6.危機一髪
「魔法省の視学官が明日、ロルファート邸を訪問すると連絡がありました」
執事のジョセフが報告したとき、エレインは朝食のパンを持つ手が止まった。
「……訪問の目的は?」
「公式には、貴族家系における古代魔法品の管理状況を調査するためとのことです」
エレインは父ヴィクター公爵と視線を交わした。父の眼差しには、明らかに警戒の色が浮かんでいる。
「国王陛下のご命令で?」エレインは平静を装いながら尋ねた。
「いいえ、魔法省独自の判断のようです。視学官アーサー・グレイストーンが来訪されます」
「アーサー……」
父は顎に手を当て、思案する様子を見せた。その名前はエレインにも馴染みがあった。魔法省の調査部門でも特に強硬派として知られる視学官だ。そして、『レディ・ミッドナイト』の正体を追う人物でもある。
「ジョセフ、明日は館内のすべての準備を整えておくように」
「かしこまりました」
執事が退室すると、エレインは父に向き直った。
「お父様、この調査は……」
「おそらく単なる調査のふりをしているのだろう」
ヴィクター公爵は紅茶を一口含み、静かに続けた。
「魔法省は最近、『レディ・ミッドナイト』の放送源を突き止めるために、貴族の館を中心に調査を始めているという噂だ」
エレインの胸が締め付けられた。
「でも、なぜロルファート家が? 私たちは何も……」
「王国内でも古い魔法品をいくつか所有している家柄だからな。それに……」
父は窓の外、遠くの王都の方向を見つめた。
「最近、エレインはブランシュタイン侯爵家と親しくなっている。アーサー視学官は、マルセル卿の同僚でもある。何か関連があるのかもしれないな」
エレインは口をつぐんだ。父が何を暗示しているのか、理解できなかった。だが一つだけ確かなことがある。明日、魔法省の視学官が館を訪れ、古代魔法品を調査するということは、彼女の秘密の放送設備が発見される危険性があるということだ。
*
「大変なことになったわ!」
エレインは自室でソフィアに状況を説明した。
「魔法省の視学官が来るなんて……。放送設備をどうするの?」
「一刻も早く書斎から移動させなきゃ……」
エレインは窓から夕暮れの空を眺めた。時間は刻一刻と過ぎていく。
「でも、あの古代魔道具は重いわよね? それに、どこに隠すの?」
「まだ決めていないの」
エレインは頭を抱えた。放送設備は外見こそコンパクトだが、古代の魔道具は意外と重量がある。それに、魔法水晶との接続や調整にも時間がかかる。
「もし書斎から出すなら、今夜しかチャンスはないわ。明日は館中が調査で忙しくなるはず」
ソフィアは立ち上がり、窓辺に立つエレインの肩に手を置いた。
「私が手伝うわ。ただ、隠し場所を考えなくちゃ」
二人は沈黙に包まれた。館内に隠すのは危険だ。一度調査が入れば、どこかで見つかってしまう可能性がある。かといって館の外に隠すとなると、今後の放送が難しくなる。
だが、突然、エレインの目が輝いた。
「思いついたわ!」
*
夜の十時を過ぎたころ、エレインとソフィアは書斎に忍び込んだ。館内は静まり返り、多くの使用人たちはすでに就寝している。
「魔道具はこれね」
エレインは書棚の奥から取り出した箱を開けた。中には円筒形の魔道具と、それに繋がる水晶球が収められている。
「想像していたより小さいわね」
「見た目はね。でも、なかなか重いのよ」
二人で慎重に魔道具を箱から取り出し、運びやすいように布で包んだ。
「さて、次は……」
エレインは書棚から数冊の本を取り出し、それらも持ち運べるよう束ねた。
「この本は?」
「書籍を装った放送原稿よ。これがなければ放送が続けられないわ」
荷物をまとめた二人は、廊下に出る前に周囲を確認した。夜間の巡回をしている者がいないか注意深く見回す。
「大丈夫みたい」
二人は忍び足で書斎を出て、館の裏手へと向かった。月明かりを頼りに、彼らは庭園を抜け、敷地の奥にある小さな建物に近づいていく。
「ここが?」
「そう、古い離れよ。母が生きていたときに使っていた音楽室なの」
エレインが小さな鍵で扉を開けると、窓からこぼれる月の光に照らされて、埃っぽい空気が漂う室内が現れた。
「ここなら誰も来ないわ。父さえも、母の死後はほとんど足を運ばなくなった場所だから」
エレインは室内に入り、窓際のテーブルを指さした。
「あそこに設置しましょう」
二人は協力して魔道具を運び、慎重にテーブルの上に置いた。
「水晶の調整をしなくちゃ」とエレインは言いながら、魔法水晶に手をかざした。「でも、今日はもう遅いわ。調整には時間がかかるから」
「明日の調査が終わってからにしましょう」
エレインは頷き、魔道具を布で覆った。これで外から見ても何か特別なものがあるようには見えない。
