(七)
「おいっ! どこにいるんだ! 返事しろ!」
舞い戻った槻の木。そこに人の子の姿はなく、シンと静まり返った木の枝に、風だけがそよぎ渡る。
落っこちたのなら、そのへんに転がっているはず。しかし、そこにはなにもない。
獣に襲われたのなら、……考えたくないけど、衣の切れ端ぐらいは残っているはず。
(どこかに行ったのか?)
人の里に向かった? こんな山奥から人の里は、歩いてたどり着くなんて無理だ。迷って野垂れ死ぬ。
それか、ボクを追いかけて? ハシゴなんか作ったせいで、あの木から簡単に降りられるようになってしまった。なら、ありえなくもないけど。
(それなら一羽ぐらい、人の子についていてくれてもいいのに)
そう遠い川で遊んでいたわけじゃない。ちょっと連絡してくれたら、すぐに戻ったのに。
(クソッ!)
体の中からジリジリと焼かれていくような感覚。歩いたり、飛んだりするけど、ちっとも心が鎮まらない。
カッカッカッカッ、カッカッカッカッ。
(えっ?)
その声に、全身総毛立った。
今のは、まさか、まさか、まさかっ!
カッカッカッカッ、カッカッカッカッ。
木立ちを抜け、茂みに足を取られながら、それでも音のする方へ、一目散に飛んでいく。
「――――! ――――!」
間に合え! 間に合え!
飛びながら、唇に指を二本当て、何度も音なき音を出す。〝鳥寄せ〟じゃない。そこにいる鳥に命じる使役の音。
まだ習得したばかりで、得意じゃないし、大きな鳥、知恵ある鳥を従わせるのは難しい。けど。
〝サワガシイ。静カニセイ〟
茂みを抜けた先、人の子のそばにいた、青灰色の翼の大きな鳥、大鷹に叱られた。
* * * *
〝ワシハナ、コノ人ノ子ニ会イニ来タダケジャ〟
大鷹が言った。「言った」といっても、普通に喋ったのではなく、目を見ることで、こちらに伝えたがってる鳥の意思を聴くことのできる、鳥人族長の秘技を使って読み取ったんだけど。
それによれば、この大鷹は、族長である父さんが連れてきたという人の子、小鳥たちに懐かれてると評判の子が気になったらしい。
〝ミナヲタブラカス魔性デアレバ、ワシガ喰ッテヤロウトナ〟
〝鳥寄せ〟したわけでもないのに、小鳥たちを手懐けた。鳥人族の族長が自分の娘にした人の子。それを、惑わしの技かなにかと、コイツを魔物かどうか見極めに来たらしい。
ゴクリと、無意識に喉が鳴った。
もし、ボクが間に合わなかったり、魔物と判断されてたら、コイツはアッサリ喰い殺されてたわけだ。
背中を、冷たい汗が伝う。当の人の子は、全く理解してないみたいで、キョトンとした顔で大鷹を見てるだけ。それどころか。
「こら! いくらなんでも大鷹を手に載せるのはムリだ!」
すくうような手の形をとろうとした人の子。あわてて肩を引っつかんで、それを止めさせる。大鷹なんて大きな鳥が、どうやったら手の中に収まるって思えるんだ?
〝ハハッ。ナカナカオモシロイ女ノコデハナイカ〟
大鷹が笑う。といっても、声をあげて笑ったわけじゃないけど。
〝ソノ豪胆サ、気ニ入ッタ〟
豪胆? 何も理解してないだけでは?
小鳥たちは大鷹の恐ろしさを知ってるから逃げ出したけど、コイツは何もわかってないから、キョトンとしてるだけ。それを豪胆と言われると、違うと思う。
〝ノウ、鳥人ノ若子ヨ。ワシガ、コノ女ノコノ翼トナッテヤロウ〟
「え?」
〝翼ナキ者ニ、コノ森ハ辛カロウ。ユエニ、ワシガ翼ニナッテヤロウト言ウノダ〟
つまりは、人の子の移動を、この大鷹が助けてくれるってことか? そりゃあ、願ったり叶ったりだし、助かるし。大鷹なら、こんな人の子ぐらい、簡単に運べるだろうけど。
「いいのか?」
「ワシニ、二言ハナイ」
大鷹なのに、〝ワシ〟なんだ――とは言わない。
〝ソウジャ、時ニ、鳥人ノ若子ヨ。コノ女ノコノ名ヲ、ナントイウ?〟
「え?」
〝名ヲ知ラヌデハ、契約ガ成リ立タヌ〟
「え、えと。それは……」
どうした。どうした?
催促するような大鷹の目。
ちょうどその時、後ろでボクに追いついたノスリやカリガネ。二人が、「わっ! 大鷹だ!」って驚く声が聞こえた。
どうする、どうする、どうする?
前と後ろ。大鷹とノスリ、カリガネからジリジリ追い詰められてる気がして。
名前をつけないボクが、とんでもない悪者みたいで。
「――メドリ。メドリって言うんだ、ソイツは!」
苦しまぎれに出した名前、〝メドリ〟。
〝フム、メドリ。メドリ姫カ〟
大鷹が軽く首をかしげた。
「うわあ、なんのひねりもねえ。〝女の鳥〟でメドリだろ、それ」
とノスリ。
「もっとかわいい鳥の名前とか、きれいな名前とかつけてあげられないの?」
とカリガネ。
「うるさいな! 一応、トリってつけて、仲間って認めたんだからいいだろうが!」
大鷹という翼を得た以上、コイツを鳥人の仲間と認めるしかない。不本意だけど。だから、仲間という意味で〝メドリ〟。仲間と認めても、妹としては認めてない、ギリギリの境界線。
〝鳥人ノ若子ヨ。ソノメドリ姫カラノ贈リ物ジャゾ〟
贈り物?
「――ングッ!」
キュッと、口にねじこまれたもの。甘酸っぱい、……グミ?
〝メドリ姫ハノ、ヌシニソレヲ贈ルタメニ、ココヘ来テオッタノジャ〟
言われて見回せば、あたりにグミの実が鈴なりに成っていた。それを摘んだのだろう。人の子――改め、メドリが、手の中のグミを次から次へとボクの口に押しこもうとする。
「まるで餌付けだね。今度はメドリからの」
「だな」
カリガネとノスリが笑う。
グイグイ押しこまれるグミに、モグモグ咀嚼が間に合わない。
いつもの世話の礼のつもりなのか。それとも名前をつけたことへの感謝のしるしなのか。
どっちにしたって。
「頼むから、ねじこむな。それと、食べるなら自分で食べる」
グミをいくつか受け取ると、メドリがニコッと笑った。
(――まったく。だから、コイツは好きになれないんだ)
その笑顔に、そっぽを向いてグミを口に入れる。ギュッと握られてたグミは、かなり生ぬるかった。