4.秘密の協力者
「『レディ・ミッドナイト』の正体……あなたでしょう?」
ソフィアの言葉にエレインの頬から血の気が引いた。これまで何度か正体がバレる危機はあったが、こうして真正面から問われたのは初めてだった。
「な、何を言っているの?」
エレインは慌てて否定しようとしたが、うわずった声は明らかに動揺を示していた。
ソフィアはエレインの手をとり、穏やかに微笑んだ。
「誰にも言わないわ。約束する」
「……どうして気づいたの?」
否定する意味がないと悟ったエレインは、深いため息をついた。
「最初は単なる直感だったの。あの優雅な話し方、知識の深さ、それに異世界の話をするなんて……この王国で、そんなことができる人なんてそう多くないもの」
ソフィアは窓際に歩み寄り、外の景色を眺めながら続けた。
「決定的だったのは昨夜の放送。『選択と運命』について語る時の熱意と、それでいて悲しみを含んだ声。それは、いつも仮面をつけているあなたが、本当の自分を表現している時の声だったわ」
エレインは頭を抱えた。ソフィアの観察眼は侮れない。
「……王宮の舞踏会のことも知っているのね?」
「ええ。父が魔法省と関わりがあるから、その話も聞いたわ。だからこそ、今、あなたに会いに来たの」
ソフィアは再びエレインの前に立ち、真剣な眼差しで言った。
「手伝わせて。あなたの放送、守りたいの」
「手伝う……? でも、もし捕まったら、あなたまで罰せられるわ」
「構わないわ。他ならぬ親友のためだもの。それに『レディ・ミッドナイト』の放送は、この国に必要なもの。私はそう思う」
エレインはソフィアの決意に満ちた表情を見つめ、しばらく考え込んだ。彼女を危険に巻き込むべきではない。しかし、このままでは舞踏会で確実に正体がバレる。
「……わかったわ。でも、あくまで私の責任よ。何かあれば、あなたは知らなかったということにして」
ソフィアは嬉しそうに頷いた。
「さあ、舞踏会までの作戦を考えましょう!」
*
その夜、エレインの秘密の書斎にソフィアが招かれた。
「すごい……」
ソフィアは魔法装置や書物が並ぶ空間を興奮した様子で見回した。
「これが放送装置なの?」
高価な魔力水晶と古代の魔道具を組み合わせた独特の装置を前に、ソフィアは目を輝かせた。
「ええ。前世の知識を元に、この世界の魔法技術で再現したのよ」
エレインは装置の使い方を説明しながら、ふと驚いた。「前世」という言葉をつい口にしてしまっていた。
「前世?」
鋭いソフィアはすぐに反応する。エレインは一瞬躊躇したが、ここまで来たら隠し立てもないと思い直した。
「実は私……別の世界の記憶があるの。『日本』という国で生まれ、そこでラジオパーソナリティ――『レディ・ミッドナイト』と同じようなことを仕事にしていたわ」
「まあ! やっぱり!」
ソフィアは驚きながらも、どこか納得したように頷いた。
エレインは前世の日本のこと、ラジオの仕事のこと、そしてなぜこの世界で放送を始めたのかを手短に話した。日本では人々をつなぐメディアとして確立していたラジオが、この世界にはまだない。その可能性を広げたかったのだと。
「素晴らしいわ」とソフィアは感嘆の声を上げた。「でも、よくこんな複雑な装置を一人で作れたわね」
「最初は上手くいかなかったわ。でも図書館で古代魔法の文献を研究して、少しずつ改良していったの」
「で、私にできることは?」
「まず、舞踏会の対策ね」
エレインは小さな魔道具を取り出した。
「これは?」
「声を変える魔道具よ。使えば声の特徴を変えられる。話し方のクセまでは変えられない点は気をつけるべきところね」
「なるほど、舞踏会の時間に『レディ・ミッドナイト』が放送すれば身の潔白が証明できそうね」
「そこで考えたのよ。舞踏会の日、私は体調不良しとかなんとか理由をつけて、途中で退出する。その間にこの秘密の書斎で放送を行うの」
「でも、それじゃあなたがいないことが不自然では? むしろあなたがいなくなった途端に放送が始まれば、自白しているようなものだわ」
「そうなの。だから、舞踏会で私の身代わりになってくれる人が必要なの」
視線を向けられたソフィアは目を丸くした。
「……私が? でも、あなたは公爵令嬢。舞踏会に出席しないわけにはいかないでしょう?」
「そこで登場するのが、私に変装したソフィア。背丈も似ているし、少し離れた距離なら気づかれないはず」
「でも、変装なんて……」
「大丈夫、私には変装の魔法が使えるわ。魔法学の授業で習った上級幻術の応用よ」
エレインはソフィアの手を取り、小さな魔法陣を描いた。青い光が二人を包み、瞬く間にソフィアの姿がエレインそっくりに変わった。
「わあっ!」
ソフィアは自分の姿に驚いて声を上げた。
「この変装は三時間ほどしか持たないけど、舞踏会の退出時間を考えれば十分よ。あなたは私のふりをして、舞踏会の後半に姿を見せればいい」
「でも、話し方は?」
「だからこそ、あなたには体調が優れないという設定で、できるだけ会話を避けてもらうの」
*
舞踏会前日、エレインは父親に呼び出された。
「エレイン、明日の舞踏会は重要だ」
ヴィクター公爵は書斎の窓際に立ち、背中を向けたまま話し始めた。
「陛下が直々に『レディ・ミッドナイト』に関心を持たれている。魔法省は彼女の正体を特定できれば、大きな手柄になると意気込んでいるようだ」
「そうなのですね……」
エレインは平静を装った。
父は振り返り、じっとエレインを見つめた。
