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5.二つの世界

「エレイン、真剣に考えてほしいことがある」


 朝食の席で、ヴィクター公爵は静かに切り出した。いつもより厳かな父の表情に、エレインは身構えた。


「何でしょうか、お父様」


「ブランシュタイン侯爵家の嫡男、マルセル卿との縁談の話が進んでいる」


 エレインはフォークを握る手が止まった。突然の結婚話に言葉が出ない。


「まだ正式な申し出ではないが、次の月末の晩餐会で、彼と会う機会を設けたい」


「でも、お父様……」


「国王陛下も、この縁組みにご関心をお持ちだ。ブランシュタイン家は魔法省との関係も深く、今のロルファート家には必要な縁だと思うのだが」


 エレインには父の真意が理解できた。『レディ・ミッドナイト』の捜査を進める魔法省に対して、内部から情報を得られる関係を築くことが目的だろう。つまり、自分を守るための政略結婚だ。


「少し考える時間をいただけますか?」


「もちろんだ。だが、返答はなるべく早くしてほしい」


 ヴィクター公爵は立ち上がり、エレインの肩に手を置いた。


「無理強いはしない。だが、公爵家の娘として、家の未来も考えてほしい」


 父が部屋を出て行った後も、エレインはしばらく動けずにいた。



 *



「政略結婚ですって!?」


 ソフィアはエレインの部屋で、大きな声を上げた。


「そうなの。まだ正式な話ではないけれど……」


「マルセル・ブランシュタイン……」


 ソフィアは思案げに顎に手を当てた。


「彼のことを知っているの?」


「うん、社交界で何度か会ったことがあるわ。二十六歳で、魔法省の若手官僚として頭角を現しているって評判よ。それに……」


 ソフィアは少し声を落とし、「かなりのハンサムよ」と付け加えた。


「見た目はどうでもいいわ」とエレインは溜息をついた。「問題は、私がこの結婚を受け入れるべきかということ。もし断れば、父を困らせることになるし、『レディ・ミッドナイト』の活動も危うくなる可能性がある」


「でも、あなたの気持ちはどうなの?」


「それが……わからないの」


 エレインは窓際に歩み寄った。庭園には赤い薔薇が咲き誇っている。


「前世では、自分で選んだ道を進んできた。誰かに決められた未来なんて、考えられなかった」


「でも、この世界で貴族の娘として生まれた以上、ある程度は仕方のないことかもしれないわ。私だって他人事ではないもの」


「わかっているの。でも……」


 エレインは言葉に詰まった。ラジオでは視聴者に自分の道を切り開く勇気を説いていた。それなのに、自分自身はしがらみに縛られ、自由を諦めようとしている。その矛盾に苦しんでいた。


「今夜の放送で、この話題を取り上げてみたら?」とソフィアが提案した。「自分の気持ちを言葉にすることで、何か見えてくるかもしれないわ」


 エレインは友人の提案に、小さく頷いた。



 *



「こんばんは、皆様。『レディ・ミッドナイトの秘密の部屋』へようこそ。お相手は、レディ・ミッドナイトです」


 エレインはいつものように放送を始めた。


「今宵は再び、『選択と運命』についてお話ししたいと思います。私たちは生まれながらに、様々な環境や立場を与えられます。それは選べません。しかし、その中でどう生きるかは、自分で決められるはず……」


 エレインは自分自身に言い聞かせるように、言葉を紡いでいく。


「でも時に、責任と自由の間で板挟みになることもあります。たとえば、家族や周囲の期待に応えることと、自分の望む道を進むこと。どちらが正しいというわけではなく、その人の人生において何を大切にしたいかという問題です」


 魔道具の前で話しながら、エレインの頭の中には父の顔が浮かんだ。父は厳格ながらも、『レディ・ミッドナイト』の活動に(恐らく)気づいていながら黙認してくれている。それは愛情の表れだったのだろう。


「今日、一通のお手紙をご紹介します。ラジオネーム『商人の娘』さんからです」


 エレインは手元の便りを広げた。これは数日前に届いていたリスナーからのメッセージだった。


「『私は父の商会を継ぐことになっていますが、本当は音楽家になりたいのです。家業を捨てることは父を裏切ることになるのでしょうか』」


 自分の状況に似たこの悩みに、エレインは深く共感しながら答えた。


「お父様を裏切るということではなく、あなたの夢を伝えてみてはいかがでしょう。時に、私たちは周囲の反応を恐れすぎて、本当の気持ちを伝えずにいます。しかし、伝えなければ理解し合うこともできません」


