(五)
ポタッ。
頬に滴り落ちてきた水。――雫? どこかの木の葉からこぼれ落ちたのだろうか。
ポタッ。ポタタタタッ。
それは何度も頬を叩き、目覚めをうながす。
「ンッ……」
雫をさけようと、目を覚ますついでに、体をごろりと仰向けに直す。
ボタッ。ボタタタタッ!
「うわあっ、ゴホッ、ゲホゲホッ、ゴホッ!」
雫どころではない、大量の水が顔に落ちてきた。
「なっ、ゲホッ、なんっ!? ゴホッ、ゴホゴホッ」
あわてて身を起こし、あたりを見回す。
木々にグルリと囲まれた草原。木が鬱蒼と茂る森のなかとは違い、ここは日ざしがよく当たるのか、草がよく生い茂っている。自分が倒れていたのは、その草の合間だった。身を起こしても、草の葉先がジャマをして、あたりを見通すことは難しい。
(どうしてこんなことろに? それとあの水はいったい……)
額に手を当て、考える。
ガサッ、ガサガサ……。
草をかき分け動く音。その音に、とっさに、腰のものに手をかける。
「――――!」
鞘から抜き払った剣の先を、現れたものに突きつける。
「……なんだ、女の子か」
草むらから現れたのは、幼い少女。向けられた剣に、ビクッと体を震わせた。
「すまない。こんなところに人がいるとは思ってなかったから」
短くわびて、剣を鞘に戻す。体の力もいくらか抜く。
「水を運んできてくれてたのか?」
少女が手にしていたのは、桐の葉だろうか。大きな緑の葉から水が滴り落ち、彼女の衣と地面を濡らしていた。きっと、剣を向けたことで驚いて、こぼしてしまったのだろう。
先ほどの水もきっと彼女が運んできてくれていたのだろう。倒れていた私のために。
「待ってくれ!」
クルッと背を向けた少女を呼び止める。
「喉が乾いているんだ。水のある場所を教えてくれないか」
また運んできてくれるのかもしれないが、それぐらいなら、こちらから水場に行ったほうがいい。それに。
「きみは、このあたりに暮らしているのかい?」
こんな山のなかで?
言った自分でもおかしなことを問うたと思っている。こんな森の深い山の奥に、女の子が暮らしているわけがない。こんな山に暮らすのは、背に翼を持つ〝鳥人族〟ぐらいだ。だから、この子は山のふもとにある、人の里の子ども。山菜でも採りに来てた子だろう。そう推測つけた。
コクン。
少女が首を縦にふった。このあたりで暮らしていると認めた。
「え? 本当に?」
コクン。
「でも、きみは〝鳥人族〟じゃないよね?」
コクン。
鳥人族でもないのに、山で暮らしている? こんな獣も出そうな森の奥で?
「――メドリッ!」
声と同時に、一瞬空が陰る。
雲が通り過ぎたわけではなく、光を遮ったのは、大きな翼。それが、バサリバサリと風を撒き散らし、草を薙ぐ。
「無事か、メドリ!」
翼は、少女に舞い降りる。
「鳥……人族……」
声が喉の奥に張り付く。
古より、空を舞い、山で暮らす、翼ある者たち。人と交わることなく、森のめぐみを糧に暮らす伝説の一族。
それが、目の前に。
信じられなかった。
* * * *
「私は、忍海彦と申す」
目の前に立つ、人の子が言った。
「父に命じられ、捜し物を見つけるため、こうして山に入った次第。お騒がせして申し訳ない」
年の頃は、ボクより一つ、二つ上だろうか。高い身分の人間なのか、しっかりした口調で話す。髪も、左右に分けて耳の横で結ってある。衣だって、草の汁で汚れたり、ところどころ破れているけれど、元は上質なものだってことはわかる。勾玉や管玉が連なった首飾りも、その身分の高さを表している。
「その捜し物は見つかったのか」
見つかったのなら、とっとと山を降りて欲しい。
山は鳥人族のもの。いくら命じられたから、捜し物があるからといっても、人がずっと居座っていい場所じゃない。そもそも、人がこうして山に分け入ることを、鳥人族は許していない。
「いや、まだ見つかっておらぬ」
忍海彦が首を横にふった。
「ならば、こちらで探し、人の里へ持ってゆこう」
これ以上、人に森のなかを歩き回られたくない。
「いや、そのご厚意には感謝するが、あれは我が手で見つけねばならぬものゆえ、遠慮いたす。あれは、大君の神宝。他の者に触れされることはできぬ」
大君の神宝?
鳥人族の主は、〝族長〟。人族の主は、〝大君〟。
その主たる人物の、神宝?
そんな大切なものが、なぜ森のなかに?
「十年前、それはとある男によって盗み出されてしまったのです」