(七)
わたしの手のなかにある、小さな笛。
鳥人の神宝、天鳥笛。
兄さまが、わたしのために、鳥人の父さまから借りてきてくださったもの。
初夏の草原を思わせる緑の石、翡翠。その翡翠で出来た、鳥の卵のような形の笛。
普通に吹いても音は出ず、呼び寄せたい相手のことを思いながら吹けば、その相手にだけ音が届くのだという。
――何かあったら、これを吹いて知らせろ。
そうしたら、どこからだって駆けつける。守ってやる。
そう兄さまは約束してくれた。わたしを助けてくれると。
――ボクが、守って……やる。
矢で射られ、生死の境をさまようことになっても、そう言ってくれた兄さま。
どこまでもやさしく、どこまでもわたしを大切にしてくれた兄さま。
今、もしこの笛を吹いたら、兄さまはここに駆けつけてくれるのかしら。わたしを助けてくれるのかしら。
危険を冒してまで、ここに来てくれるのかしら。
兄さまのことだから、きっと無理をしてでもここに来てくれる。でも。
(そんなことをしたら、きっと次は矢傷ぐらいではすまない)
ここには、たくさんの兵がいる。兄さまがここに来たら、きっとたくさんの矢を射かけられてしまう。兄さまが無事に帰れる保証はない。
それこそ父さまのように、命を落としてしまうかもしれない。
(それはダメ。兄さまをそんな目に遭わせるわけにはいかないわ)
だって、兄さまは鳥人族の大切な次期族長だもの。人の子でしかないわたしのために、そんな危険な目には遭わせられない。
(兄さま……)
どれだけ会いたくても、この笛を吹いてはダメ。兄さまを巻き込んではダメ。
すべらかな、卵を思わせる形の緑の笛。
それを何度もなんどもなでて、必死に心を抑える。
(兄さま……)
どうしてここまで兄さまを慕うのか。自分でも分からない。
初めて会った時からそうだった。わたしは、兄さまだけを見ていた。
父さまたちが亡くなって、誰か守ってくれる相手が欲しかっただけなのかもしれない。鳥人の父さまと違って、歳の近い兄さまに親しみを持っただけなのかもしれない。
けど、心のどこかで、「この人だ」という直感みたいなものがあった。兄さまにだけは、強くひかれる何かがあった。それがなんなのか、言葉にするのは難しいけれど、兄さまとだけはいっしょにいたいと思った。
笛をなでるたび、思い出すのは、兄さまが見せてくれたムラサキの原。青い月の光の下、控えめに咲いた白い花が、星のように美しかった。
兄さまが、どうしてあの花をわたしに見せてくれたのか。どうしてあの夜、わたしを連れ出してくれたのか。
歌垣に参加したところで、誰からも求愛されない人の子を哀れに思ったのか。それとも。
(兄さま……)
ガマンできなかった涙が、ポタリポタリとこぼれ落ちる。
こんな時、自分が翼を持たない人の子であることが、とても悔しく思える。翼があれば、どんなことがあっても、兄さまの元に飛んでいけるのに。こんなところ抜け出して、兄さまのところに帰っていけるのに。
(ハヤブサ……)
背中に翼を持たぬこと。そのことをなにより悲しく感じる。