表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

水小人(みずこびと)シリーズ

水小人(みずこびと)の恐怖

 仕事から帰っては倒れるように眠る、とはなかなか行かなかった今年の夏。

 冷房の不調が原因であった。

 ここの備え付けの冷房は旧式で、微妙な風量調節ができない。

 つけると強風が吹き付けて来て、そのまま寝ては風邪を引きかねなかった。

 ならば、タイマーを使えば良いとなるが、残念ながらそれは故障しておった。

 それで俺は工夫をして、つまり夜、冷房で充分部屋と体を冷やしてから、冷房を消して寝につくようにしておったのだが。

 ただ当然夜の間にも部屋の気温は上がる。

 寝苦しき夜と戦いながらの夏となってしまっておった。

 その夜は特に寝苦しかった。

 その眠っているのか、起きているのか、定かならぬ中。

 ポタポタ・・・。

 音が聞こえておった・・・。

 

 そして朝。

 起きる。

 パンをトーストする時間も惜しんで、口に放り込み、コーヒーで流し込む。

 ワイシャツとスーツのズボンを身につけ、ネクタイを締め、靴下をはく。

 それから上着を手に取り、革靴に足を入れた。

 瞬間、俺はウヘェとすっとんきょうな声を出すことになった。

 靴がびしょ濡れだったのだ。しかも中までである。

 そのせいで靴下も濡れてしまった。

 昨夜雨の中を帰った記憶もなかった。

 ただ昨夜の音を想い出すを得た。

 上から水漏れしておるのか。

 恨めしげに、玄関の天井を見るも、特に今は漏れていないようであった。

 俺が住んでいるのは築四十年以上のおんぼろアパート。

まあその分、家賃は安いのだが。

 大家に文句を言わなければと想うも、それをやっていて遅刻しては元も子もない。

 何より、今、漏れていないようだからと、俺は後回しにした。


 その夜、帰宅した。

 当然、俺は真っ先に玄関の天井を見た。

 漏れていなかった。

 こうなると、ややこしい。

 昨夜のみかもしれないとも想う。

 当然修理をなすとすれば、業者を呼ぶことになる。

 こうしたものは、修理するしないにかかわらず、料金が発生するのを知っておった。

 つまり大家が業者を呼んで、見ましたけど、壊れていませんでしたとでもなれば、かえって面倒臭い。

 料金も発生するし、大家にも手間を取らせたのに、となる。

 まずは俺の目で水漏れを確認する必要があった。

 俺はいつもの如く冷房で部屋と体を冷やしてから、寝についた。

 やはり寝苦しき中のこと。

 ポタポタ・・・。

 また音が聞こえておる・・・。

 俺は無理矢理目を覚ました。

 無論、水漏れを確認するためである。

 天井灯を点けると、早速玄関の方に向かう。

 そこの天井を見るも、正直よく分からなかった。

 この部屋の造りもあって、そもそも玄関の方は暗く、その天井となれば尚更であった。

 一応、玄関の扉の上には、明かり取りの透かしガラスがはめ込んであり、朝の方が良く見えた。

 あの時は漏れておらなかった。

 懐中電灯は・・・。車の中に入れっぱなしであったのを想い出す。

 当然、取りに行くのは面倒と、俺の性格ならば、そうなる。

 しかし既に二夜続けて、このポタポタに眠りを邪魔されておるのだ。

 これが明日の夜も、そしてその次の夜もと、ずっと続くのは、たまったものではなかった。

 確認さえできれば、大家に修理を依頼できるのだから。

 俺は玄関横のキッチンの台の上に置いてある箱の中に手を伸ばす。

 そこから玄関の鍵を取る必要もあって、ろくに下も見ずに、サンダルがあるらしきところに足を伸ばした。

 狭い玄関である。

 それほど大きく外すことはあり得ないし、外したとして何があろう、固い床しかないと言う奴である。実際これはいつものやり方であった。

 ぬめり。

 確かにその感触があった。

 俺は再びウヘェとすっとんきょうな声を出すことになった。

 しかも昨夜の数倍の音量とならざるを得ない。

 俺・・・何で・・・はだし。

 たまがり上がってそこを見ると、ぬらぬらとした素っ裸の小人がおった。

 俺は絶叫することになる、いや、そうしたかったのだが、声が出ない。

 俺は後ずさり、いや、そうしたかったのだが、そうすることもできない。

 腰が抜けておったのだ。

 へなへなとそこに腰を落とす。

 お前・・・何で・・・はだか。

