ベルディの魔王
カタカタと私を揺さぶる音が聞こえてきた。背中には綿が詰まったベッドの感触があり、先程までの土と水の混じった匂いは消え、パチパチと木が火の中で弾けるような音も聞こえてくる。近くに暖炉でもあるのだろうか。私は木の焼ける匂いに誘われるように目を開けた。
私がいるのは、古ぼけた小さな小屋の中だった。
壁には作戦図のような地図に、いくつかの武器も掛けられている。恐らく軍事施設のような場所なのだろう。するとそこには私の他に二人の人影がいた。そのうちの一人が私の覚醒に気付く。
「彼女の目が覚めたようだ。ハンナよ、粥を用意しろ」
「はいはーい!」
身を起こした私はすぐに自分が古ぼけた衣服に身を包まれていることに気付いた。衣服は少し匂うが、手触りは悪くない。どうやら気を失っている内に着替えさせられていたようだ。
すると目の前に、巨大な大男が現れた。
「遅れたが、改めて貴殿に礼を言わせて頂きたい。ベルディ共和国を覆っていた魔法の障壁を破壊してくれたのは貴殿だろう? おかげで水が地から湧き上がり、雨が何日も降らなかった大地は恵みの水で潤うこととなった。貴殿は紛れもなくベルディを救った英雄だ。この『ベルディの魔王』、ジャーガスが心からの敬意と礼を示させて頂こう」
見た瞬間に、私は目の前の男の強さに気付いた。
筋骨隆々の肉体に、丸太のような腕。私がかつて殺したデストロも鋼のような肉体を持っていたが、もしかするとそれ以上かもしれない。少なくともライングレッド王国にこの男に匹敵する大丈夫は思い当たらないし、まさに一騎当千と呼ばれるに相応しい威厳と強さを感じさせる男だ。
だが何より今彼は、『ベルディの魔王』と自らを呼んだ。
ベルディの魔王、ジャーガスという名前を私はここに来る前にバルグから聞いている。
『ジャーガスはベルディの魔王の異名を持つベルディ共和国最強の戦士。共和国に向かう際は、くれぐれも交戦には至らぬよう留意してくだされ』
この世界のトップ10には名を連ねていないようだが、バルグがそれほどまでにはっきりと言うということは間違いなく実力者なのだろう。しかし、倒れていた私を介抱してくれたということは、決して悪い人間と言うわけではないようだ。
「はい、お粥が出来たよ。お口開けて~あーんして」
するとジャーガスの横に粥の入った器を持った女が現れた。
真っ赤な眼に金髪のショートカットの美少女だ。年齢は前世で言う所の高校生くらいだろう。戦闘要員特有の殺気は感じられないが、彼女の眼を見ると魔力に囚われるような独特な感覚を覚える。恐らくだが、魔力を秘めた眼、所謂『魔眼』というやつなのかもしれない。
「この娘の名はハンナ。ベルディ共和国の国境監視員であり、貴殿がベルディ共和国に入国したのもハンナが見つけたのだ」
「しかし⋯⋯」とジャーガスは続ける。
「ハンナの千里眼で入国したのは分かったのだが、貴殿がこの地に現れるまでの間、何故かハンナの千里眼でもその姿を捉えることが出来なかったのだ。本来なら国境を越えた時点で姿形が鮮明に映るはずなのだが、一体どういうことなのか⋯⋯」
一瞬、その言葉の意味を理解するのに時間がかかった私だったが、すぐにその真意に気が付くと私の背を滝のような汗が流れ始めるのを感じた。
恐らくハンナという娘は千里眼という文字通り、遠くから違法入国者の姿を捉える力を持っているのだろう。しかしそんな彼女が私が越境した姿を認めるのに時間がかかった理由、それは間違いなく『ミラードーム』の影響だ。魔法による干渉を全てはじくこの魔法で千里眼を無効化していなかったら、恐らく私が空を飛んでいる様を見られ、そして接触されていた可能性があったという意味だ。
(何たる失態だ。私としたことが⋯⋯!)
だが何より気付いたのが、メリーシャが私の手から消えていることだ。
まさかこいつらが奪って⋯⋯!?
