侯爵の趣味と血の理由
部屋の棚を埋め尽くすウサギやクマのぬいぐるみ、可愛らしいドレスを着た女の子の人形。ちょっとした部屋の飾りまで可愛らしい。それに、これらは手作りなのか、作業台まである。
――リーデンハルク様のご趣味のお部屋……。
私の頭の中を勝手にメルヘンチックな曲が占拠して、ポカンとしながら部屋の真ん中まで来たときだった。
後ろで扉が開いたのが分かった。
「……っ」
ビクッとしながら振り返ると、そこには血だらけの彼といつの間に戻ってきていたのか、その後ろにルカが立っていた。
「ルカ、鍵はどうした? 普段から戸締まりはしっかりとしておけと——」
「僭越ながら、これから生活を共にしていくお方に隠しごとをしておくのは由々しきことなのではと早々に対処させていただきました」
ピリピリとした空気の中でもルカは淡々と説明している。
――やはり、この方がこの屋敷の主、ヴィンセント・リーデンハルク様……。
私は凍ったように身体を動かすことが出来ず、視線だけでリーデンハルク様の顔を見た。
「ルカ……」
呆れた様子でルカの方を見て、それからリーデンハルク様は整っていない前髪の向こうから私に視線を向けた。まだ怖い。彼は一体、私に何を言うのだろうか。その血は一体……?
「先日の厚意には礼を言う。だが、君に婚約を申し込んだのは、君の噂を知って自分の噂を隠すのに都合が良いと思ったからだ。ここでは好きに過ごしてもらって構わない。だが、私に深く関わるな。――ルカ、その部屋の物をすべて処分しておけ」
私に向けられたのは、まるで何の感情もないような声音で紡がれた言葉だった。その流れでルカにも同じ声音で告げ、彼を部屋の中に押し込んだ。
「ですが、主……!」
「これは命令だ」
ルカが何かを言おうとしていたけれど、リーデンハルク様は冷たい態度で部屋から出て行ってしまった。
バタンと勢い良く閉められた扉を見つめて、ルカが「そんな言い方なさらなくても……」と言ったのが聞こえた。そして、私の方にくるりと向き直ると、苦笑いを浮かべて「申し訳ありません、レイチェル様。主は少々色々と拗らせておりまして……」と言った。
「いえ、構いません」
私は静かに首を左右に振った。どんな形であれ、私は自由になれたのだ。私はまだ救われたほうだ。彼は私に好きに過ごして良いと言ったのだ。料理でもなんでも好きなことをして良いということだろう。私にとって、これほど喜ばしいことはない。
「リーデンハルク様は、お怪我をされたのでしょうか?」
もしかして? と思って尋ねてみる。
「いいえ、あれは熊の血です。この領地内には大きな人喰い熊が出るのですよ。主は領民を守るために定期的に熊を退治しに行っているのです。しかし、些か手強いようですね。今回もあの血の量で始末し切れていないとは……」
うーん、という表情でルカは重たい溜息を吐いた。
「そう、ですか」
私はリーデンハルク様を怖いと思ってしまったことを少し後悔した。
彼は私と同じなのかもしれない。本当はそれほど冷酷ではなくて、優しさがあって、外から来た私に自分の好きなものを否定されるのが怖いだけなのではないだろうか。男なのに可愛いものが好きだなんて、と。
だから、秘密を私に見られたのが嫌で、勢いでこの部屋のものをすべて捨てろだなんて言ってしまったのではないだろうか。
だって、そんなに簡単に自分の好きなものを諦められるだろうか? 私では到底、諦め切れない。隠す必要なんてない。捨てる必要なんてない。ちゃんと言ってさしあげなければ、私は否定しないと。
「ルカ、まだこの部屋のものを処分しないでいただけますか? 私、リーデンハルク様としっかりお話をしてみます。好きなものを捨てるだなんて、つらいだけですもの」
部屋を一周見回して、私はルカに真っ直ぐな瞳を向けた。