 そこへあろうことか、その者が口を開き、しかも人の言葉を話し始めた。

「止めてくれ。」

と叫ぶも、やはり声が出ない。

 喉から出るのは、ヒーヒーとの音ばかりである。

 こちらの様子に何の気遣いも憐憫(れんびん)も、その者が示すことはなかった。

貴方(あなた)に危険をお伝えに来ました。重大な危険です。」

おまけに随分と事務的な口調である。

「お前のせいで、心臓が止まりそうなんだが。これ以上の危険があるのか。」

 そう言い返した積もりであったが、相変わらず俺の口から出るのはヒーヒーとの音のみ。

「貴方は水生(すいせい)人間になります。地上では息ができなくなります。水の中でしか生きられなくなります。」

 その言葉に続きがあったのか、それともそいつは言いたきことの全てを伝えたのか。

 いずれにしろ俺が気絶する前に、聞くを得たのは、そこまでであった。

 

 次の日の朝。その透かしガラスから入り込む光により、俺は目を覚ました。

 玄関でひっくりかえっておった。

 足下を見る。

 サンダルがびしょ濡れになっておった。

 急ぎあの小人の姿を求めるも、見つからなかった。

 当然すがるような想いで、天井を見る。

 水漏れであってくれと、そう願う。

 しかし、そうではなかった。

 といって、それで昨夜のことが信じられるはずもなかった。

 何らかの理由で、例えば上の住人の水の使い方により、夜だけ水漏れしておるのではないか。

 そしてその水の音のせいで、随分と変な夢を見たのだろう。

 そう考えると納得できた。

 小人なんてそもそもおるはずがない。更には俺が水生人間になる。

 そんなのありえんだろう。

 

 当然、俺は仕事に行く。

 ただ昼を迎える前には、随分と息苦しくなっておった。

 小人の言葉を想い出さざるを得ない。確かにこう告げておった。

『地上では、息ができなくなります。』

 俺は課長に早退を願い出た。

 無論、小人の言葉を信じた訳ではない。辛抱できぬほど、息苦しくなったのだ。仕事どころではなかったし、やりたくても、全くできない。

 一端、アパートに帰って病院に行くことにしたのだ。

 普段は部下の体調を気遣う上司ではないが、やけにあっさりと認めてくれた。

 よほどに俺が顔面蒼白になっておったのかもしれぬ。


 俺は何とか最寄り駅までたどり着いた。

 具合は更に悪くなっておった。

 そのまま病院に直行すべきではないかと想うほどに。

 ただ俺には妙に几帳面なところがあった。

 やはり保険証を取りに行くことにする。

 アパートの方へ向かう。

 それほど遠い訳ではない。

 十分ほど。

 おんぼろで、しかも駅から遠いとなれば、いくら家賃が安くても、俺も借りぬ。

 何とか・・・たどり着けそう。

 とはいえ、意識は半ばもうろうとしておった。

 駅からアパートの間には〈幸いにして〉川がある。 

 幸い?。何を考えているんだ。とにかくアパートに戻らなくては。

〈そこまで行く必要は無い〉

 何だ。これ。

〈すぐ、そこに水がある〉

 水ってドブ川じゃねえか。

〈早く飛び込め。〉

 2メートル以上あるぞ。

 しかし次の瞬間、俺の体は、既に橋の手すりの上にあった。

 怖えよ。よく見たら3メートル以上あるじゃねえか。

〈早くしろ。死ぬぞ。〉

 俺の体は宙に舞っておった。

 

 俺は水生人間となっても、記憶を保っておった。

 その中に人面魚というのがあった。

 頭のところに人の顔そっくりの模様があり、往時の人々の話題をさらったのだった。

 それで俺は『当代の人面魚でござい』とばかりに、ドブ川から顔をのぞかせる。

 すると人々が橋の手すりのところに集まり、こちらを指さして騒いでいる。

 それから、俺はこれを毎日の楽しみとした。

 しかし日が経つにつれ、どうにも俺の意識は薄れ出しており、更には

〈身を隠すのだ〉

〈大きな川へ〉

〈海へ〉

 との声が聞こえるようになっておった。

 それは日々大きく、また度々となっておった。

 やがて俺は意識も記憶も失うのかもしれぬ。

 ただそれまでは

『ドブ川の人面魚でござい』

 と水面に顔を出す日々を送ることだけは間違いない。

 俺は隠れる気なんかねえぞ。

 何かが俺の記憶も意識も隠してしまうまでは。


(完)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