「あとは明日の調査をなんとか乗り切らなければ……」
*
翌日、アーサー視学官がロルファート邸を訪れたのは正午過ぎだった。黒い制服に身を包んだ彼は、厳しい目つきで館の中を見回している。
「本日はお忙しい中、お時間をいただき感謝いたします、公爵閣下」
アーサーはヴィクター公爵に深々と一礼した。その横には、なぜかマルセル・ブランシュタインの姿もあった。
「こんにちは、エレイン様」
マルセルはエレインを見つけると、優しく微笑んだ。彼が同行している理由はわからなかったが、エレインは礼儀正しく挨拶を返した。
「視学官、調査の具体的な内容をお聞かせいただけますか?」ヴィクター公爵が尋ねた。
「はい。魔法省では最近、魔道具の管理状況を把握するための調査を行っております。特に、音声伝達に関わる魔道具に注目しており……」
アーサーの言葉に、エレインの心拍数が上がった。彼らは明らかに『レディ・ミッドナイト』の放送設備を探しているのだ。
「なぜ音声伝達に?」公爵が尋ねた。
「最近、不審な放送が確認されているためです。これが国家の安全を脅かす可能性も考えられますので」
マルセルがわずかに眉をひそめた。
「アーサー、それは言い過ぎではないでしょうか。『レディ・ミッドナイト』の放送が国家の安全を脅かすとは思えません」
「あなたも聴いているのですか?」アーサーは驚いた様子で問いかけた。
「はい、偶然耳にしました。内容は非常に興味深く、むしろ人々に前向きな影響を与えているように思います」
エレインも驚きを隠せなかった。彼が『レディ・ミッドナイト』の放送を知っているだけでなく、擁護までするとは。
「……それはさておき」アーサーは話題を戻した。「本日は館内の魔道具を確認させていただきたく。特に、書斎など、魔道具が保管されている可能性のある場所を重点的に」
「了解しました。ジョセフ、案内を」
執事に促され、アーサーは館内の調査を開始した。エレインはマルセルと二人きりになった。
「マルセル卿、『レディ・ミッドナイト』の放送をご存知だったのですね」
「はい。実は、最近よく聴いています。深夜に偶然発見して以来、彼女の言葉には何度も救われました」
マルセルの表情は真摯だった。エレインは動揺を隠しながら尋ねた。
「まさか、魔法省の方がそのような放送を……」
「僕は魔法省の人間である前に、一人の人間です。彼女の語る言葉には真実があります。特に、選択と自由についての考え方は、僕自身の人生にも大きな影響を与えました」
エレインは自分の放送がマルセルに届いていたことに、言いようのない感動を覚えた。
「エレイン様、僕は……」
言葉を続けようとしたマルセルだったが、アーサーが書斎から戻ってきた。
「公爵閣下、書斎には魔道具の痕跡がありますが、現物は見当たりません」
アーサーの鋭い目がエレインに向けられた。
「エレイン様、あなたは最近、何か古い魔道具をご覧になりましたか?」
「いいえ、特には」
エレインは平静を装った。嘘をついているという罪悪感はあったが、今は放送を守るために必要だと言い聞かせた。
*
調査は午後いっぱい続いた。アーサー視学官は館のあらゆる部屋を丹念に調べていったが、幸いにも音楽室まで調査が及ぶことはなかった。
「本日の調査は以上となります。ご協力ありがとうございました」
アーサーは夕刻、調査を終えると礼儀正しく挨拶をした。だが、その目には明らかな不満の色が見えた。
「何も見つからなかったようですね」ヴィクター公爵が言った。
「はい。しかし、魔道具の痕跡は確かにありました。今後も調査を続けさせていただく可能性がございます」
その言葉は明らかな警告だった。彼らはまだ諦めていない。
「お疲れ様でした、アーサー」
マルセルが声をかけると、アーサーは表情を和らげた。
「マルセル卿、あなたも今夜は王都へお戻りですか?」
「いいえ、公爵閣下のご厚意で、今夜はこちらに滞在させていただくことになっています」
その言葉にエレインは驚いた。父から聞いていなかった。
「そうですか。では、また省でお会いしましょう」
アーサーは一礼し、館を後にした。視学官が去った後、エレインは父に尋ねた。
「マルセル卿が滞在されるとは聞いていませんでしたが……」
「急な話でね。明日、王都で重要な会議があるとのことで、今夜はこちらに泊まっていくことになった」
ヴィクター公爵は微笑んだ。「二人でゆっくり話す良い機会だろう」
エレインは困惑した。マルセル卿が滞在するということは、今夜の放送は……。
「ご迷惑でなければ」とマルセルが丁寧に言った。「夕食後、庭園を散歩でもいかがでしょうか」
「ええ、喜んで」
