になった彼女は、翌日、ソフィアに相談した。


「昨夜、庭に誰かいたかもしれないの」


「見張りでもされているのかしら?」


「わからないわ。もしかしたら、アーサー視学官がまだ諦めていないのかも」


 ソフィアは顎に手を当てて考え込んだ。


「放送場所をもう一度変えた方がいいかもね」


「でも、どこに……?」


 二人が話し合っていると、執事のジョセフが部屋に入ってきた。


「お嬢様、マルセル・ブランシュタイン様がお見えになっています」


「マルセル卿が?」


 エレインは驚いて立ち上がった。予定にはない訪問だった。


「案内してください」


 しばらくして、マルセルが優雅な足取りで応接室に入ってきた。金色の髪が午後の日差しに輝いている。


「エレイン様、突然の訪問をお許しください」


「いいえ、こちらこそ歓迎します」


 マルセルはソフィアにも丁寧に挨拶し、座った。


「実は、公務のついでにお立ち寄りしました。先日はお世話になりました」


「調査でご迷惑をおかけしたのに、そんな……」


「いいえ。それより、お渡ししたいものがあって」


 マルセルは小さな包みを取り出した。中から現れたのは、美しく装丁された一冊の本だった。


「『星の言葉』――これは?」


「古代の詩集です。先日、エレイン様が古い文献に興味をお持ちと伺いましたので」


 エレインは本を手に取り、ページをめくった。魔法水晶の光に似た輝きを持つ挿絵と、古代語で書かれた詩が並んでいる。


「素敵……ありがとうございます」


「もしよろしければ、今度一緒に翻訳してみませんか? 古代語に関する研究は私の趣味でもあるのです」


 エレインは微笑んだ。実は彼女は、放送で使う魔道具の説明書を解読するためにも古代語を勉強していた。


「ぜひ。古代の言葉について学びたいと思っていたところです」


 マルセルの瞳が輝いた。


「それでは、来週また伺ってもよろしいでしょうか」


「はい、お待ちしています」


 マルセルが帰った後、ソフィアはニヤリと笑った。


「素敵な方ね。あなたに好意があるみたい」


「違うわ、ただの礼儀よ」


 エレインは顔を赤らめながら、本を大切そうに抱えた。



 *



 その晩、エレインは『星の言葉』を辞書とにらめっこして読みながら、放送の原稿を考えていた。古代の詩の中には、現代にも通じる知恵が隠されている。


「今夜は『言葉の力』について話そうかしら……」


 放送時間が近づいた。昨夜見た人影が気になったため、いつもより用心深く庭を横切った。


 しかし、放送を終えて音楽室を出ると、衝撃的な光景が彼女を待っていた。


「マルセル卿!?」


 月明かりの下、マルセルが庭の石畳に佇んでいた。彼は微笑みながらエレインに近づいてきた。


「こんな時間に、どうして……」


「失礼をお許しください。ロルファート公爵閣下へ魔法省の資料を届けに参りました。明日の朝一番に必要な書類があったので」


 エレインは動揺を隠せなかった。夜中に音楽室から出てくる自分を見られたのだ。しかし、マルセルは特に疑問を抱いた様子はない。


「どなたか使用人の方に渡してもらおうと思ったのですが、通りかかったらエレイン様がいらっしゃったので」


「そうですか……私はちょっと、母の形見の楽器を見に行っておりました」


 咄嗟についた嘘に、エレインは自分でも驚いた。マルセルは優しく微笑んだ。


「それは素敵ですね。音楽がお好きなのですか?」


「ええ、小さいころから」


 二人は月明かりの下、館に向かって歩き始めた。


「実は私も音楽が好きでして。特に、最近流行りの『レディ・ミッドナイト』の放送には感銘を受けています」


 エレインの心臓が高鳴った。


「あの、音色と言葉の調和が素晴らしいのです。まるで昔から続いていた文化のようでいて、実は新しい」


「……そう思われますか?」


「はい。特に昨夜の放送は印象深かった」


 マルセルの言葉に、エレインは息を呑んだ。


