うみねこの鳴く前で・追補版
俺はだまって海の方へ歩き出したんだ。
彼女を一人、岸辺に残したままで。
公式企画『夏のホラー2022』[お題:ラジオ]への参加作品です。
2022/8/26 タイトルに「追補版」をつけて、ラストシーンを追加しました。
ミャーオ…… ミャーオ……
カモメに似た鳥が飛び交っている。
鳴き声からすると、あれがウミネコってやつか?
潮風がゆるゆると吹く中、海に突き出した防波堤を一人で歩く。
俺は、口にくわえたタバコの先にライターで火を点けた。
そして吸い込む。……うまい……
胸いっぱいに、ニコチンの刺激が広がる。
これだ。これがいいんだよ。
タバコってのは狭くて臭い喫煙所ではなく、このような広い場所で吸うのが一番だ。
二本指で挟んだタバコを口から離し、ふぅっと煙を吐き出した。
タバコをもう一度くわえる。タバコの先から紫色の煙が一筋立ち上る。
一度吸い込んだ後、口を大きく開けて輪っかの煙を出してみよう。
……できた。
仕事場でもレストランでも、どこも禁煙の場所が多くて肩身が狭い。
たとえ『喫煙可』と明記されていても、その付近に子供やタバコが嫌いな人がいれば遠慮しなければならない。
喫煙者って、お国の税収に貢献してると思うんだけどね。
この防波堤には、俺の他にはおじいさんが一人いるだけだ。
折り畳みイスに座って釣りをしている。
おじいさんも口にタバコをくわえているから問題ないだろう。
椅子の横にはバケツがあり、魚はまだ入ってなさそうだ。
その隣に大型のラジオが置いてあり、昔の音楽が流れている。
ずいぶん古そうなラジオだな。祖父の家にも同じやつが置いてあったぞ。
「この曲なつかしいだろ。覚えているか、昔いっしょに行った……」
釣りをしているおじいさんは、俺ではない誰かに話しかけている。
まるで隣に親しい誰かがいるかのように。認知症……とかではなさそうだ。
思い出の相手と会話しているのだろう。
ふたりきりところを邪魔するのも野暮だな。
俺はそう思って、吸いかけのタバコを携帯灰皿にいれて歩き出した。
防波堤から岸に戻る。
待っていた彼女が、ぷんぷん怒った感じで言った。
「デートの相手をほっぽって行くなんてひどいよね。そこまでしてタバコ吸いたいの? タバコって身体に悪いのよー」
彼女は本当にタバコの臭いが嫌いなんだよね。
がんばって禁煙しなければ。まずは節煙から始めているところだ。
「ごめんごめん。なるべくやめるようにしてるんだけどね。これでもだいぶ本数は減らしてるんだよ」
「それは知ってるけど。……あ、しばらく立ち止まって何かをじっと見てたよね。あっちで何か面白いものでも見つけたの?」
「いや別にたいしたことじゃないよ。魚釣りをしているおじいさんを見てただけだよ。邪魔しちゃ悪いから声をかけなかったけどね」
俺が言うと、彼女は首をかしげた。
こいつは何を言ってんだ?とでも言いたげな表情だ。
「おじいさんって、何? 誰もいないから、そこの突堤にタバコ吸いに行ったんでしょ」
「あっ!」
ぎょっとして振り向くと、防波堤には誰もいない。
いや、防波堤の向こうに消波ブロックが積まれているはずだ。
そっちに降りたのかもしれない。でも、バケツとか椅子はどこに?
それに考えてみれば、さっき見たでかいラジオはおかしくなかったか?
祖父の家のものと同じだとすると電池式じゃないぞ。
コンセントがないのに、なぜ音が出てたんだ?
俺の方をずっと見ていたはずの彼女は、釣り道具もバケツも見ていないようだ。
さっき俺が目撃したおじいさんは、一体なんだったんだ……
「ところで、タバコ替えた? 私はタバコの銘柄はよく知らないけど、いつもと違う箱だよね」
「え?」
めだつ特徴のない白い紙箱だ。
箱とタバコに『EE』とだけ刻印されている。
後ろを見てもメーカー名は書いてない。
こんなタバコ、いつ買ったんだっけ。
箱をよく見ると、とても古い製品のような気がしてきた。
……なんだろう、これ……
ミャーオ…… ミャーオ……
立ち尽くす俺の前でウミネコが鳴いていた。
ミャーオ…… ミャーオ……
ミャーオ……
* * * * * *
僕こと杉山太一は、悪友の岩波拓馬の借りているアパートに遊びにきている。
拓馬のギターを借りて、僕は初心者向けの本を見ながら軽くつま弾いている。
以前、このギターが壊れたので僕が修理したんだ。
おや? 拓馬が白いタバコの箱を持って、変な顔をしている。
「どうした、拓馬。さっきから顔が百面相になっているぞ」
「なぁ、太一。ちょっとマズいことになったかも。このタバコ、遠山先輩のだ」
僕たち大学での先輩で、すでに卒業している。
拓馬のギターを修理した後、先輩が弦を調整して音を直してくれた。
僕たちもがんばって弦を張ったんだけど、少し間違ってたようだ。
その時に遠山さんはタバコを置き忘れていったかな。
「いや、忘れていったというより、違うのを持って帰ったみたいなんだ。俺が作った偽EEタバコ」
僕は自他ともに認めるヒーローオタクだけど、拓馬はその上をいく。
拓馬のいう『EEタバコ』は、とある特撮ヒーロー番組に登場する品物だ。
物語では、地球侵略を企む宇宙人がつくった設定だ。
タバコを吸うと周囲の人間が敵に見えるらしい。
拓馬はその架空のタバコを自作したようだ。
「おいおい……。そのタバコって、吸った人が狂暴化するのか?」
「さすがにそんなものは作らないよ。市販のタバコに合法的なものを入れただけだよ。でも、効能は不明だ」
それって、脱法ドラッグって言わない?
「拓馬。すぐに遠山さんで電話してタバコを捨てさせろよ。『外国産で身体に悪いかも』って言えばごまかせるだろう。あ、そういえば禁煙するって言ってたような……」
「いや。本数を減らしてるだけで、まだ禁煙まではしてないはずだ。すぐに電話しよう」
その後、拓馬は遠山さんに連絡をとった。
電話はすぐにつながったが、すこし手遅れだったようだ。
先輩は海で変な体験?をしたようだ。
聞くところによると、不気味なタバコはすでに廃棄したんだって。
先輩はタバコを完全にやめたそうだ。
きっぱり禁煙したことで、遠山さんは彼女と前より仲良くなったらしい。
めでたしめでたし、かな。
拓馬と僕は、偽EEタバコについては秘密にしておくことにした。
太一くんの目線のラストシーンを追加しました。
お爺さんは、遠山さんが以前に防波堤を歩いた時の記憶が不完全に再現されています。
ラジオは遠山さんの祖父のものを思い出しています。
半分夢うつつの状態です。海に落ちなくてよかった。
タイトルはあるサウンドノベルを参考にしています。
そのサウンドノベルの特徴は『主人公視点の記述が信用できない』というものでした。
EEタバコの元ネタがわかる人は、タバコの描写がある4行の左端で何かがみえるかも。
なお、太一くんは下の方でリンクしている『ヒーローマニアの日常』にも登場しています。