エレインは笑顔で答えたが、心の中は複雑だった。今夜予定していた放送は諦めなければならないのか。それとも……。
*
夕食後、エレインとマルセルは月明かりの下、庭園を散策していた。
「今日の調査、不快な思いをされたのではないでしょうか」
「いいえ、魔法省のお仕事ですから」
エレインは平静を装いながら答えた。実際には、調査の緊張で疲れ切っていたが。
「実は……」マルセルは少し躊躇った様子を見せた。「アーサー視学官の調査方法には、僕も賛同できない部分があるんです」
「どういうことですか?」
「彼は『レディ・ミッドナイト』を危険視していますが、僕はそうは思いません。彼女の放送は多くの人々に希望を与えています。もし彼女が見つかれば、罰せられる可能性があります。それは避けたいのです」
エレインはマルセルの真摯な表情に、胸が熱くなった。
「あなたは本当に『レディ・ミッドナイト』を支持しているのですね」
「はい。彼女の語る『選択と自由』という理念は、僕自身も共感するものです。この国には変革が必要だと思っています。それには、彼女のような存在が欠かせません」
月明かりに照らされたマルセルの横顔は、以前に増して魅力的に見えた。エレインは罪悪感と感謝の入り混じった感情に襲われた。
「もし……もし『レディ・ミッドナイト』と会えるなら、何を伝えたいですか?」
マルセルは夜空を見上げ、少し考えてから答えた。
「『あなたの言葉に勇気をもらっています。どうか放送を続けてください』と伝えたいです。そして、可能なら協力したいとも」
エレインは思わず足を止めた。
「協力、ですか?」
「はい。魔法省の内部にいる者として、何か力になれることがあるかもしれません。例えば……調査の情報を事前に伝えるとか」
マルセルの言葉は、彼が『レディ・ミッドナイト』のために自分の立場を危険にさらす覚悟があることを示していた。エレインは感動と驚きで言葉を失った。
そのとき、遠くから鐘の音が響いた。夜の十一時を告げる音色だ。
「あ、もうこんな時間……」
エレインは焦った様子を見せた。本来なら、この時間には放送の準備を始めているはずだった。
「お疲れのようですね」マルセルは気遣うように言った。「今日は早めに休まれた方がいいかもしれません」
「ありがとうございます。マルセル卿も、明日は早いのでしょう?」
「ええ、朝一番に出発する予定です」
二人は館に戻り、エレインはマルセルに客室まで案内した。
「おやすみなさい、エレイン様。素敵な時間をありがとうございました」
「こちらこそ。おやすみなさい」
エレインが自室に戻ると、時計は夜の十一時半を指していた。放送まであと三十分。エレインは決断を下した。
すばやく服を着替え、誰にも気づかれないよう廊下を進む。館は静まり切っており、ほとんどの人が就寝しているはずだ。細心の注意を払いながら、エレインは庭園を抜け、音楽室へと向かった。
月明かりを頼りに進み、ようやく音楽室に到着する。中に入ると、昨夜運び込んだ魔道具がテーブルの上に置かれていた。
「間に合うかしら……」
エレインは急いで魔道具の調整に取りかかった。水晶との接続を確認し、魔法の流れを整える。普段なら余裕を持って準備するところだが、今夜は時間との戦いだった。
時計が午前零時を打つ直前、ようやく準備が整った。エレインは深呼吸し、魔道具に向かって語り始めた。
「こんばんは、皆様。『レディ・ミッドナイトの秘密の部屋』へようこそ。お相手は、レディ・ミッドナイトです」
声に少し緊張が混じっているのを自分でも感じた。だが、続けなければならない。
「今宵は『危機と勇気』についてお話ししたいと思います。私たちは時に、自分の大切なものを守るために、困難に立ち向かわなければならないことがあります……」
放送が続く中、エレインの耳に微かな物音が聞こえた。誰かが外にいる? 心臓が早鐘を打ち始めた。
「そして、そんな時に必要なのは、恐れずに前に進む勇気です。たとえ周囲の状況が不利に思えても、自分を信じる力があれば……」
ドアの方向から、確かに足音が聞こえる。
心臓の音が放送に乗ってしまうのではないかと思うほど高鳴る。
「……時に私たちは、予期せぬ味方に出会うこともあります。自分が思っていた以上に、世界は優しさに満ちているのかもしれません」
だが、エレインは震えながらも、声を止めることはなかった。
「……また明日の晩お会いしましょう。『レディ・ミッドナイトの秘密の部屋』、お相手はレディ・ミッドナイトでした」
やがて足音は遠ざかっていき、エレインは胸を撫で下ろした。
信念を持って行っている放送だが、こうして危機的状況に陥れば恐怖と心細さに潰れそうになる。
エレインは誰かに縋りたい気持ちになった。脳裏にはマルセルの顔が浮かんでいた。
つづく