(六)
暗いな。
日が暮れてきたんだろう。いつの間にか、物の境界線がボンヤリするぐらい、室は暗くなっていた。
ゴロリと転がった床台の上。何をするでもなく、体を横たえていた。勉強なんてする気も起きない。
なんでボクがこんなところに、こもってなきゃいけないだ?
あの人の子が付いてきたのが悪いんだ。
あの人の子が、ずっとボクに付いてくるから。
あの人の子を、ノスリたちが「かわいい」って言い出すから。
だから、ここに閉じこもることになった。
あの時、ノスリたちがボクと同じように、「翼がないだなんて変なヤツ!」って言ってくれれば、ボクは……。
「くそっ!」
どうしようもなく腹が立って、体を起こす。
なんでこんなに暗いんだよ。なんでこんなに腹が減ってんだよ。なんでこんなにこもってなきゃいけないんだよ。
こんなふうに、小さく縮こまっていなくちゃいけないのはあの人の子の方で、ボクはこの社の中を、自由に動き回っててもいいはずだ。この、大きな樟の木の上に建てられた社は、鳥人族の族長とその家族の住む場所であって、人の子が大手をふって歩いていい所じゃないんだからな。
アイツは、サッサとエサでもやって、トットとアイツの室に放り込んでおこう。それからボクもゆっくり食事をする。灯りを点けた、広く明るい所で。
うん、そうだ。それがいい。
床台から立ち上がり、室の外に出ようと戸に手をかけ――
「わっ!」
暗い中、ヌッと立ちはだかったそれに驚く。開いた戸の目の前に立っていたのは、あの人の子だった。
「お前、また……」
社に帰ってきた時といい、今といい。なんでそんなにボクの行く手を阻むんだ? ボクをジャマして楽しんでるのか?
「あー、やっと出てきた」
「遅いぞ、ハヤブサ。待ちくたびれたぞ」
「ノスリ、カリガネ」
戸のすぐそば。左右に分かれ壁を背にして座っていたのはノスリとカリガネだった。カリガネはただ座っていただけだけど、ノスリは懐から出した木の実を、アーンっとうまそうに頬張っていた。
「お前らのイタズラか?」
出てきたボクを驚かそうと、人の子をここに立たせたのか?
「違うよ、ハヤブサ」
カリガネが首を横にふった。
「この子は、キミが室に入った時からずっと、そこに立ってたんだ」
「そうだぜ。オイラがこうして木の実を見せても、食べようともふり向きもしねえ。ずっと、戸だけを見てた」
「え?」
見てみろと、ノスリ。美味しそうな真っ赤なグミを人の子の口元に持っていったけど、人の子は口を開くどころか、ノスリも木の実も見ようともしなかった。そのままジッとボクを見上げてるだけ。
「この子さ、ハヤブサのこと、親か何かみたいに思ってるんじゃない?」
カリガネが言った。
「他の人からの食べ物は受け付けないし、ずっとハヤブサの後を付いてくし」
「まるで、親の後をピヨピヨついてくヒナ鳥だよな」
ノスリが笑う。
「さっきの階でもそうだよ。あれ、きっとハヤブサがあそこから飛んじゃったから、ついて行けなくて、そのまま待ってたんじゃない? 今みたいにさ」
あれは、着地をジャマしようと突っ立ってたんじゃなくて、あそこまでしかついて行けないから、そのまま立っていた? ここに立っていたのも、ボクがついてくるなって、戸を閉めちゃったから?
「ハヤブサ、お前さ、こんなに慕われてるだから、もう少しやさしくしてやれよな」
ほらよ。ノスリが手にしたグミをボクに渡す。受け取ったボクは、しかたなく膝を折り、人の子の口元にそれを持っていく。
パクリ。
今度はちゃんと食べた人の子。
「ほらな」と、二人の視線が言った気がした。
「でもさ」
口がとんがる。
「そんなにボクになついてるのならさ、一回ぐらいお礼を言ってもいいのにさ」
なつかれてるって認めたくない、最後の抵抗。
「コイツ、ここに来てから、一度も『ありがとう』すら言わないんだぜ?」
一度ぐらい「ありがとう」って言ったら、ボクだってここまで意固地にならずにすんだのに。人の子を好きにはなれなくても、それでももう少しやさしくしてあげたのに。
ウンともスンとも言わない人の子。笑ったのだって、あの勾玉を返してやった時の一回だけ。普通、〝なつく〟って言ったら、もう少し笑ったりしないか? 今だって、グミは食べたけど、ニコリともしない。モグモグして食べ終えたら、またこっちをジッと見るだけ。
「……ねえ、ハヤブサ」
珍しく、カリガネが真面目な顔になった。
「この子、一度もしゃべってないの?」
「そうだけど?」
「『あっ』とか『うっ』とかそういうのも?」
「ん~~、多分」
人の子が発した音というのを、一度も聞いたことはない。
「この子、少し借りるね」
言うなり、カリガネが人の子を抱き上げる。――けど。
「わわわっ! 暴れないでっ! キミをちょっと診てもらうだけだから!」
カリガネの腕の中で大暴れする、人の子。カリガネの力では、抱き続けることは難しく、人の子はアッサリ床に降ろされた。そして、またボクの衣のすそにしがみつく。
「診てもらうって、何を?」
「――その子、しゃべりたくないんじゃなくて、しゃべれないんじゃないかって思ったんだよ」
「しゃべれない?」
「そうだよ。聞いたことがあるんだ」
人の子が暴れ、あちこち蹴られ、殴られたカリガネ。少しだけ顔をしかめ、汚れた衣を払う。
「心にね、どうしようもないぐらい強い衝撃を受けると、抱えた感情が砕かれて、体のどこかをふさいでしまうんだ」
「体のどこか?」
「砕けた感情がそこで詰まるんだよ。突然、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、記憶を失ったり、手足が動かなくなったり。声が出なくなったり」
「まさか」
驚き、ノスリと二人で人の子を見る。
「こんな、なんのケガもしてねえみたいなのに?」
人の子の体。その細い腕にも、白い顔にも、どこにもケガを負った様子はない。
「心のケガは目に見えないからね。だから、一度診てもらったほうがいいと思ったんだ」
頭を槌で叩かれたような感覚だった。
「しゃべらない」んじゃなくて、――「しゃべれない」?