第1話“異世界の諸君、皇帝はここにいる”
世が乱れると、需要に応じたように英雄が供給される。
1790年代末期。ヨーロッパの大国、フランスは荒れていた。フランス革命によって、ルイ・カペーは罪なくして死に、それまでの秩序は全てが崩壊し、理想主義者は反対者を粛清し、俗物はひたすらに私財を溜め込んだ。革命に恐れをなした周辺国との戦争は、終わりを見せることはなく、ルイ・カペーの望みは虚しく、血はひたすらに流れ続けていた。
そんな混迷を極めるフランスに彗星のごとく、出現したものこそ、誰しもが知る、フランスに征服されたコルシカの貴族、ナポレオン・ボナパルトである。類まれな軍事指導力を発揮するナポレオンは、名声を持って、フランスの支配者となった。彼は自らの手で、帝冠を自らの頭上に載せた。彼はその一年後に己の力ではなく、神の力でしか戴冠できない軟弱なロシア・ハプスブルクの皇帝の軍隊を打ち破り、ハプスブルクの古い帝国を木っ端微塵にまで、破壊し尽くし、家族・部下・支持者の国々を跡地に作らせ、己の大帝国を築き上げた。しかし、ハプスブルクの帝国は何百年も維持できたが、彼の帝国は二十年も持つことすら出来なかった。民衆とフランス革命の成果を背景とする帝国は、その理想と実態の乖離が酷く離れていた。彼から民衆は次第に離れ、挙げ句には彼の軍事的才能も冬のロシアと海のイギリスを前に限界を見せ始めた。1814年、2つの裏切りで帝国は崩壊し、小さな島・エルバで“帝国ごっこ”をする。1815年、彼はチュイルリーの玉座に舞い降り、夢の続きを始めたが、アイルランドからやってきた英雄によって遠い海の島、セントヘレナで夢は夢であることを強要された。
1821年、ナポレオンは崩御。彼の帝国の三度目の復活はなされなかった。この世界では、フランスでは。
時と場所は流れ、異世界、アリアンス。魔王軍団が君臨し、王と民を常々苦しめれていた。人々は勇者を、いや、英雄を求めていた。
やがて、王は女神官、ベルティに勇者召喚の儀を行うよう、命じた。
フランス!…軍隊!…軍隊のかしらに…ジョゼフィーヌ!…………ジョゼフィーヌ……。
………ジョゼフィーヌ……ジョゼ……。ここはどこだ。
我は確かに死んだはずだ。しかし、今こうして意識を持っており、病の痛みを感じない。そして、ヨーロッパを制覇して数々の戦いで着ていた大佐の服を着ている。これは天国か……。いやそれはないか、我輩は政教条約を結んだとがいえ、ローマの教皇からの戴冠を拒否し、彼の者の領土を奪い取った。信仰心のないもの余だ。天国には行けないだろう。だとすれば、ここは煉獄か地獄か……。
我の眼前の光景は、余の時代よりも古臭く、退廃的だ。余が対イギリスとの戦いで兵と国民を鼓舞するために利用したオルレアンの乙女の時代だろうか……。
だが、なによりも違和感を抱かせたものがある。目の前の女だ。神官のような服装をしているが、我輩の見識の限り、修道女こそあれど、どの宗教でもここまで高位につく女は聞いたことがない。
どうやら、この世界は、我輩の生きていた世界とは似て非なるものであることは確定的であると言えよう。女は、余に驚き、あっけにとられている。何が何だかわからない状況だ。この女からいろいろと聞き出す必要がある。
「余はフランス皇帝、ナポレオンである。そなたは誰だ」
「わ、わたしは、ペリゴーナです。神官をやっています……こうてい……」
ペリゴーナとか言う女は、おどおどと恐れ己れている、というわけでもなく、ただどういう反応をすればいいのか、困惑していた。
「勇者様ではなく、こうてい?」
「そうだ、余はかつてヨーロッパを征服した」
ペルゴーナはますます困惑している。無理もなかろう。かつての我輩が多くの諸外国・既存の王侯貴族らに恐れられ、セントヘレナに追いやったように、この世界の支配者にとっても、遠い地で覇者となった我輩は恐ろしいものといえるだろう。不幸にも我輩を召喚したペリゴーナは、この世界の支配者たちの臣下であろう、我輩と己れの主との間で板挟みであろう。
「余は突然の光景に驚いている。この世界を教えてくれ」
ペリゴーナは、しばらく考え込んだ。
「貴方は覇者だったもの、何ですよね……」
「そうだ、いかにも」
ペリゴーナは、また、しばらく考え込み、魔法の杖を近くにあった岩に向けて試射をしてみた。岩は粉々に砕け砂となり、後からここに来たものはここに岩が存在していことを信じないだろ。吾輩は複数の大砲を繰り出し、多くの戦いの勝負の立役者となったが、大砲とその魔術は同程度か、魔術がそれ以上かだろうか。ペリゴーナの魔法は杖を吾輩に向けた。
「皇帝、ナポレオン。貴方に我らが王の配下となり、魔王を倒しなさい」
吾輩はかつてローマ教皇の領土を征服、併合した際、教皇は破門した。我は、彼からの破門など怖くなかった。戴冠式に教皇を招いたとはいえ、我の帝冠は余自らの手で掴んだものであり、神や教皇によるものではないし、実際のところ天罰など来ない。ローマ教会の恐ろしいところに、民の信仰心だが、それ以上に吾輩の栄光を見せつければ、民は余の僕となる。だが、ペリゴーナは、形のないものしか手段がないローマ教皇と比べて、魔力という実力を抱えている。
吾輩は幾度もの死線を越えた、だが、これほどに厄介さを抱えたのは、マルモンの反乱かモスクワの時だろうか……。
まあ、良い。甦り自由となった我が体だ。そして、飯の不味い無礼な島国の連中からも解放された。この女の脅しにのってやろうではないか。かつて革命戦争の頃のように、魔王とやらと戦いを重ねていくなかで、戦力を次々と増やしていけばいい。圧倒的に戦力を蓄えていった段階で、第2のブリューメルを起こし、ペリゴーナとその背後にいるこの国の支配者の連中どもを引きずり下ろせばいい。この国も魔王の国も、全て吾輩のものにすればいい。今はこの女に従うふりだけしていればいい。
「よかろう、お前たちに余の力を貸そう」
かつての覇者、軍事的天才は果たして、この異世界でも覇者となるのか。(第2話へ続く)