軍事会議
ライングレッド王国は、ペルドット共和国を併合したことで大きな有利を得ることとなった。
ライングレッド王国は、前世の世界で例えるならば日本の北海道地方に該当するくらい土地面積を誇り、ペルドット共和国はそれに対して四国地方くらいの大きさしかない。
一見すればもともとそれほど大きくなかった王国がほんの少しだけデカくなった程度の話でしかないように思えるが、実はこの併合には非常に大きな意味があるのである。
というのを、果たして軍のアホ共は理解しているのだろうか。
私はそれが非常に不安だった。バルグは兎も角、他の平和ボケしている軍の自称高官が理解していなければ宝の持ち腐れどころか、国のリスクを激増するだけの産物でしかない。
ということで、私はそれを見極めるべく早朝に行われる軍事会議に出席することにした。
「マリー様。この度はご多忙の所、ご視察に来ていただけたことは誠に光栄の極みに存じます」
会議室に入る私。すると早速私の前にガマガエルの様な顔の太った男が現れた。
因みに私がここに来たのは表向きは『社会見学』ということになっている。国の未来を担う王族に会議の様子を見せて、少しでも有事の決断の重さを勉強してもらおうという趣旨だ。
するとガマガエルのような男は、私を見るなりヘコへコと頭を下げて醜い顔に精いっぱいの笑顔を浮かべながらそんなことを私に言う。その様子はいかにも世辞を言い慣れている様子だ。きっと、国王である私の父や兄がここに来た時も同じようなことを頻繁にやっていたんだろう。
「私は、ライングレッド王国陸軍参謀長のゲローと申します。今後ともお見知りおきください」
ガマカエル男はゲローというらしい。いかにもカエルっぽい名前だ。
しかし、陸軍参謀長とは陸軍の最高責任者ではないか。確かバルグも軍においては非常に重要な役目を担っていたと聞いているが⋯⋯
「バルグ統括官は、陸軍において陸軍大臣を務めておられます。陸軍は私ゲローと、バルグ統括官の二人で意思決定を行っております」
我が国の最終意思決定権はあくまで王である私の父が握っているが、その補佐としての意味合いも含めてバランスよく役職が配置されている。何より聡明なバルグが大臣を務めているのは幸運だった。
しかし何故だろう。不思議と私はあまりゲローのことが好きになれる気がしなかった。
何処となく有権者に媚び諂う、前世で嫌というほど嗅いだ匂いがするからだろうか。
するとゲロー以外にも、多種多様な役職を名乗る輩が私に挨拶に訪れる。
その誰しもが10歳の小童である私のことを必死に持ち上げ、そして恭しくお辞儀する。
その動作にはゲロー同様に骨の髄まで慣れ切った、能動的にも近い印象を感じた。
「ケッ、ションベンも自分で出来ねえチンチクリンに偉そうにしてんじゃねえよ」
だがそんな中、会議室中にドスの利いた男の声が響いた。
その言葉の意味を吟味せずとも、その言葉を発した主が天地もひっくり返らんとばかりの大暴言を発したことはそこにいる全員が刹那の時間に理解した。
「ここはガキの遊び場じゃねえ。俺達をからかいに来たんなら、今すぐに帰んな」
私の目の前に現れたのは、葉巻を吸いながらプカプカと煙を吹かせる男だった。
だらけきったデブ男たちが大挙して私を囲む中、その男は見て明らかに分かる引き締まった肉体に歴戦の猛者たる威容を放つ、まるで獅子を思わせるような男である。
「夜中にお散歩して敵国に捕まった挙句、俺たちの貴重な戦力を危うくお姫様の救出なんぞに使わなきゃいけなくなったと他国に知られたら、ライングレッド王国最悪の恥だったぜ。もし噂のエル・ゼロとやらが解決してくれてなければ⋯⋯」
それは目にも止まらぬ速さだった。
男の懐から煌めく銀の光が撃ち放たれると、ジグザグの軌道を描いて私に迫る。
その銀の光はそのまま私の首に迫り、そして⋯⋯
「ジェクト!!」
私の寸前で止まった。
白い私の首筋の数センチ先には銀色の鋭い刃先のナイフがある。
そしてその刃は、骨ばった男の手によって止められていた。
「まさか、本気でマリー様の首を落とそうとしたのかジェクト!」
