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3.広がる波紋

 王国一の名門、ロルファート公爵家の食卓は、いつも厳格な礼儀と静寂に包まれていた。エレインは父と向かい合い、完璧な食事作法で夕食を進めていた。


「エレイン」


 突然、父親のヴィクター公爵が口を開いた。厳めしい顔つきの中年の男性だが、娘には優しい眼差しを向ける。


「はい、お父様」


「最近、奇妙な噂を耳にしたのだが……」


 エレインは一瞬、手の動きを止めた。しかしすぐに平静を装う。


「どのような噂でしょうか?」


「『レディ・ミッドナイト』という者が、夜な夜な魔法放送をしているそうだ。異世界の知識を語り、音楽を奏で、悩める人々に助言を与えているという」


 父公爵はワインを一口含み、じっとエレインの反応を観察しているようだった。


「まあ、面白い話ですね」


 エレインは動揺を見せないように心がけた。父は何か気づいているのだろうか。


「王宮でも話題になっているようでな。陛下御自身が興味を示されておられるとか」


 エレインは驚きを隠せなかった。まさか王までもが……。


「昨夜、私も聴いてみた」


 父公爵の言葉に、エレインは思わずナイフを落としそうになった。


「とても優雅で知的な話し方の女性だった。どこかで聴いたことのあるような声だが……」


 エレインはどきりとした。しかし父は微笑んで続けた。


「音楽の造詣が深い方のようだ。昨夜の演奏は、まるで光の粒が降り注ぐような美しい調べだった」


「……私も機会があれば聴いてみたいです」


「ぜひ聴くといい。伝統を重んじる私ではあるが、新しい風も時には必要だと思う」


 エレインは父の言葉に少し驚いた。いつも厳格な父が、認めるとは。


「ただ、魔法省は未許可の魔法使用を厳しく取り締まっている。この『レディ・ミッドナイト』も、いずれ正体を明かさねばならない時が来るだろう」


 父の言葉に、エレインは押し黙った。



 *



 王立学院では「レディ・ミッドナイト」の話題で持ちきりだった。特に貴族の娘たちの間では、夜の放送を聴くことが一種の流行になりつつあった。


「エレイン、聴いたわ! 昨夜の放送!」


 休み時間、ソフィアが興奮した様子で駆け寄ってきた。


「レディ・ミッドナイトが『異世界のロマンス』について語っていて、『運命の赤い糸』という考え方を説明していたの。二人の魂が生まれる前から結ばれているなんて、素敵な考えでしょう?」


 エレインは微笑んだ。前世の日本文化から取り入れた話題だった。


「確かに素敵ね。私も昨夜、初めて聴いたわ」


 嘘をつくのは気が引けたが、正体を明かすわけにはいかない。


「そうなの! どう思った? あの声、どこか品があって上品よね。きっと高貴な生まれの方だわ」


 エレインは咳払いをした。


「そうかもしれないわね。でも、放送の内容はむしろ身分を超えた考え方を説いているように思えたけど」


「そうなの! それがいいのよ。私たち貴族の娘は生まれた時から道が決められているけど、彼女は自分の心に素直に生きていいんだって言ってくれる。勇気が湧いてくるわ」


 エレインはソフィアの目が輝いているのを見て、嬉しさと同時に責任の重さも感じた。彼女の言葉が人に影響を与えている。その影響力を正しく使わなければ。


 その時、廊下の向こうから厳しい足音が聞こえてきた。振り返ると、視学官のアーサー・グレイストーンが何人かの生徒に話しかけていた。


「彼、まだ調査を続けているのね」とソフィアが囁いた。


 エレインは無言でうなずいた。アーサーの姿を見るだけで胸が締め付けられる。


 彼の視線が一瞬、エレインに向けられた。まるで何かを見透かすような鋭い眼差し。エレインは冷静さを保ちながらも、内心では緊張が高まった。



 *



 その夜、エレインはいつものように秘密の書斎へと向かった。しかし今夜は少し様子が違う。受信用の魔法水晶が青白い光を強く放っていた。


「これは……」


 魔力を流し込むと、次々とメッセージが浮かび上がる。昨日までの数倍の量だ。


「レディ・ミッドナイト様、毎晩楽しみにしています」

「異世界の音楽、もっと聴かせてください」

「あなたの言葉で勇気づけられました」


 嬉しい言葉ばかりだが、中には気になるものもあった。


「魔法省の調査が厳しくなっています。お気をつけください」


 エレインは身を引き締めた。それでも、この声に応えたい。彼女は深呼吸をして、放送用の魔法装置のスイッチを入れた。


「こんばんは、皆様。『レディ・ミッドナイトの秘密の部屋』へようこそ。お相手は、レディ・ミッドナイトです」


 いつもの挨拶から始めて、エレインは穏やかに語り続けた。


「今宵は多くのお便りをいただき、心から感謝しています。わたくしの小さな放送が、こんなにも多くの方に届いているとは……」


 エレインは感慨深げに言葉を選んだ。


「今日は『選択と運命』についてお話ししたいと思います。わたくしの故郷では『人生は選択の連続である』という考え方がありました。生まれや立場は確かに重要ですが、それ以上に、日々の小さな選択が積み重なって未来を作るのです」


