飛行実験
「クソッタレが! この忌々しい重力と慣性め!」
失礼。少々取り乱してしまった。
しかし現在、マリー・ライングレッド十歳は空を飛ぼうと努力を続けるものである。そして同時に、実験過程で5度の複雑骨折と、3度の頸椎挫傷、4度の頭蓋骨骨折という偉業を成し遂げてしまった。
もしこうなることを見越して治癒魔法を習得していなければ、私は空を飛ぶより先に二度目の輪廻巡りをする羽目になっていた。
何故こうなったのか。それは、この世界における魔法の面倒な特性によるものだ。
結論から言おう。この世界において魔法とは万物において作用する全能の代物だ。
その気になればタイムワープも出来るし、命の創生も可能。言い伝えでは伝説級の魔法使いは何度も自身を若返らせることで500歳まで生きたとも言われている。ゲノムに喧嘩を売るような所業を平然と成し遂げた伝説的御業だろう。
だが、それはあくまで論理もクソもない一方的な命令だから出来たことだ。
『若返れ』とか『時間を飛ばせ』とか、所謂『論理破壊』が出来るほどの魔術師だから出来る話であって、言い換えるなら物理現象を一方的に破棄するほどの伝説的な力があったということだろう。
それを抜きにした場合の、この世界の魔法という概念は非常に面倒くさい。
極論、空を飛ぶという行動は体の固定化や重力、慣性を考慮に入れた物理の総合芸術だ。チチンプイプイで空を飛べるなら苦労はしないし、風を生み出して疑似的な飛行をすることなら出来るが、体を宙に浮かせて思いの通りに空を飛び回るという魔法は、余りにも事象が複雑すぎるがゆえに呪文詠唱のみでは不可能なのだ。故に誰も魔法で空を飛ぼうなど考えもしない。
だから、この世界では魔法が全くと言って良いほど流行っていない。
ただでさえ魔力の適性が試される上に、小難しいことをずっと考えさせられるくらいなら剣を振り回してた方が楽、という脳筋思考が異世界全体で蔓延っているようだ。
その中で唯一ポピュラーなのは、先日私がやって見せた『召喚魔法』だろう。実はあの炎龍は、世界のどこかで飛んでいた炎龍を文字通りのチチンプイプイで連れて来ただけの簡単なものだ。無論あのレベルの怪物を連れてくるには相応の魔力がいるが、私にはそれがある。
ではここで、まだ空を飛ぶという行動に対して楽観的だった実験初日の実験内容を纏めたノートの中身を見ていただこう。私が辿った地獄の歴史である。
『実験初日。まずは簡潔に上に向けてベクトルを発生させる魔法を使うこととした。そして落下のタイミングで逆向きにベクトル操作を敢行。これで軟着陸を試みる』
『実験結果* 死にかけた。
ASBMもかくやの急加速で上空200メートルまで上昇。気圧の変化で目玉が飛び出さなかったのは奇跡。緩やかな等加速度直線運動を想定していた私がバカだった。また、上空200メートルからの逆ベクトル操作を敢行した所、地面手前でベクトルが全て私の体に跳ね返り、全身複雑骨折。以降の実験は全て、城の医務室から持ってきた痛覚遮断薬を極秘服用しての作業となる。でないと私の体がもたない』
『実験二日目。空中にて、複数の魔法を数回に分けて使うこととした。『上昇する魔法』『減速する魔法』『左右に移動する魔法』『数回に分けて地面と逆向きにベクトルを生み出す魔法』などなど、空中で移動するために必要な魔法を列挙し、空中にて行使する。これならいけるだろう』
『実験結果* 死にかけた。
上空300メートルにて体が制御不能になる。恐らく複数の魔法を何度も変換する行為が脳のキャパシティを大幅に超えたのが理由と思われる。額が真夏のプールサイドの如く熱くなり、たんぱく質の急速凝固が発生したのを空中内にて治癒。その後地面に墜落、両足と尻の尾てい骨を骨折。実験二日目にして心が折れる』
『実験三日目。一週間の休養期間を開けた後に実験再開。いきなり飛行するのは難しいと判断し、今回私は無重力状態を生み出すことにした。質量と重力加速度から重力を割り出し、その結果を元にして上向きにベクトルを発動。この状態を常にキープすることで無重力状態を生み出す。流石にこれくらいなら余裕だろう』
『実験結果* 死にかけた。