ナイフを止めたのはバルグだった。
気配もなく私の横に現れ、超高速のナイフを止めるとはやはりこの男は只物ではない。
「⋯⋯脅しただけだ」
懐にナイフを仕舞う男。どうやらこの男はジェクトというようだ。
そのナイフさばきは明らかにデスクワークを主戦場とする人間のものではない。言うならば標的の首を掻き切ることを日常とした猛者の動きだ。その証拠にバルグが私に迫るナイフを止めたのに対して、会議室に居る他の人間たちはジェクトの動きに反応すら出来ていなかった。
「王族だろうと関係ない。軍の足を引っ張る奴は容赦しないと、このお嬢様に態度で示しただけだ」
足を組み、部屋の片隅に座る男。
しかしそれを見て真っ青になるのは他の将校たち。
王族に刃を向けたジェクトの行動は、言い訳する余地のない反逆行為だ。
「ジェクト! 今すぐマリー様に謝罪するのだ!」
「ふ、ふ、ふざけた真似をしおってジェクト!! マリー様、これはその、ジェクトが全面的に悪いのでございまして、私は王族であるマリー様に忠誠を誓って⋯⋯」
途端に始まるはジェクトへの罵声と、私へのフォロー合戦。
ゲローに至っては、今すぐ私の靴でも舐めようかとばかりに平身低頭して土下座を始める。
その様子はまるで自身の出世をもぎ取りたいがために、私に袖の下を渡すかつての部下の姿にも被った。
私はジェクトの元に歩み寄る。
敢えて表情を変えず、ツカツカと靴を鳴らして近づいていく。
すると横目に土下座しているゲローの顔が醜い笑みを浮かべていくのが見えた。
まるで『ざまあみろ』とでもいうように。王族に対して無礼を働いたジェクトが、私の怒りを買って失墜するのを楽しむかのような醜悪な顔だった。
その気持ち、私にはよく分かる。かつては私もそんな笑みを幾度となく浮かべたからな。
「ジェクト。貴方の階級は?」
「⋯⋯少尉だ」
少なくとも准将クラスでなければこの会議室には入れないはずなのだが、恐らく彼はその腕を買われてここにいたのだろう。きっとその判断は私の父かバルグに違いない。
まず間違いなくゲローではないはずだ。それは様子を見ていれば分かる。
「この私にナイフを向けるとは、反逆罪に問われる覚悟があるのですわね?」
するとジェクトは、チッと舌打ちして言う。
「ああそうだ。だが、一つ言わせろ。昨日の一件が起きた後、俺の部下がテメエの救出作戦に駆り出さる予定だったんだよ。クソッタレなバカのために俺が手塩にかけて育てた兵隊を失う可能性があったんだ。ならもし昨日、俺の部下が一人でもテメエのせいで死んでいたら俺がどうしていたか分かるか?」
ナイフをゆっくりと懐から見せるジェクト。
それを見てバルグは再び私の傍に歩み寄るが、私はそれを左手で止めた。
「俺のナイフは、『寸止め』では終わらなかったぜ」
「私を、殺していたと?」
「当たり前だ。命は皆等しく平等。なら部下の命はお嬢様の命で償ってもらうしかねえよな?」
反省の色はない。いや、そもそも反省すべきことすら思っていない。
王族である私の命を引き換えに部下の命を償わせるというジェクトの発言。その言葉に嘘偽りや虚勢がなかったことはこの男の凄まじい眼光を見れば容易に察することが出来た。
間違いなくこの男は本気だ。
「申し訳ございませんマリー様。ジェクトは後ほど私どもが厳正な処分を下しますので、ここは私の顔に免じてお許しいただけますか?」
手を揉みながら私にすり寄り、ヘコへコと頭を下げるゲロー。
それはまるで長くこの時を待っていたかのような、狙いすましたかのようなタイミングだった。
私は今までこんな態度を取る人間を腐るほど見て来た。そして、常にこういう人種が狙っているのは何かも熟知している。今回のケースは目の上のたんこぶを除去する絶好の機会を得たことに対する喜びだろう。
だから、私ははっきりと口にした。
「身勝手な私の行動を謝罪しますわ。ジェクト少尉」
部屋の空気が、凍り付いた。
私はジェクトに向かって頭を下げる。心からの謝罪であると思わせるに十分なほどの長時間を有するお辞儀を私はジェクトに対してして見せたのだ。
「マリー様! 一体何を⋯⋯!?」