「そう……なのですね」


「ええ。実は最近、放送の時間になると必ず聴くようにしています。今宵は聴くことができずとても残念です」


 夜の静けさの中、二人の間に不思議な緊張が流れた。エレインの頭の中では警報が鳴り響いている。彼は気づいているのだろうか。


「エレイン様、もし差し支えなければ……『レディ・ミッドナイト』についてどう思われますか?」


 マルセルの質問は、まるで試しているかのようだった。エレインは慎重に言葉を選んだ。


「興味深い存在だと思います。魔法省は彼女を問題視しているようですが、私は害のある放送だとは思いません」


「そうですか……」


 マルセルの表情には安堵の色が見えた。


「実は、アーサー視学官が再び調査に乗り出すという話を聞きました。今度は王都近郊の貴族邸を重点的に」


 エレインの心拍数が上がった。マルセルは何のためにこの情報を伝えているのか。


「そうなのですか」


「はい。私は彼女の放送が多くの人に希望を与えていると思っています。だから……」


 マルセルは言葉を選ぶように少し間を置いた。


「もしあなたが彼女と連絡を取れるなら、注意するよう伝えていただけませんか」


 エレインは驚きを隠せなかった。マルセルは彼女をレディ・ミッドナイトだと疑っているのか、それとも単に協力者だと思っているのか。


「私が……どうして?」


「直感です。エレイン様なら、彼女に連絡できる手段をご存知かもしれないと」


 二人は館の入り口に到着した。マルセルは一礼し、書類の入った封筒を差し出した。


「お父上にお渡しください。そして……」


 彼は少し声を落とした。


「『レディ・ミッドナイト』にも、よろしくお伝えください」


 マルセルが去った後、エレインは彼の言葉の意味を考え続けた。



 *



 翌朝、エレインはソフィアに昨夜の出来事を報告した。


「どうしましょう。マルセル卿は私がレディ・ミッドナイトだと気づいているのかもしれない」


「でも確証はないわよね?」


「ないわ。でも、彼は明らかに何かを知っている」


 ソフィアはしばらく考え込んだ後、提案した。


「手紙を送ってみたら?」


「手紙?」


「そう。薬草師の娘のリリーのように、エレインとしてレディ・ミッドナイトに興味があるという手紙をマルセル卿に送るの」


 エレインは目を見開いた。


「彼の反応を見れば、何を考えているか分かるかもしれないわね」


 その日の午後、エレインはマルセルへの手紙を書いた。


『拝啓、マルセル・ブランシュタイン様


 昨夜はお忙しい中、わざわざお越しいただきありがとうございました。

 さて、お話の中で『レディ・ミッドナイト』について触れられていましたが、私も彼女の放送に興味を持っております。もし差し支えなければ、彼女についてのあなたのご意見をもっとお聞かせいただけないでしょうか。

 古代語の勉強会も楽しみにしております。

エレイン・フォン・ロルファート』


 手紙を送った後、エレインはリリーからの二通目の手紙も受け取った。彼女の恋は順調に進んでいるようだ。


 その晩の放送では、『心を繋ぐ言葉』をテーマに、エレインは語りかけた。


「言葉には人と人を繋ぐ力があります。時に、一つの言葉が誰かの人生を変えることもある。皆さんも、大切な人に伝えたい言葉があるのではないでしょうか……」


 放送の途中、エレインの心にはマルセルの姿が浮かんでいた。彼は敵なのか、味方なのか。そして、もし彼が自分の正体に気づいているとしたら……。


「次回の放送でまたお会いしましょう。どんな時も、あなたの心に寄り添うレディ・ミッドナイトでした」


 放送を終えたエレインは、窓から夜空を見上げた。星々が瞬き、まるで彼女に語りかけているかのようだ。


 マルセルから返事は来るだろうか。彼との距離感に戸惑いつつも、エレインの心は微かな期待で満ちていた。



つづく

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