(三)
「出来ましたよ、若さま」
先に着替えてたボクのもとに、湯女たちが、人の子を連れてきた。
着替えの時も大暴れしたんだろう。連れてきてくれた湯女たちは誰もが汗だくで、年配の湯女は、フーフーと肩で息をしている。
お湯を使って、新しい衣をまとった人の子は、こざっぱりしたものの、やっぱりガリガリで、肩から衣がずり落ちそうになっている。帯をシッカリ結んであるから、そのまま脱げたりはしないだろうけど。
髪もくしけずって結わえられ、顔の垢もとれた。
というか、コイツ、〝女の子〟だったんだ。父さんが〝妹〟って言ったんだから、〝女の子〟だったんだろうけど。
あまりに小汚かったので、〝妹は女の子〟って考えが抜けかけてた。
――かわいい子。
そう父さんは言ってたけど、こうしてあらためて見ると、たしかに、かわいい顔立ちをしてる。あの土グモみたいな、性別もよくわかないほど汚い子を、洗うとこんなふうになるのか。
なんか、芋みたいだなって思った。洗ってむけば、ツルンと白くキレイになる。
けど。
「その手は?」
ずっと握りしめたままの左手。それを包み込むような右手。
「それが、どれだけやっても開かないんです」
困ったように湯女が言った。
さっき、ボクが洗ってやった時もそうだった。ずっと握ったままで、それで、ほほを殴られたんだ。
何か握ってるのか?
気になって、その左腕を引き寄せ、手をこじ開ける。
「――! ――――!」
人の子が、鼻息をあらして暴れる。開きたくない。指に力がこもるけど、湯女たちがその体を押さえ、むりやりこじ開けるのを手伝う。
「奪うわけじゃないから、少し、見せろ!」
着替えてこざっぱりしたのに、また格闘したせいで汗をかく。
「……勾玉?」
なんとか開かせた指のすきまから見えたのは、薄桃色の勾玉。
これを大事に守っていたのか。
「貸せ」
強引にそれを奪うと、近くにあった紐を勾玉に通す。
「これなら首から下げておけるだろ」
取り返そうと、暴れ続ける人の子にそれを見せる。
人の子の目が、プラーンとぶら下がった勾玉に集中する。
「ほら」
その首に、勾玉を下げてやる。人の子の胸元で光る勾玉。
それを少し見下ろして、そっと勾玉に手を伸ばした人の子。下からすくい取るように、大事そうに勾玉を持ち上げる。
首からぶら下げておくっていう知恵はなかったんだな。
だから、ずっと握りしめてた。とられまいと、必死に暴れた。
あきれて人の子を見る。――って、え?
人の子と目が合う。
ほわぁっと桃色のほほをゆるめて、ほほえんだ口元。大事そうに勾玉を持ちながら、目を細めてこちらを見てくる。
――かわいい子だろう?
頭の中で、父さんがそう言った気がした。
* * * *
「落ち着いたら、これでも食べろ」
用意しておいたのは、いくつかの器に盛った果物と木の実。
ホクホクとうまそうに蒸し上がった栗が、お腹を鳴らすような美味しそうな湯気を漂わせている。他にも薄赤く色づいたヤマボウシの実や、黒ずむほど熟したエビカズラの実。
それらの盛られた器を、大きな床子に敷いた布の上にいくつも並べておいた。
「なんだよ。食べないのかよ」
それだけガッリガリにやせてるんだし、父さんの言う通り、森をさまよってたのなら、腹も空かせてるだろう。そう思ったから、父さんの言う通りのお世話として、こうやって食事も用意したってのに。
なのに、人の子は、ジーッとそれを見るだけ。食べていいのかどうか、迷っているというより、ただそれを見ているだけで、ボーッと突っ立っている。
「食べないのなら、ボクが食べる」
せっかくの料理だし。さっきの風呂で、ボクもつかれてお腹空いた。それに、なんてったって、栗のいい匂いが……たまらない。
ドッカと床子に腰かけ、さっそく蒸し栗をつまむ。うー、うまいっ!
一つ、また一つと口に入れ、そのホクホクとした食感と、ホロ甘い味をたんのうする――けど。
グゥゥゥゥ……。
「なんだよ。腹、へってんのかよ」
室の入り口に立ったままの人の子が、盛大に腹を鳴らした。鳴らした当人も、鳴ってから驚いて、自分の腹を見下ろしている。
「へってるなら、これでも食え」
ツカツカと人の子に近づいて、半ば強引に、その口に蒸し栗をねじこんでやる。
ビックリしたように目を真ん丸にした人の子。しばらくモグモグして、ゴクッと音を鳴らして飲みこんだ。
「――うまいだろ?」
イヤなら、べッて吐き出す。けど、コイツはそのまま飲みこんだ。
「ほら、こっちへ来てもっと食べろ」
その手を取り、強引に床子の上に座らせる。けど、人の子はそれ以上動こうとはしない。蒸し栗がうまいことはわかったはずなのに。
「もしかして、食べ方がわからないのか?」
人には人の食べ物がある。鳥人には鳥人の食べ物がある。同じ物を食べることもあれば、違うものを食すこともある。
人は田で米を作って食べるが、鳥人は森の木の実を食べる。
人は里で育てた家畜を食べるが、鳥人は森で獣を狩って食べる。
だから、ボクが人の食べる米の食べ方を知らないように、この人の子も木の実の食べ方を知らないのかもしれない。
そう思った。
だから。
「ほら。こうやって食べるんだ」
一度ボクが食べて見せ、それから人の子の口に持っていく。
――パクッ。
お腹が空いてたんだろう。ブドウを持ったボクの指までパクッと食らいついた人の子。
ブドウを一粒、一粒。つまんで差し出すたびに、パクッ、パクッと食らいついてくる。
(なんだか、ヒナの餌付けみたいだな)
そのうち、ピーピー鳴きそうなほど、口を開けて待ちかまえるようになった、人の子。モグモグして食べ終わると、ボクが餌付けするのが当然になっているのか、目を閉じ、アーンと口を開けて待つ。
――かわいい子だろう?
頭の中で、父さんがそう言った気がしたけど。
(かわいいってなんだよ)
頭の中で反論する。こんなヤツ、かわいいわけないだろ。なんでボクが次々に餌をあげなくちゃいけないんだ――って。
「ちょっと待て! 種! 種はどうした!」
あわててその口に飛びつくけど、中には何も残ってない。
「まさか、種も全部、食べちゃったのか?」
口の中は、少し黒っぽく色づいてるけど、種らしきものはどこにも残ってない。
ジダバタもがく、人の子。ボクが手を離すと、またアーンと無邪気に口を開けて餌を催促する。
「……まったく。そのうちヘソからヤマブドウが生えてきても知らないからな?」
ボク、これから、コイツの世話をしなくちゃいけないのか?
こんな、世間知らずの、常識知らずの人の子の世話を?
ハアッと、体中の空気を集めたような、大きな大きなため息がこぼれた。