(四)
「で? 逃げ出してきたの?」
ボクの腰かけた枝より少し下、ガッシリとした枝の根元に座ったカリガネが言った。
「逃げ出したんじゃない。ちょっと休憩に来ただけだ」
ムッとして口を尖らす。そう。今はちょっとアイツのそばを離れただけ。
「それを〝逃げ出した〟って言うんだよ。もしくは、〝放置してきた〟」
どう言いつくろっても、やってることは同じ。だから、よけいにムッとする。
「あーあ。オイラ、人の子ってヤツが見れるのかって楽しみにしてたのになぁ」
残念がったのは、カリガネの座る枝の先に、チョンとしゃがんだノスリ。時折体を揺らし、枝をたわませるもんだから、カリガネが落ちないように身を幹に沿わす。
「こうやって集まるのにさ、ハヤブサが抱っこでもして、連れてくるかと思った」
「するわけないだろ。そんな赤子じゃないんだぞ?」
鳥人で、抱っこされて移動するのは、翼のそろわない赤子だけ。鳥人は歩くよりも早く、空を飛ぶことを覚える。だから、枝を揺すられて、ビビってるカリガネの反応のがおかしい。空、飛べるんだから怖くないだろ? ふつうは。
「でも、その人の子ってのは、翼を持ってないんだろう? だったら、移動するには、ハヤブサが、抱っこするっ、しかないじゃない、かっ!」
面白がってノスリが枝を大きく揺らすもんだから、カリガネは座ってるどころじゃなくなって、幹にしがみついてる。話す声だって叫びに近い。そんなに怖いなら、軽く飛んで、別の枝に座ったらいいのに。
「ボクは、父さんからアレの世話は頼まれたけど、それ以上のことは頼まれてない。着替えもさせたし、キレイにしてやった。メシも食べさせたし、寝床も用意してやった。お世話っていうのなら、それで充分だろ」
「ええーっ」
納得しない二人。カリガネは眉を下げ、ノスリはブーブーと口を尖らす。
「ボクだって、少しぐらい息抜きしたいんだよ」
ボリボリと頭をかく。
「だってさ、アイツ、父さんがお世話しろって言ったのを聞いてたのか、ずっとボクの後ろを付いてくるんだぜ?」
「ずっと?」
「ずっと。ボクが食事をする時も、着替えの時も。なんなら厠にも付いてくる」
「ゲッ」
ノスリが息をのんだ。
「み、水鳥の子どもみたい……だね」
カリガネが言いつくろう。
まるで、親鳥の後をどこまでもついてく、ヨチヨチのヒナ鳥。
「ヒナ鳥なら、かわいいかもしれないけど、相手は人の子だぞ? かわいくもなんともないよ。ただただウルサイ。面倒くさい。ジャマ」
たとえ、かわいいヒナ鳥であっても、厠にまで付いてきてほしくない。用を足す時ぐらい、一人でゆっくりしたい。
「なあ、人の子って、やっぱりかわいくないのか?」
ノスリが身を乗り出した。
「じっちゃんが言ってたんだ。人ってのは、おっそろしい角が頭に生えてるんだって」
こんなかんじに。頭の上に、指で角を二本作った。
「あ、それ僕も聞いたことあるよ。口にはするどい牙が生えてるんでしょ?」
カリガネが、自分の指で口をウイッと開いてみせた。
あのツヤツヤの黒い髪の中には、そんな角が隠れているのか。あのノブドウを丸呑みする口の中には、そんな牙が生えていたのか。
「そんなに見たけりゃ社に来いよ。イヤっていうほど人の子を見せてやるよ」
「え、いいのか?」
「別に誰かに会わせちゃダメだって、父さんは言ってなかったし。見たかったら社に来たらいい」
バサッと羽根を広げ、いつもの集合場所、槻の木の上から飛び立つ。
「おい、待てよ!」
「わわわっ、僕も行くよ!」
ノスリが飛び立ち、大きく揺れた枝から、おっかなびっくりカリガネも羽ばたく。
そんなに人の子に興味があるのなら、これからは、コイツらにアレの世話をしてもらおうかな。そうしたら、ボクの負担も減って、厠ぐらい自由に行けるようになりそうだし。
そんなことを考えながら、森の空を飛ぶ。森は、倒れた木や折れた枝葉、茂った草で歩きにくい地面の上を移動するより、こうして空を飛んだほうが早く目的地に着く。飛ぶのにつかれたら、止まって休むだけの枝もたくさんある。これが人なら、暗い森の中で、何度も枝や木の根につまづき、湿った土の上では休むこともできずに苦労する。
だから、うっそうと木々の茂る森は、空を飛べる鳥人のもの。歩きやすい平坦な野は、歩くことしかできない人のもの。
太古の昔。神々がこの世界を作ったときにお決めになったこと。
だから。だから、だから、だから。
あんな、翼のない人の子なんて、ボクの妹でもなんでもないんだからな!