 放送しながら、エレインは自分自身にも言い聞かせていた。


「もしかしたら、お父様はあなたの幸せを何より願っているかもしれません。そして、あなたの情熱を知れば、応援してくれるかもしれないのです」


 放送を終えた後も、エレインの心は晴れなかった。自分の言葉通りに行動できるだろうか。



 *



 数日後、エレインは父の書斎を訪ねた。


「お父様、お時間よろしいでしょうか」


「ああ、入りなさい」


 ヴィクター公爵は書類から顔を上げた。


「マルセル卿との件について、お話したいのです」


「決心がついたようだな」


 エレインは深呼吸をして、覚悟を決めた。


「お父様、私はまだマルセル卿と会ったこともありません。一度お会いしてから、決断させていただけないでしょうか」


 ヴィクター公爵は少し驚いた様子だった。断りの言葉を予想していたのかもしれない。


「もちろんだ。それが当然だろう」


「そして……」エレインは続けた。「もし私が、この縁談に同意できなかった場合、お父様は失望されますか?」


 公爵はしばらく黙って娘を見つめた後、ゆっくりと立ち上がり、窓際に歩み寄った。


「エレイン、私は……お前を失望させたことはあるか?」


 意外な問いに、エレインは首を傾げた。


「私は完璧な父親ではない。お前の母親が亡くなってから、娘を育てることに必死だった。時に厳しすぎたかもしれないし、お前の気持ちに気づかないこともあっただろう」


 ヴィクター公爵は振り返り、柔らかな表情でエレインを見た。


「だが、お前が自分の道を選んだとしても、私が失望することはない。ただ、選択には責任が伴うことを忘れないでほしい」


「お父様……」


「晩餐会でマルセル卿と会い、自分の目で判断するといい。そして、どんな選択をしても、私はお前の父親であり続ける」


 エレインは感極まり、父に駆け寄って抱きついた。子供の頃以来のことだった。


「ありがとうございます、お父様」



 *



 月末の晩餐会の日、エレインは緊張しながら支度をしていた。


「どうかしら?」


 エレインは新調したドレスを纏い、ソフィアの前でくるりと回った。深い青色の生地に銀糸でごく小さな星が刺繍された美しいドレスだった。


「とっても素敵よ! まるで夜空みたい……」


 ソフィアはその言葉に気づいて、くすりと笑った。


「『レディ・ミッドナイト』にぴったりね」


「それは狙ったわけじゃないわよ」とエレインは赤面した。


「でも、内心では期待しているんでしょう? もしかしたら、マルセル卿はあなたの放送のファンかもしれないわよ」


「やめてよ、そんな冗談」


 エレインは鏡の前で最後の確認をした。今夜は自分の将来を左右する大切な夜だ。『レディ・ミッドナイト』としてではなく、公爵令嬢エレイン・フォン・ロルファートとして臨まなければならない。

 小さく喉を鳴らし、エレインは踏み出した。



 *



 ロルファート公爵邸の大広間は、華やかな衣装を纏った貴族たちで賑わっていた。エレインは父の隣に立ち、来客たちに挨拶を交わしていく。


「あれがブランシュタイン侯爵とマルセル卿だ」


 ヴィクター公爵が小声で告げた。エレインの視線が向かった先には、堂々とした風格の中年男性と、その隣に立つ若い男性がいた。


 マルセル・ブランシュタインは、ソフィアの言葉通り、確かに端正な容姿の持ち主だった。金色の髪と碧眼、背も高く、貴族らしい優雅な佇まいがある。人々の視線が自然と彼に集まるのがわかった。


