(五)
月明かりの下、東にむかって空を飛ぶ。
星影に山の木々、稜線が黒々と浮かび上がる。
人の宮を出た時は、黒い塊のように連なって飛んでいた鳥たちも、少しずつ別れ、それぞれの巣へと帰っていく。きっと明日には、仲間や家族に自分がいかに活躍して、メドリを助けたか自慢気に話すんだろう。メドリを背に乗せて飛んだとか、人の間を縫うように飛んで驚かせたとか。きっと、鳥たちの一生に一度、生涯で一番大きな自慢話になるだろう。
そんな鳥たちが別れのあいさつに近づいてくるたびに、メドリが「ありがとう」とか「おやすみなさい」をくり返す。
「でもほんと、メドリが無事でよかったよ」
ほとんどの鳥と別れ、あとは社に帰るだけとなった頃、カリガネが言った。
「兵に囲まれてるのを見た時は、どうなるかって思ったけどさ」
「かっこよかったよなあ、ハヤブサの雷。こう、ズババババッて出てさ。飛んできた矢を全部まっ黒焦げにしちゃってさあ」
「そうだよね、あれ、すごかったよね!」
ノスリの言葉にカリガネが興奮しながら頷く。
〝ワシモ活躍シタゾイ!〟
忘れられては困ると、大鷹が、ノスリの腕の上で翼を羽ばたかせた。
あの時の大鷹は、メドリを助けるために鳥たちを率いて飛んだけど、やはり肩羽の傷は重くて、遠く長い距離を飛ぶ時は、誰かに運んでもらわなきゃいけない。
「うん。大鷹もかっこよかったよ」
そう言ってやると、エヘンと大鷹が胸を反らした。とまり木代わりに腕を貸してるノスリが「イテっ!」と顔をしかめた。きっと、胸を反らしたひょうしに、鉤爪を立てられたんだろう。
「でもさ、あの抜け殻になった剣、あれをこれからどうするんだろうね」
「気になるのか、カリガネ」
「うん。だってあれ、フツミタマノツルギ? だっけ。あれには、なんの力も宿ってないんだよ。ただの鉄のかたまりじゃないか」
あの剣に宿ってた雷の力はボクに移った。だからあれはもう神宝でもなんでもない、ただの鉄のかたまり。鉄の剣。
山にあったときは、何年も放置されててもビクともしなかったけど、これからは普通にサビて土にかえっていくんだろう。
「でも、神宝は神宝だし。大事にしていくんじゃないのか?」
力はなくても形は残っている。
メドリの父親を殺して剣の鞘だけを持ち帰った大君。あの剣が人の神宝、大君の証だと言うなら、抜け殻であっても大事にするに違いない。
誰でも持てるようになった剣に、それだけの価値があればだけど。
「ごめんな、メドリ。お前の父さんの形見をあんなふうに渡してしまって」
気になることといえばそれだけ。
あれは、メドリの父親が持っていた剣。それを勝手に渡してしまった。
「いいの」
軽く首をふって、メドリが衣の下から勾玉を取り出す。
「それは……」
「父さまが母さまに贈った、妻問いの宝なの」
初めて会った時、ずっとメドリが握りしめていた淡桃色の勾玉。忍海彦たちに、巫女姫の証みたいに言われたから、どういう品なのかって思っていたけど。
「そっか」
それがあれば充分か。
剣なんて物騒なものじゃなくても。
軽く笑ってメドリを見ると、ニコッと笑い返された。
「梯立ての 倉橋山は 嶮しけど 妹と登れば 嶮しくあらず」
「え?」
今、なんて言った?
「ねえねえ、それが〝歌〟ってやつなの? メドリ」
「やっぱ、鳥のさえずりとは違うなあ。ってか、どういう意味なのさ」
カリガネだけじゃなく、ノスリも食いついた。大鷹も興味深そうに首を伸ばす。
「倉橋山は、天にかけた梯のように険しいけど、愛する人と登れば、なんてことない、険しくない……って意味だろ」
メドリの代わりに答える。
歌った本人は、尋ねられて恥ずかしかったのか、ボクの胸に顔をうずめて、小さくうなずいただけ。
「父さまが、母さまに贈った歌なの」
顔を真っ赤にしたメドリが、小さな声で言った。
「いい歌だな」
褒めると、メドリがさらにきつくボクの衣を握りしめた。
「アナタとならどんな山でもへっちゃらさ~か」
「女の鳥とそんなふうに想いあえたら素敵だよね」
「そうだよな~って、ああっ! 歌垣っ! あれって今年はもう終わりなのかな」
人の襲撃せいで、途中で終わっちゃったけど。
「終わりなんじゃないのか?」
「終わりでしょ」
ボクとカリガネが答える。
「ちくしょ~。じゃあ、来年まで番はお預けかよぉ」
グシャグシャと髪をかき乱すノスリ。そんなに番探しに必死だったのか。
「じゃあ、メドリ! オイラと番になってくれ!」
ノスリが叫んだ。
「オイラ、メドリを大切にする! だから、メドリを嫁にくれ、ハヤブサ!」
は?
「ノスリ……。そこまでして番が欲しいの?」
カリガネがあきれた。
「だってさ。メドリとなら、楽しくやっていけるような気がするんだよな、オイラ」
「あ、それなら僕もメドリをお嫁さんにほしいかな。メドリとなら、気心知れてるし。一緒に暮らして、いっぱいメドリの歌を聴かせてほしいな」
カリガネまで言い出した。
カッカッカッカッ、カッカッカッカッ。
〝ワシモ姫ト番イタイゾイ〟
なぜか、大鷹まで参戦する。
〝ワシナラ、姫ノタメニ、最高ノ巣ヲ用意デキル〟
いや、メドリを巣で暮らさせるのかよ。
「――メドリは誰にもやらない」
発した声。自分でも知らないうちに、とんでもなく低くなっていた。
「メドリは、誰もやらない!」
だって、まだ小さいし。一人じゃ空も飛べないし。あぶなっかしいし。目が離せないし。だから、まだ誰かと番うなんてできないし。そんなのは、もっともっと先の話だし。
「じゃあ」とか「それなら」みたいな気軽さで、番相手に選んでほしくない。安易すぎる。
「うわあ、ハヤブサ、長と同じこと言ってる」
「うん。長のこと、親バカとかなんとか言ってたけど、自分もおんなじじゃん」
〝兄バカジャノ〟
うなずき合う二人と一羽。
――娘は、誰にもやらーん!
ボクだって、言ってから父さんと同じだって思ったんだから、追い打ちかけるようなこと言うなよ。
「兄さま……」
なぜかキュッとボクの首に腕を回したメドリ。なにがうれしいのか、ヘニャッといつものように笑いかけてくる。
そのせいで、ボクの顔がカッと熱くなる。首をしめられたせいだ。ドキンと胸がはねたのは、息が苦しくて心臓がもがいたせいだ。きっと。
まったく。
コイツといると、ほんと、調子が狂う。