ここはまるで別の世界
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ずっと同じ場所を走っているのだと思い込むほど、窓の外の風景は変わらない。緑、緑、緑。
ガタンガタンと頻繁に馬車が揺れる。町と町の間の整えられていない道を走っているからだ。けれど、ふかふかとした座席が衝撃を抑えてくれている。座席の赤紫色のベルベット生地や窓の金飾から私の家の馬車とは格が違うと分かる。
これは用意された馬車で、私は婚約の申し出をもらった次の日の早朝にトランクカバン一つで乗り込んだ。着るものも何もかも、すべて用意してくれると言うから。使用人さえも連れてくるな、という指示だった。馬車を操る御者も向こうの屋敷の使用人。だから、私は完全に一人なのだ。
でも、それに少しだけホッとしている私がいる。もう私を馬鹿にする使用人たちは傍にいない。向こうの屋敷の使用人たちは、果たしてどうだろうか……。少し、緊張する。
カラカラと車輪が回り、馬車が静かに止まる。そして、ガタンと扉が外から開かれた。
「レイチェル様、ようこそ、いらっしゃいました。長旅でお疲れになったでしょう? 大丈夫ですか?」
扉の先には小柄な青年が立っていた。燕尾服を着た金髪で碧眼のその青年は私よりも細く見える。ちゃんとご飯はもらえているのだろうか? もしかして、冷酷な主人に虐められているのでは? と思ってしまう。
「レイチェル様?」
不思議そうな表情で尋ねてくる彼の声にハッとなり、私は「あ、はい、あの、ごめんなさい、大丈夫です。ありがとうございます」と言いながら、馬車を降りた。
「いえ、お疲れですよね。申し訳ありません。――自己紹介が遅れました。私、ルカと申します。この屋敷のことの多くは私が担当しております。ただいま主は所用で外出中でして、私が先に屋敷内をご案内いたします」
まるで私を安心させるように彼がニコッと笑う。もともと綺麗な顔をしている人だと思ったけれど、笑うととても可愛らしい。男性に可愛らしいという言葉は失礼かもしれないけれど。
「こちらです」
ルカは私のトランクを持ち、屋敷に向かっていく。周りは森だけれど、大きくて、窓がたくさんあって、玄関の扉も豪華で……まるで別の世界に来たみたい。
「あの、ルカさん以外の使用人の方は……」
広い玄関に入って、人が誰も居なかったため、私は彼に尋ねた。期待していたわけではなかったけれど、もう少し、迎えてもらえると思っていた。やっぱり、私は歓迎されていない……のだろうか。
「ルカとお呼びください。――生憎、色々とバタバタしておりまして、屋敷の至るところに散っております。全員でレイチェル様をお迎え出来ず、申し訳ありません」
申し訳なさそうにルカは私に深々と頭を下げた。私のトランクを持ったままのその姿を見て、こちらの方が申し訳なくなる。
「いえ、皆さんお忙しいですよね。こんなに大きなお屋敷だから、ルカさ……ルカ以外にもいらっしゃるのかな、と思ったのです」
そう言ってしまってから、私はさっき彼が自分で「この屋敷のことの多くは」と言っていたことを思い出した。私はなんて間の抜けたことを言っているのだろうか。
「普段は十数人でこの屋敷の手入れをしております。この屋敷は人の出入りが激しいものですから。都度、紹介いたしますね」
顔を上げて、ルカがまたニコッと笑う。
――それは……主人が恐ろしすぎて、頻繁に使用人が辞めて、入れ替わっているということ……?
また良くないことを考えてしまって、元から硬い表情が、もっと硬くなりそうになった。
「よろしく、おねがいします」
そう告げた言葉も心無しかカクカクしていたような気もする。
「では、こちらにどうぞ。まずはレイチェル様のお部屋ですね」
私とは打って変わって、ルカはどこか楽しそうに階段を上り始めた。