「これは、ロルファート公爵閣下」


 ブランシュタイン侯爵が一礼し、父と挨拶を交わす。


「そして、エレイン令嬢ですね。マルセルはあなたにお会いできることを楽しみにしておりました」


 エレインはマルセルと視線を合わせた。彼の青い瞳には、好奇心と何か別の感情が見て取れた。


「初めまして、エレイン様」


 マルセルは丁寧に一礼した。


「ブランシュタイン卿、お目にかかれて光栄です」


 挨拶を交わした後、食事が始まった。エレインはマルセルと並んで席に着き、会話を交わしながら料理を楽しむ。彼は教養があり、話し方も洗練されていた。


「エレイン様は読書がお好きだと伺いました」


「はい、特に歴史や哲学に興味があります」


「それは素晴らしい。実は私も最近、古代魔法の歴史に関する書物を読み漁っているんです」


 話が弾み、エレインは少しずつ緊張がほぐれていった。マルセルは予想以上に話しやすい相手だった。


 食事の後、二人は庭園を散策することになった。夜空には満月が輝き、庭の花々を銀色に照らしていた。


「美しい夜ですね」とマルセルは言った。


「ええ、特に今夜の月は素晴らしいです」


 二人は静かに歩きながら、しばらく沈黙が続いた。


「……実は、こうしてお会いできる前。大変失礼ながら、エレイン様のことを少し調べさせていただきました」


 突然の発言に、エレインは足を止めた。


「と、おっしゃいますと?」


「ご安心ください。悪い意味ではなく」


 マルセルは微笑んだ。「王立学院で成績優秀で、特に魔法理論と古代文明の研究で高い評価を受けていると聞きました。それに、社交界では礼儀正しく優雅な方としての評判がある」


 エレインはほっとした。彼が調査したのは公の情報だけのようだ。


「でも、それだけではエレイン様の本当の姿は見えてこなかった。僕は、もっとあなたのことを知りたいんです」


 マルセルの真摯な眼差しに、エレインは言葉を失った。


「私のことを……ですか?」


「はい。たとえば、趣味や夢、大切にしているものなど」


 エレインは困惑した。これは単なる政略結婚の話ではないのかもしれない。マルセルは本当に自分に興味を持っているようだった。


「実は私……」


 言いかけた言葉を、エレインは飲み込んだ。『レディ・ミッドナイト』のことは言えない。彼は魔法省の官僚なのだ。


「夜空を見るのが好きです」と言い換えた。「星々が私たちを見守っているような気がして、心が落ち着くんです」


「なるほど、それで今夜のドレスは夜空のデザインなんですね」


 マルセルの観察眼の鋭さに、エレインは少し驚いた。


「あの、ブランシュタイン卿。一つ聞いてもよろしいでしょうか」


「何でも」


「なぜ、この縁談に応じたのですか? 単なる家同士の繋がりのためでしょうか」


 マルセルは少し考え込んだ後、真剣な表情で答えた。


「正直に言うと、最初は家の意向でした。しかし、今はあなたに会えて本当に良かったと思っています」


 彼は夜空を見上げた。


「僕には、自分の信念があります。この国をより良くしたい。そのために働いているんです。そして、その道を共に歩める人を探していました」


 エレインは彼の言葉に、何か共感するものを感じた。


「あなたの考え方に触れてみたいと思ったんです。もし可能なら、これからもお会いできないでしょうか。急かすつもりはありません」


 マルセルの申し出は、予想外だった。彼は強引に縁談を進めるのではなく、まずは互いを知ることから始めたいと言っている。


「ありがとうございます。またお会いできる日を楽しみにしています」


 エレインは微笑みながら答えた。


 庭園から屋敷に戻る途中、エレインの頭の中では二つの世界が交錯していた。公爵令嬢としての自分と、『レディ・ミッドナイト』としての自分。この二つの世界は、永遠に分かれたままなのだろうか。


 そして、マルセルという新たな人物の登場で、その境界線は一層複雑になったように感じられた。



 *



 その夜遅く、エレインは書斎でソフィアと晩餐会の報告をしていた。


「つまり、彼は魔法省の官僚でありながら、改革派なのね」


「そう見えるわ。まだよくはわからないけれど、単なる保守的な貴族とは違うみたい」


「そして、彼は国のために働いているのね……」


 ソフィアは意味深な笑みを浮かべた。


「何? その顔は」


「何でもないわ。ただ、エレインとマルセル卿の目指しているものは、実は似ているのかもしれないと思っただけ」


 エレインは窓の外を見つめた。月明かりに照らされた庭園は、先ほどマルセルと歩いた場所だ。


「もしかしたら、いつか彼に本当の自分を見せられる日が来るかもしれない……」


 その言葉は、半分は自分自身に向けたものだった。


「どちらにせよ、急ぐ必要はないわ。二つの世界の間で、自分の道を見つければいいのよ」


 ソフィアの言葉に、エレインは頷いた。


 公爵令嬢としての責任と、『レディ・ミッドナイト』としての情熱。どちらも自分自身の一部だ。いつか、その二つの世界が混ざり合う日が来るのだろうか。

 その答えはまだ、見つかりそうになかった。



つづく

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