幾千もの朝
公平に見ると、そんなに悪い夫ではないと思う。
肉体的な暴力はふるわないし、お金を渡してくれる。ギャンブルはしないし、たぶん浮気もしなかったと思う。
外っつらがいいので、人気がある。
心身をすり減らしてお金を稼ぎ、家を建てて、子どもたちを養ってくれた。
たまにイラっとする言動は、生まれ育った時代と土地柄のせいもあるのだろう。
あんなに飲んでいたアルコールを、夫は最近、ふっつりと完全に止めた。
おかげで、若いころは毎日のようにしていた夫婦げんかが間遠になった。
凪のように穏やかな日々が過ぎていく。
夫は、女房もずいぶんと丸くなったと思っているかもしれない。
しかし、忘れたわけではない。
何十年もの恨みは、そう簡単には忘れられない。
本当に私が憔悴して助けてほしい時に、気づかないふりをした。
いつも、忙しい忙しい、と、お酒か仕事に逃げた。
私や子どもが寝込んだ時も。頼まれて引き受けたボランティア活動で、私が多忙を極めた時も。
夫の行動は何一つ変わらなかった。
家事や育児を手伝うどころか、連絡もなしに酔っ払って、早朝、悪びれもせずに帰って来た。
何度頼んでも、夕食はいらない、との一本の電話やメールもなかった。
そういうことが続くと、さすがに、鈍い私にもよくわかった。
「自分でなんとかしろ」「おれを当てにしないでくれ」「おれのせいじゃない」ということなのだろう。
そして私は、頼ることも説明することもあきらめてしまった。
夫は私の苦しみを、どこか軽く見ている。
主婦の仕事はもっと評価されるべきだ、と口では言いながら、主婦の苦労なんて、大したことではないと内心思っている。
自分の仕事の方が苦労が多くて、高尚だと思っているふしがある。
私だって、夫の苦労を本当に理解できるとは思わない。
しかし、話を聞いて、「大変だね」「お疲れさま」と同情することはできる。
料理を一品増やしたり、部屋やお風呂の温度を調節したりと、私なりに気配りしてきたつもりだ。
夫からしたら、満足できるものではなかったかもしれないけれど。
少しばかりの同情や思いやりがあれば、こんなに冷たい気持ちにはならなかった。
たぶん、夫が描いている家族像は、夫という恒星を、妻子という惑星たちが従順に回っている図なのだろう。
だから、妻子が自分に歯向かうと、本当にびっくりしたような顔をして、不機嫌になる。
私は、双子星のように、どちらともが輝いていたかったのに。
夫婦愛とは、私にとっては、失われたムー大陸くらいの、まぼろしだ。