「エレイン、明日は特に目立たぬよう振る舞ってくれ」
「どういう意味ですか?」
「魔法省の視線が、ロルファート家に向かないようにするためだ」
エレインは父の言葉に驚いた。もしや父は……。
「お父様、もしかして……」
ヴィクター公爵は微かに笑みを浮かべた。
「私は何も知らん。ただ、我が家の名誉を守りたいだけだ」
「お父様……」
父は窓の外を見ながら言った。「時に規則を破ることで、本当に守るべきものが見えてくることもある」
そして、エレインの肩に手を置いた。
「明日は早めに退出してもよい。それ以上は何も言わん」
エレインは感謝と驚きで言葉を失った。父は何かを知っているのか、それとも単に娘を守ろうとしているだけなのか。
「ありがとうございます、お父様」
*
舞踏会当日、華やかな王宮の舞踏会場。貴族たちの優雅な衣装が彩りを添える中、エレインは父とともに入場した。
エレインは微笑みを浮かべながら挨拶を交わしていく。しかし、会場の中には何人もの魔法省の役人たちが混じっているのが見て取れた。彼らの鋭い視線が、集まった令嬢たちを一人一人確認しているようだった。
特に目立ったのは、視学官アーサー・グレイストーンの存在だ。彼は壁際に立ち、冷静な眼差しでエレインを含む令嬢たちを観察していた。
エレインは平静を装いながらも、時計をちらちらと見ている。そろそろ、作戦を実行する時間だ。
「エレイン」
声をかけられて振り返ると、アーサーが立っていた。
「一曲、踊っていただけますか?」
エレインの心臓が高鳴った。避けられない状況だ。
「……喜んで」
彼女はアーサーの手を取り、ダンスフロアへと向かった。音楽が流れる中、二人は優雅に踊り始める。
「公爵令嬢、最近はお元気でしたか?」
その問いかけには、何か別の意図が隠されているように感じられた。
「ええ、おかげさまで」
「夜更かしなどはなさっていませんか?」
エレインは一瞬動揺したが、表情には出さなかった。
「貴族の娘として、規則正しい生活を心がけております」
アーサーは微かに笑みを浮かべた。
「そうですか。実は、私はよく夜更かしをしてしまうんです。特に最近は、ある放送を聴くのが日課になっていまして」
エレインの背筋に冷たい汗が伝った。
「放送、ですか?」
「ええ。『レディ・ミッドナイト』という方の放送です。ご存知ですか?」
「噂で聞いたことは……」
アーサーはエレインの目をじっと見つめた。
「彼女の放送は、良くも悪くもこの国に新しい風を吹き込んでいる」
エレインは驚きを隠せなかった。魔法省の視学官が、肯定とも取れる発言をするなんて。
「でも、魔法省としては……」
「法と正義は時に異なる」とアーサーは静かに言った。
「時には古い法が新しい可能性を阻むこともあるでしょう。私は彼女の放送が続くことを、個人的には望んでいます」
「まあ……!」
もしかして味方になってくれるかも……。
だがそんな甘い期待は、彼の冷たい目に打ち砕かれた。
「今更雲隠れされてしまえば尻尾が掴めなくなるでしょう? 彼女には持ちうる技術をすべて提供していただくつもりです。国のためにね」
……危ういところだった。エレインは自分の迂闊さを呪いたくなった。
アーサーは決して『レディ・ミッドナイト』のファンなどではない。
彼は国のためになる技術にしか興味がない。引き出せるだけ引き出したら……どうなってしまうのだろうか。
投獄や追放という言葉が脳裏に浮かび、エレインは身が震えそうになるのを必死で押し留めた。
やがて曲が終わり、二人は止まった。アーサーはエレインに深く一礼した。
「素晴らしいダンスをありがとうございます。公爵令嬢」
エレインが言葉を返す前に、アーサーは立ち去った。彼は知っているのだろうか。それとも単なる憶測なのか。
心臓の鼓動が収まらないまま、エレインは計画通り体調不良を装い、舞踏会を早めに退出した。
*
「こんばんは、皆様。『レディ・ミッドナイトの秘密の部屋』へようこそ。お相手は、レディ・ミッドナイトです」
エレインは書斎で、いつもの放送を始めた。今夜は特別な夜。王宮では彼女の正体を探る舞踏会が開かれている中での放送だ。
「今宵は『信頼』についてお話ししたいと思います。人生において、誰かを信頼するということは、時に大きな勇気を必要とします。自分の弱さや秘密を打ち明けることは、自らを無防備にさらすことでもある……」
エレインは父やソフィアのことを思いながら語り続けた。人は一人では生きられない。信頼できる協力者の存在が、時に人生を変える。
放送が終わってすこしして、ソフィアが書斎に戻ってきた。変装の魔法は既に解けていた。
「どうだった?」
「大成功よ!」とソフィアは興奮した様子で言った。「誰も気づかなかったわ。魔法省の人たちは、舞踏会に集まった全ての令嬢と会話していたけど、私は体調不良という設定のおかげで、ほとんど話さずに済んだわ」
エレインはほっと安堵のため息をついた。
「ありがとう、ソフィア。あなたがいなければ、今夜の放送はできなかった」
「いいのよ。ちょっぴり怖かったけれど、それ以上に楽しかったもの」
「あなたがいてくれて本当によかったわ」
二人は微笑み合った。
ひとまずの難局は乗り切った。だが、『レディ・ミッドナイトの秘密の部屋』が続く限り、これで終わりということもないだろう。
これからどんな波紋が広がっていくのか、エレインの胸は期待と不安で満ちていた。
つづく




