(五)
「あれは七年前の秋だったかな。素珥山のススキ野を、一人の男が歩いていたんだ」
背中の矢傷で動けないボクに、父さんが語り始めた。
「乱れた角髪、土で汚れた顔。衣はところどころすり切れ、破れていたが、男が、元は立派な身分のある〝人〟なんだってことはわかったよ。なんたって、ボロボロのその格好に似つかわしくない、大きな剣を持っていたからね」
「剣?」
「ああ。見事な装飾を施された鞘に入った剣だ。ススキに負けないぐらい、西日を浴びて金色に輝いてた」
鳥人が持ったことのないもの、剣。
人と同じで、鳥人も狩りに弓矢を使うけど、矢じりは黒曜石で、鉄を使うことはない。鳥人は、およそ〝鉄〟という素材を嫌う。だから、〝剣〟と言われても、よくわからない。人が持つ武器、程度の認識。
「それをね、杖のようにして歩いてたんだが、わしが近づくと背筋を伸ばし、こう言ったんだ。『そこなる鳥人よ。そなたに一つ頼みがある』とな」
父さんが近づいたことで、身を伸ばしたのは、身分ある者としての矜持だろう。情けない格好を晒したくないという誇り。
「そこの木のウロに、妻と娘が隠れておる。妻はもう助からないかもしれないが、せめて娘だけでも守ってもらえないかと」
「それがメドリ?」
「そうだ。後でウロを見に行ったんだが、生きていたのはメドリだけで、彼の妻だろう女性は、すでに亡くなっていた」
「そんな……」
どういう事情で、メドリとその両親が素珥山に入ったのかは知らない。身分の高い者がボロボロになりながら、妻子を連れて山に入るなんて、よっぽどのことがあったんだろう。
メドリは〝人の宝〟と呼ばれていた。だとすれば、その両親だって、身分もある、立派な立場の者だったはずなのに。
「それから男はこうも言った。お主らの地を穢すかもしれぬ吾だが、この願いだけは叶えて欲しいと」
「地を穢す?」
「そうだ。男が向かった素珥山の頂。わしも見ておったのだが、そのすそ野に集まっておったのは、黒いヨロイを着けた人の兵たちだった。男を追って来た者たちだろう。男に向かって矢をつがえ、みな殺気だっておった」
メドリの父親はどのような罪を犯したのか。どのような罪を犯したら、同族から狙われるようなことになるのか。
「頂に立った男は、その手にした剣を鞘から抜き払うと地面に突き立てた。それからこう叫んだ。『兄上! この剣が欲しくば、吾を殺しここから持ち帰られるがよかろう! 兄上が剣にふさわしくあらば、剣は容易く抜けるであろう!』ってね」
「兄上って……」
「そう。男を追って来ていたのは、あの大君とか呼ばれるヤツだよ。アイツはあの時も冷酷に矢を射かけた。お前や大鷹を射た時と同じようにね」
「そんな……」
百歩譲って、ボクは人から見たら敵だから、矢を射かけてもしょうがないところがある。でも、自分の弟を矢で射るなんて。
「そんなに、その剣が大事なんですか?」
声がかすれた。
鳥人は、同族を殺すという概念がない。だから、狩りに使う弓矢ぐらいしか持ち合わせない。
人は、同族同士争うこともある種族。田の実りや水を求めて、殺し合うこともあるとは知っていたけれど、まさか兄弟で殺し合うこともあるとは。
「剣が大事なのかどうかはわからん。ただ、その男と射殺した後、大君の兵が剣を抜こうと試みた。だが、みな失敗した」
「失敗?」
「雷に撃たれたのだよ。おそらくだけど、剣にふさわしくないと判じられたんだろうね。剣に触れた者はみな、雷に撃たれて死んだ」
「じゃあ、あの大君は……」
「触ってない。剣を抜くのが無理とわかると、兵を連れ、鞘だけを持ち帰った」
「どうして鞘だけ?」
「知らん。もしかすると、別の剣を作って鞘に収めて、自分が剣の持ち主だ! ってするためかもしれない。まあ、これは想像だけどね。後で調べたんだが、あの剣は、人の神宝。大君が大君である証の品だったようだ。あの剣を持つ者が人の長。そう決められているらしいんだ」
だから、鞘だけでも持ち帰る。
本体である剣は持ち帰れなくても、偽物であっても、それらしく装える。
「じゃあ、その剣を、神宝を持っていたメドリの父親が、本当の大君だったってことですか?」
「わからん。メドリの父親も母親も亡くなってしまっている。わしには、それ以上のことは何もわからんよ」
父さんが深く息を吐き出した。
ボクの知らない、壮絶な人の世界。父さんも、思い出すのが辛いのだろう。
「わしは、人の軍が去った後に、彼らをそこに埋葬した。そしてメドリを、生き残っていたあの子を引き取ったんだよ。メドリは、両親の亡骸を見ても、涙一つ流さなんだ。ジッと見ているだけだった。それが哀れでね。放っておけなかったんだよ」
両親が埋葬されるというのに、泣かないメドリ。
おそらくだけど、それまでに受けた数々の衝撃で、心が砕かれてたんだろう。泣くこともできないぐらい。声を失うぐらい、激しく、ヒドく。
思わず、握った拳に力がこもった。
「わしが抱えて飛んでも驚きもしない。怯えもしない。そんなあの子が、初めて表情らしいものを見せたのが、ハヤブサ、お前に会った時なんだよ」
「ボクに?」
「そう。それまで、石が置物のように動かない、うつろだったあの子が、初めて動いた。お前は気づかなかったかもしれないが、あの子が、初めて意思をもって見つめたのは、お前だったんだよ」
「え?」
メドリが? ボクを? 見つめた?
初めて会った時のことを思い出す。
父さんに抱かれて社にやって来たメドリ。父さんがボクの目の前に立たせて。――ボクを見ていた?
よくわからない。
あの時は、薄汚い人の子ぐらいにしか思ってなかったから。
でも、あの後、メドリはボクにだけ異様に懐いてきた。他の誰にも心を許さなかったのに、ボクにだけは真っ先に微笑んでみせた。
ずっとボクの後をついてきたメドリ。
カゼをひくまで、階でボクを待ち続けていたメドリ。
いつだって、ひな鳥みたいに、ボクを慕ってきたメドリ。
どうしてボクにだけ懐いたのかは知らない。
けど、そんな悲しい過去があったのなら、もっとやさしくしてやるんだった。もっと大事にしてやるんだった。もっと、もっと……。
「ハヤブサ。お前は、メドリをどう思っている?」
「え?」
「あの子を助けたいと思っているのなら、素珥山へ行け。剣を抜くのだ、ハヤブサ」
「ボクが?」
鳥人のボクが、人の剣を?
「あの子を思うのなら、お前が剣を抜くのだ、ハヤブサ」