「⋯⋯ん?」
しかしここで、私の手首に緑色の文様が光の輪のようにして浮かんでいることに気付いた。
光に触れると暖かみを感じる。中から魔力が湧き上がってくるようなえも知れぬ感覚が手首の中に埋め込まれているような感じだ。
(もしや⋯⋯)
ジャーガスとハンナに見えないように袖を隠すと、私は手首に魔力を集中させた。すると突然手首に固いブレスレットが具現化された。どうやらメリーシャにはこういう機能も搭載されていたようだ。これなら万が一の時が起きても私がメリーシャを無くすことないだろう。よくやったアイン。
(でもどうやってもう一度手首に引っ込めるんだろうか⋯⋯?)
具現化したメリーシャを見られるわけにはいかないので、懐に隠しておくことにした。
まだまだメリーシャには私の知らない隠された機能があるようだ、
「しかし、この若さであの魔法を打ち破るとはさぞ高名な魔法使いなのだろう。是非、貴殿の名前を教えて頂きたい」
ジャーガスは私にそう言った。この男、私が齢幾ばくかの小娘であるにも関わらず膝をつき、身長の低い私に背丈を合わせるようにして話をしている。武人としての高い品格を感じさせる男だ。
しかし、私がライングレッド王国の長女であることを明かすわけにはいかない。もし知られれば、この報は王国にもすぐ伝わり、私の行動に両親が不信感を抱くことにも繋がるだろう。当然、今回の旅の目的を彼らに察されることも避けねばならない。
「名前は⋯⋯マリーといいますわ。本名はマリー・グレッドといいますの」
「マリー・グレッド殿であるか。貴殿には是非とも我らがベルディ共和国の魔法軍に入って頂きたいと思うが、出身は共和国か?」
出身を問われるのも予想通りだ。
だがベルディ共和国はデ・ヘカテス連邦傘下の国。恐らく連邦と敵対関係にあるダイナディア帝国の傘下にいるライングレッド王国の名を出せば良い顔はされないだろう。どうせ偽りの身分である、なら出身を多少派手に偽った所で大した問題にはなるまい。
「いいえ、私は⋯⋯デ・ヘカテス連邦の出身ですわ」
「何と! いやはや、連邦にもかのような偉大な才能が次世代の芽を見せ始めているとはこのジャーガス、万感の思いである。いずれはより成長した貴殿と共に、連邦に仇名す敵共を一掃できる日が来るのだろう。その日が来るのが、今から楽しみで仕方がない限りだ!」
そう言うや豪快に笑うジャーガス。やはりライングレッド王国の名を出さなくて正解だった。
しかしここでふと、私はジャーガスが先程口にした言葉が気になったので聞いてみることにした。
「ベルディ共和国を魔法の障壁が覆っていたと言ってらしたようですけど、もしや共和国が敵対中のカルダシア王国の仕業ではありませんの?」
するとジャーガスは頷いた。
「その通り。奴らは自分たちに有利な貿易協定を武力を用いて我らと結ぼうとしているのだ。そして我らがそれを拒否したことに苛立った奴らは、エル・ゼロの脅威でベルディ共和国を陥れようとしている。まさに悪魔の所業よ。許されざる奴らの蛮行は万死に値する」
ここで考える私。恐らくだが、あの程度の魔法結界で危機になってしまうベルディ共和国は魔法に対する対抗策がほぼ存在していないのだろう。この男も魔法使いではなく、恐らく膂力を武器とした戦士であろう。ということは、この国は魔法に対して無力も同然ということだ。
そう考えた私は心の中で笑う。
連邦派のベルディ共和国は今後の動向次第ではライングレッド王国に仇名す可能性もゼロではない。しかし、期せずしてこの国が魔法に対して脆弱性があることが分かった。ならば仮に彼らが王国の敵になったとしても、ペルドット共和国同様に私一人で『処理』することが可能ということだ。
(ベルディ共和国は私の敵になりえる存在ではない⋯⋯一つ学習したな)
だが問題はもう一方の、カルダシア王国だ。
バーサーク軍曹とやらが私のもう一つの顔であるエル・ゼロを名乗っているのは周知だが、私が打ち破った魔法障壁は確かに並の魔王使いでは歯が立たぬ障壁だった。恐らくライングレッド王国の魔法使いでも私を除いてあの障壁を単騎で打ち破れる者はいないだろう。私ほどではないが、相応の能力者だと推察することができる。