 これは前世で愛読していた哲学書からの知恵だった。エレインは続けた。


「例えば『挨拶をするかしないか』『親切にするかしないか』という小さな選択。それが積み重なって、あなたという人間を形作る。そして、周囲の人々との関係も変えていくのです」


 エレインは窓から見える星空に目をやりながら、静かに語り続けた。


「この世界では運命や身分が重視されがちですが、小さな選択を大切にすることで、自分の人生に色を添えることができます。『淑女の作法』や『騎士の誇り』といった決まり事も大切ですが、時にはそれを超えた選択をする勇気も必要かもしれません」


 エレインは自分自身のことを考えていた。公爵令嬢でありながら、こうして秘密の放送をする自分の選択は正しいのだろうか。


「さて、今日も素敵なお便りをたくさんいただきましたので、いくつかご紹介しましょう」


 エレインは魔法水晶に記録された内容を思い出しながら読み上げた。


「ラジオネーム『水辺の詩人』さんからです。『好きな相手に詩を贈りたいのですが、どのような言葉が心に響くでしょうか』」


 エレインはほほえみながら答えた。


「詩は言葉の芸術。美しい表現も大切ですが、何より大切なのは真実の感情です。あなたが本当に伝えたいことを、素直に言葉にしてみてください。異世界の詩人は言いました。『簡潔さは魂の輝き』であると」


 これはエレインが自分で考えた言葉だったが、異世界の知恵として語ると説得力が増すような気がした。


「次は……『若き商人』さんからのお便り。『父の商売を継ぐべきか、自分の夢を追うべきか迷っています』」


 エレインは少し考えてから答えた。


「難しい選択ですね。わたくしの故郷では、こんな言葉がありました。『人生は一度きり』。大切なのは後悔しない選択をすること。もし可能なら、父上の商売を学びながらも、自分の夢への小さな一歩を踏み出してみてはいかがでしょう? 両立への道を模索することで、新たな可能性が見えてくるかもしれません」


 次々と届いたお便りに丁寧に答えていくうちに、エレインは感じていた。彼女の言葉がこの世界のどこかで、誰かの小さな選択を後押ししているのだと。


 そして、リュートを手に取った。


「今夜の音楽は、昼の喧騒を離れ、夜の静けさの中で自分と向き合う時間のための音楽です」


 エレインは繊細に弦を奏でた。その音色は、聴く者の心に静かな波紋を広げていく。


 演奏を終えると、彼女は締めの言葉を述べた。


「皆様、今夜も聴いてくださり、ありがとうございます。明日もこの時間に、皆様とお会いできることを楽しみにしています。そして、今日一日の終わりに、どうか自分自身の心に耳を傾ける時間を持ってくださいませ。おやすみなさい」


 放送を終え、エレインは深く息をついた。しかし、その安堵も束の間。書斎の窓の外に、人影が見えたような気がした。エレインは身構えたが、よく見ると月明かりに照らされた庭師の姿だった。


「肝が冷えたわ……」


 エレインは胸をなでおろした。しかし油断はできない。魔法省の調査が続く限り、いつバレるか分からない。放送の場所を変えた方がいいかもしれない――。そんなことを考えながら、彼女は慎重に書斎を後にした。



 *



 翌朝、朝食の席で再び父が話しかけてきた。


「エレイン、来週、王宮での舞踏会がある。君も出席するように」


「はい、お父様」


 エレインは淡々と答えたが、父の次の言葉に驚いた。


「陛下が『レディ・ミッドナイト』について興味を持たれておられる。彼女の正体を突き止めるため、魔法省は舞踏会に王国中の名家の令嬢たちを招集するよう進言したそうだ」


 エレインは青ざめた。


「なぜ令嬢たちを?」


「声や話し方の特徴から、高貴な教育を受けた女性だと推測されているらしい。舞踏会で一人一人と会話をすれば、判別できるかもしれないと」


 エレインの背に冷や汗が伝った。このままでは舞踏会で正体がバレてしまう。しかも王様の前で……。


「それは……興味深い試みですね」


 彼女は動揺を隠しながら答えた。父は意味深な表情でエレインを見た。


「そうだな。私も『レディ・ミッドナイト』の正体が気になるところだ」


 エレインは黙って朝食を続けた。頭の中ではすでに次の一手を考え始めていた。


 正直なところ「異世界でもラジオを放送したい」という気持ちが先走っていたことは否定できない。声を変える魔道具を探すなど、もっと備えをするべきだった……。


 今となっては後悔先に立たず。王宮の舞踏会まで一週間。彼女はその間に何かしなければならない。放送を休むか、それとも声を変えて別人を装うか、あるいは……。


 いずれにせよ、『レディ・ミッドナイト』の放送が広げた波紋は、ついにエレイン自身の足元にまで押し寄せてきていた。



 *



 その日の午後、エレインが自室で考え事をしていると、メイドのローザがノックをした。


「お嬢様、ソフィア様がお見えです」


「通してくれるかしら」


 ソフィアが部屋に入ってくると、いつもの明るさとは違い、妙に緊張した面持ちだった。


「どうしたの、ソフィア?」


 ソフィアは周囲を確認してから、小さな声で言った。


「エレイン、あなたに大事な話があるの」


「何かしら?」


「私……気づいたわ」


 エレインは身構えた。「何に?」


 ソフィアはさらに声を潜めた。


「『レディ・ミッドナイト』の正体……あなたでしょう?」



つづく

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