それを見て慌てるガマガエル顔。
彼の頭の中には、激高してジェクトを散々罵った挙句に彼を牢獄へブチ込めと命じる私の姿が鮮明に思い描かれていたのだろう。それは会議室の扉の向こうから見え隠れするゲローお抱えの近衛兵たちが、ジェクトを牢まで連れていくべくスタンバイしていたのを見れば明らかだ。
「驚いたね。お嬢様はテメエの首を飛ばそうとした人間を許すってのか?」
「私とて、昨日の行動が多くの王国民を危険に晒すものであったことは理解しておりますわ。ならば、それに対する責任を負うのも王族としての使命です」
ジェクトの表情に僅かな変化が生じた。
先程まで私に親の仇の如く注がれていた視線が僅かに和らぎ、口に咥えていた葉巻をポイと床に投げ捨てると足で消火する。私の行動は彼にとっても予想外だったのだろう。
「⋯⋯テメエを許す気はねえ。次余計なことをすれば、今度こそ首を刎ねるぜ」
潰れた床の葉巻を足で蹴とばし、その場から立ち上がるジェクト。
すると彼は私の横にいたバルグに言う。
「お嬢様の教育をしたのはバルグか?」
対してバルグは静かに言った。
「マリー殿は聡明なお方だ。私が指示せずとも、幼少期より我らの意を汲む聡明さをお持ちであったぞ」
「そうかよ」と小さく言って踵を返すジェクト。
すると少しだけ躊躇するような仕草を見せた後に彼は、懐から小さな飴を取りだすと不器用な手つきで私の手に握らせた。
「やるよ。無礼の詫びだ」
この世界では、砂糖は途轍もなく希少だ。
これくらいの飴でも金貨が何枚も必要になるほどの価値があるものだが、それを彼は私に手渡した。それは彼が私に対して何らかの謝罪の意思があったいうことだろうか。私はあくまで当たり前のことを当たり前に意思表示しただけだったのだが。人の心に疎い私にはそれがよく分からない。
「クソみたいな話し合いは嫌いなんでな。あばよ、お嬢様」
そう言って、ジェクトは去っていった。
後日バルグに聞いたところ、ジェクトはこの国で一番の優秀な戦士らしい。その武功の多さから少尉まで昇格したものの、部下に対する義理人情や国への誇りが強すぎるあまりに暴走することも多い人物だそうだ。それもあってか、ゲローを筆頭とした面子とは折り合いがとことん悪いらしい。
ふと私は、ここでゲローの方を向いた。
小さな、でっぷりと太りきった体を床から置きあげて去り行くジェクトを見るゲロー。
『邪魔な奴め』
声には出していない。だが、ゲローの口の動きは確かにそう言っていた。
だがそれも一瞬のことである。その後に私に向けられたゲローの顔は、まるで役者かと錯覚させられるほどの見事な笑顔で覆われていた。
「失礼しましたマリー様。では、ペルドット共和国の併合に関する軍事会議を始めましょう」
温和を見繕った顔でそう告げるゲロー。
何処となくそれは、かつての私にも被って見えた。
するとゲローは、私を除く部屋の全員の顔を見て言った。
「ではペルドット共和国の併合に関する件だが、その前に軍の幹部である諸君らに一つ聞いておきたいことがある」
するとゲローは突然、視線をバルグに向けた。
「現在旧ペルドット共和国はバルグ統括官兼陸軍大臣が務めておられるが、私は今回バルグ統括官に一つ提案したいことがある」
するとバルグに向き直るゲロー。
受けて立つようにバルグはゲローを見る。
「バルグ統括官は、今年で70歳を迎えられる。当然ながら高齢であり、今までのように前線にて職務に邁進されることは難しいだろう。そこでだ⋯⋯」
すると身を乗り出すようにしてゲローはバルグに言った。
「旧ペルドット共和国領の統治権をこのゲローにお譲り頂きたい。今後も職務を続ける中で、少しでもバルグ殿に負担がかからぬよう、仕事の分散を図っていこうではありませんか」
現在バルグは、ライングレッド王国の軍の統括と並行してペルドット共和国領の統治も行っている。その職務量はブラックを通り越したペンタブラック企業相当であり、確かに高齢なバルグの身を考えて仕事を分散しようというゲローの提案は理にかなっているように聞こえる。
だがバルグは、首を横に振ると答えた。