「エル・ゼロがあの障壁を作ったのかしら?」
「⋯⋯まさしくその通りだ。憎たらしい話だが、エル・ゼロの魔法に我々は何も出来なかった。そして連邦に救援を願い出ていたがいつまで持ちこたえられるだろうかと思っていた最中に貴殿がエル・ゼロの魔法を打ち破ってくれたのだ。私が居ながらこのような幼子に国を救われてしまうとは⋯⋯このジャーガス、一生の不遜である」
ベルディ共和国はエル・ゼロ(偽者)に対して限りなく無力だ。連邦政府からの救援軍が来るまで籠城するしかない程に追い込まれているのだろう。しかし私としても、カルダシア王国がエル・ゼロの名を欲しいがままにするのを放置するわけにはいかない。エル・ゼロとは万人の敵であり、特定の勢力に属するものでもましてや味方するものでもないという立場を誇示するには、カルダシア王国のエル・ゼロ保有宣言を撤回させる必要があるのである。
「しかし魔法障壁が消えた今こそ、千載一遇の好機! これよりベルディ共和国軍はカルダシア王国に侵攻し、下劣なるカルダシア王国に報復を開始する!!」
筋骨隆々の体を滾らせそう宣言するジャーガス。
やはりこうなったか。ベルディ共和国としては、国民に害を与えられた以上引き下がることは断じて許されない。王国側から仕掛けられた戦争に対して目に見える形でカルダシア王国にダメージを与えることで、国としての面子と国民に対する信認を両方共に守る必要があるからだ。
⋯⋯待てよ、考えてみるとこれは私にとっても好機だ。
このまま単騎で王国に突っ込むよりも、ベルディ共和国とカルダシア王国の戦争に乗じて行動した方が間違いなく私の素性や行動を隠すには都合がいい。幸いジャーガスは、私を共和国を救った英雄として扱ってくれている。それに私の嘘にも気付いていないようだしな。木を隠すなら森の中の理論だ。
「⋯⋯ジャーガス様。私も、かつてカルダシア王国軍に両親を殺されました。それ以来、王国に攻め入り両親の仇を討つ日をずっと待ちわびていましたの」
数年前にデ・ヘカテス連邦とカルダシア王国の間で戦争があったことは、この世界の世界史書を読んで知っている。私も王国に恨みがあると思わせていた方が今後の行動にも説得力が生まれるだろう。
「お願いですジャーガス様! 私も、ベルディ共和国軍の一員として戦わせてください!」
水魔法を使って噓泣きしながら叫ぶ私の迫真の演技。
するとジャーガスは私のそれの数倍もの涙を流しながら私の肩を掴んだ。
「勿論だマリー殿! 共に戦おう!!」
するとジャーガスは私に鷲のような翼獣を模したシルエットが描かれた腕章を渡した。これはベルディ共和国のモチーフであり、私がベルディ共和国の人間だと示すための物だろう。
脱がされているようだが、前もってライングレッド王国のモチーフであるドラゴンを描いた服を着てこなかった私の判断はやはり正しかった。
「結界を破られたカルダシア王国陣営は今頃大騒ぎに違いない。奴らの混乱の虚を突き、直ちに王国への侵攻を開始するぞ!!」
「おーー!!」
高らかに叫ぶジャーガスと、小さな拳を宙に突き上げたハンナは小屋を飛び出していった。
今頃カルダシア王国を焦土と化すべく兵を動員している最中だろう。この様子だと、あと幾ばくかもしない内にベルディ共和国軍はカルダシア王国に侵攻するに違いない。
「⋯⋯フン」
だが、私にとっては両国の揉め事など鼻クソほどの興味もない。
あるのはただ、カルダシア王国にいるもう一人の私、偽のエル・ゼロを名乗るバーサーク軍曹とやらだ。恐らく自国が攻め入られたとあらばバーサーク軍曹も姿を現すに違いない。私が成すべきことはただ、奴が現れるまでの間息を潜めて待つことだけだ。
では、こちらの思惑通り偽エル・ゼロが姿を現したならどうするか。
そんなもの一つしかなかろう。
懐に秘めたメリーシャに手を当てる私。
すると私の魔力に呼応して微かな緑の光を放つ。どうやらメリーシャも久々に新鮮な生き血を吸いたがっているようだ。