無重力状態を生み出すことには成功。ただし、空中から何故かピクリとも動けなくなり、半日以上空中浮遊を続けるハメになる。魔力切れによって降りることには成功したが魔力欠乏による深刻な心肺機能の低下が発生。電気ショックで心臓を無理矢理動かさなければ死んでいた』
と、そんなこんなで実験を続けた結果一つの結論に至った。
つまる話、脳のキャパシティが絶望的に不足しているのである。
決して私の頭がバカだとかそう言う単純な話ではない。
飛行という行動は、人間が持てる記憶領域や計算領域の範疇を大幅に越えているということだ。それこそ脳みそをあと五倍くらいに増やして同時計算でもさせない限り不可能な所業だろう。
「つまり⋯⋯脳みそを増やせば行けるということか」
マッドサイエンティストよろしく適当な囚人の脳みそをくり抜いて頭にくっつければいけるのか。そんなわけあるまい、実際は頭にグロテスクな装飾オブジェクトが追加されるだけである。
ということで、私は一つ法を犯すことに決めた。
といっても、殺人やら強盗やらではない。
実はライングレッド王国の城の内部には『禁書』と呼ばれる多数の本を収容している秘密図書館がある。しかしながら、それらの禁書は閲覧を厳しく制限されており、王族といえどこれを閲覧するのは禁じられている。これを見られるのは、ごく一部の研究者のみだ。
『カメレオン』発動。
私は、その禁書の中に飛行魔法のヒントがあると考えた。
ということで私の周囲に背後の光景を映し出す魔法、私の考案した『カメレオン』を使って身を隠し、禁書を収納している図書館への侵入を開始した。
見つかれば、棒たたきの刑が待っている。幾度となく地獄を見た私は棒たたきの一度や二度は怖くないが、幼子の体にむやみやたらと傷を付けることはしたくない。幸運なことに可愛らしい少女の体を持って生まれることが出来たのだ、ならばなるべく大切にしたいではないか。
と考えているうちに、図書館の禁書を扱うゾーンが近づいてきた。
本の数はそれほど多くない。せいぜい50冊程度だろう。
そのほぼ全ての表紙に、おどろおどろしい強烈な絵が描かれている。中に書かれている内容はさぞ恐ろしいモノなのだろう。
人工的な生命の創造や、国を滅ぼすほどの呪いにまつわる本などが次々と目に入る。
『飛行術式の秘密。杖無し詠唱と、並列演算制御装置の構築』
お目当ての物は直ぐに見つかった。紫色の表紙に、私の小さな両手にすっぽりと収まるくらいの小さめの本だ。
この場でじっくり見たいところだが、見つかれば王族でも容赦はされない。まずは自室に持ち帰って、それから研究することにしよう。
胸元に本を仕舞うと、私は大急ぎで図書室を出る。
自室の部屋に戻ると、入り口の扉にガッチリと鍵を掛けた。
「さてさて⋯⋯どんなことが書いてあるのかな?」
実年齢60にして、久々に心が躍る。
本を机に置き、私はページを開いた。
するとそこに描かれているのは、不思議な模様が刻まれた腕輪のようなものだ。
青と緑の美しい幾何学的な文様で、金のリングで作られている。
それに続いて、以下のことが書いてある。
『この装置は並列演算制御装置、『メリーシャ』 腕に装着することで、脳内で計算を行っていた魔法演算を全てメリーシャが行う。使用者は魔法を念じるだけで無意識に操ることが可能になり、杖を使う必要もなくなる。飛行術式は生身の人間が使用するには危険すぎるが、メリーシャの演算があれば意のままに魔力のある限り空を飛び回ることが可能になる』
素晴らしい! まさに私が求めていたものではないか!
頭の中で味噌汁をつくる必要もなくなり、かつ煩わしい杖からも解放される!
さてさて⋯⋯どうやったらメリーシャは手に入るのだろうか?
『メリーシャは、筆者が試作したプロトタイプを除いてはもうこの世には存在していない。また、筆者もこの本を書き終えた後に病で死ぬこととなるだろう。この本を手にした者に、私が遺したメリーシャの在処を教えよう。貴君が正しき道を歩む人間であることを願う⋯⋯』
すると本の最後のページに、地図のようなものが書かれていた。
場所は城から少し離れた奥深い森の先にバツ印が示してある。そして、『メリーシャよ永遠なれ』と殴り書きの筆跡で記してあった。
どうやら、そこにメリーシャがあるようだ。
本を閉じると、私は机の奥に禁書を入れる。そして表紙にカメレオンをかけて見ただけでは気付かないような細工をすると、机を閉じた。