「ペルドット共和国は政情不安がまだ続いており、食料の供給も完全には行えていない。さらにダイナディア帝国の監視官やライングレッド王国の兵との相互コミュニケーションもギリギリの状態であるのでな、ここで統括官である私が席を外れればトップと末端の意志疎通が困難になる恐れがある。将来的にはゲロー殿に託したいところだが、今は席を外れることは不可能だ」
それもごもっともな意見だ。
バルグほどの有能な男だから今の状況を抑えられているだけで、もし彼以外の人物がペルドット共和国の正常化を行おうとしても余計に混乱するだけであろうことは明らかだ。
だがそれ以上に、心配なことはもう一つある。
「ゲロー参謀長。私はバルグが旧ペルドット共和国の統括を続けることに賛成いたしますわ。今のペルドット共和国には今以上の『危険性』を持ち込めないのです」
その言葉に、僅かにゲローの表情が変わった。
危険性、という私の発言が引っかかったのかもしれない。
「ゲロー殿の好意には感謝するが、私も今の職務を続けるつもりだ。ぜひ、ご理解頂きたい」
そのバルグの言葉に、ゲローもそれ以上の主張は悪手だと判断したのだろう。
「分かりました」と小さく言って席に座るゲロー。だが彼は横目に、私とバルグを交互に見ている。
その行動も私が前世で幾度となく行った行動だ。例えば何らかの策略の匂いを感じた時などにな。
「皆様に一つお尋ねしたいことがありますわ。これは国防にも関わる重要な話ですわよ」
ここで、私は動くことにした。
ここからは何故私がペルドット共和国が非常に重要な場所になりえると判断したかの理由に基づく話である。
「ペルドット共和国はデ・ヘカテス連邦、ダイナディア帝国、その他諸外国と非常に多くの隣接点を有している世界的にも珍しい立地条件を備えておりますわ。つまり、貿易流通分野で私どもが絶大な支配権を得るきっかけになりえる優秀な土地なのです」
しかし、その部屋に居る全員が「知ってる」とでも言いたげに無気力な表情を私に向けている。
無能共が揃いも揃って偉そうに。私がジルージアを殺し、ペルドット共和国を無力化しなければ今頃はライングレッド王国が戦火に包まれていたというのに。
「だからこそ、私どもはこの場所を何が何でも死守しなければなりません。この拠点はライングレッド王国の武力の大多数を使ってでも我が国が占領すべきなのです」
しかしここで、将校の一人が立ち上がって私に言った。
「ダイナディア帝国の軍隊がペルドット共和国領を守っているのですから、私どもが必要以上に戦力を使う必要はないのではありませんか?」
私は、バルグと目を見合わせる。
それは我々がその返答を既に予想していたが故の行動。そして返答を返した男が事の重大性を『全く理解していない』ことが明らかとなったが故の行動でもあった。
それを聞いたバルグが口を開きかけた、その時だった。
「バカかよテメエは。旧ペルドット共和国領の方がダイナディア帝国にとって大事になっちまったら、ライングレッド王国領はデ・ヘカテス連邦にとって都合の良いおやつになっちまうだろうが」
突然現れたのは、ジェクトだった。
どうやらこの男、去ったと見せかけて会議の話を盗み聞いていたらしい。見かけや行動の粗野さに反してして相当な狡猾さだ。
「物流、貿易、軍事、その全てでペルドット共和国は最高の立地条件だ。俺達にとって大事な防衛拠点であるクレバス・サニイ・ハーバルの砦を全部失ってもお釣りがくるくらいのな」
最大の脅威であるデ・ヘカテス連邦を直接牽制できるうえに、飛行技術が皆無に近いこの世界における世界中に広がる物流拠点、前世でいう所のシルクロードにも匹敵する立地条件を手に入れたとなれば、ダイナディア帝国にとってライングレッド王国の本国であるこの場所の存在価値は大幅に下がる。
「ダイナディアの奴らが、アホみたいな速さでペルドット共和国に軍を送ったのがその良い証拠だぜ。ようは奴らにとって俺らがいるライングレッド本国は二の次になってるってことだよな」
ここで問題が起きる。
