(三)
「由須良姫が、剣の巫女だというのは本当じゃ。姫は斎宮で育った、特別な存在だったのだよ」
忍海彦の母親、大后は淡々と話し始めた。
「忍海彦、そなたは知っておろう。この大王家は、代々神宝の剣を得た者が大君の座に就くのだということを」
「はい。だから、剣の姫は父に剣を授けようとしたところ、それを叔父上が奪ったと。叔父は謀反を企て、剣と姫を父から奪い去ったのだと聞いております」
「それは違う」
大后が、大きく息を吐き出し、息子の言葉を否定した。
「由須良姫は、たしかに、新たな剣の担い手を選んだ。しかしそれは、そなたの父ではなく、そこの沙那姫の父御、菟道彦王だったのだよ」
「そんな……」
忍海彦が言葉を失った。
「剣と巫女姫に選ばれた者が次の大君となる。菟道彦王が選ばれたことに、最初に不満を漏らしたのは、長兄大利根彦王じゃった」
「大利根彦王?」
「今の大君の実の兄じゃ。大利根彦王、大君、菟道彦王。先の大君は、三兄弟の末子、菟道彦王を、ことのほかかわいがっておられた。そのことも不満を焚きつける原因となったのであろう。大利根彦王は、弟菟道彦王に弓引く、反逆者となったのじゃよ」
父親からの愛情に差があれば、それは兄弟が争うキッカケとなる。それも、父親に一番愛された末子が、自分より高い地位に就く、どこまでも恵まれた環境にいるとなれば、なおさらだ。
「その反逆者となった大利根彦王を倒したのが大君じゃよ。大君は、弟菟道彦王とその妻、由須良姫のため、大王家を守るため、泣く泣く兄を討ち取ったと、病床にいた先の大君に報告した。そしてこうも申した。『弟はまだ若い。ゆえに、自分が身命を賭して彼を補佐していく』とな」
自分がもたらした愛情の差で、兄弟が争うことになった。
そのことを、亡き祖父はどう思ったのだろう。
「じゃが、それはいつわり、虚言であったと、後にわかる」
(え?)
「先の大君が崩御された後、夫は誓いを翻した。本来、剣の姫は自分を選んでいた。剣を授かるのは、自分だった。それを先の大君が末子かわいさに捻じ曲げ、父親の愛情に慢心していた弟が、姫を略奪した、と」
(なんですって?)
「それじゃあ、私が聞いていたことは……」
「そうじゃ。忍海彦、そなたが信じていたものは、すべてあの男のまいたウソ偽りの出来事じゃ」
「そんな……」
愕然とする忍海彦。信じていたことが打ち砕かれ、言葉を失い、体が震える。
「実の兄を殺したのは、己の野心を兄に気づかれていたためじゃ。殺された大利根彦王は、そのことを父親に告げようとして、大君に殺されたのよ」
「口封じ……ですか」
「そうじゃ。大君は、自分のためならなんでもする。そういう残虐な男よ。そのことに気づいた菟道彦王は、幼い姫と妻、そして剣を持って逃げた。ここに留まっていたら、自分だけでなく、娘も殺されると感じたのであろうな」
「なぜ姫まで……」
「菟道彦王の娘じゃからじゃよ。敵の血は、相手が幼子であっても一滴たりとも残さない。大利根彦王の家族も、そうして殺された」
背筋が凍りつく。
父の血を引く。それだけで、わたしは殺されるところだったのだろうか。
森を出る時、一度だけ見た、あの冷たく近寄りがたい印象の実の伯父に。
そんな身の危険を感じたから、父は母とともに逃げたのだろうか。母は、取り戻した剣の姫として、残っても生きながらえたかもしれない。けれど、母は父とともに逃げることを選んだ。
それは、父を愛していたからではないのか。父とともにありたいと願ったから。父とともに、幼いわたしを守ることを決意したから。
(父さま、母さま……)
大后が話すことが本当なら。それが本当なら、わたしは、なんて深い愛情に包まれていたのだろう。
顔もあまり覚えてない、おぼろげな印象の両親に、胸が熱くなる。
「今の大君は、事実をねじ曲げ、その御位に就いておる。姫よ。そなたは父御の無念を晴らし、大王家を正しき姿に戻すのじゃ」