ダイナディア帝国に軍事力を依存している我が国が、その上位互換にも等しい旧ペルドット共和国領の実行支配権をダイナディア帝国に奪われるような事態になればどうなるだろうか。
「ダイナディア帝国の軍隊がペルドット共和国領を守っているから問題がない? 完全に逆ですわよ。ダイナディア帝国があの場所の実行権を握ってしまえば、それを知ったデ・ヘカテス連邦がこのライングレッド本国を指をくわえて眺めているだけだと本気でお思いですの?」
ダイナディア帝国にとっての利用価値が大幅に下がったのを見計らってから、攻め込んでくるだろう。
何故バルグがペルドット共和国の統括から離れることが好ましくないと考えているかは、それを見越せば容易に見当がつく。
「留学経験などからダイナディア帝国とも結びつきがあり、ペルドット共和国の情報も熟知しているバルグがいることでダイナディア帝国に主導権を奪われずに済んでいるのです。後を継ぎたいと考えておられるゲロー参謀長は、それらの職務を完璧に遂行することができるのですか?」
グッ⋯!と声を漏らすゲロー。
それは私の問いに対する肯定にも等しい。
そこは詰めが甘いな。顔色一つ変えずに『何の問題もありません』とでも言えるならば、策士として私の評価も少しは上がるのだが。私と違い修羅場に対する経験が不足しているようだ。
「ゲローへの旧ペルドット共和国領統括権の委託は、ダイナディア帝国との対話と国内の混乱が収まるまでは無理だぜ。だから、余計なことせずに引っ込んでるんだな」
踵を返すジェクト。
どうやら今度こそこの男は帰るつもりらしい。
するとジェクトは、帰り際にゲローに向けて言った。
「大方、ペルドット共和国領を私物化して私服を肥やそうとしてたんだろ? テメエの考えてることなんてバレバレなんだよ」
ケッケッと笑いながら、ダンスを踊るような上機嫌で去っていくジェクト。
どうやらあの男、一見脳筋バカに見えるが実は策略に優れた筋肉だったようだ。
「グッ⋯⋯クッ⋯⋯!!」
対してゲローは抑えがたい怒りで震えている。
屈辱で赤くなった顔は血管が浮かび上がり、今にもプッツンと切れてしまいそうなほどだ。
すると、ここでバルグが横から私に言った。
「マリー殿。今日はこのくらいにしておきましょう、そろそろ演舞修練のお時間です」
「ええ。そうしますわ」
これだけ牽制しておけば大丈夫だろう。
どの道バルグの配置転換をするのは王族の許可が必要だ。つまり私が明確な反対意思を示した以上は、ゲローがこれ以上動くことはできない。
「では、さようなら。後はこの道の熟練者であらせられる皆様にお任せしますわ」
私は会議の席を立ち、演武のレッスンへと向かう準備を始める。
一先ず軍の高官共に釘を打つことには成功した。ペルドット共和国が最重要拠点の一つであることをこの王族たる私自身が認識していること。それを奴らに理解させるのは絶対に必要なことだったのだ。
だが去り際にゲローを筆頭としたその部屋にいる全員の顔を見る私。
それは彼らに対する期待の念を見せると同時に、ある種の『警告』に近いモノでもあった。
私の脳裏には、過去のある記憶が思い起こされていた。
忘れもしない前世において私が始めた新事業の立ち上げに際し、とある有力ベンチャー企業の買収を行おうとした時のことである。ほぼ買収話が成立していたところに、一人の当時私の上司だった男の裏工作によって話が急遽破談となり、いつの間にかライバル企業だった別の大企業に買収話を強奪された苦い記憶がある。
その時の上司だった男は、かつて買収先となった大企業に勤めていた所謂産業スパイだったことが後の調査によって発覚し、ブチ切れた当時の私は探偵を雇って徹底的にアラ捜しをした挙句その男を業界そのものから完全追放した経緯がある。
だからこそ、私の中の第六感がそれを感じ取っていたのだ。
かつてのあの上司と同じ匂い。
裏切りと工作、そして意思が組織と異なる異端分子の香り。
(間違いなく、軍の内部に裏切り者がいる)
私は、そう確信していた。
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