10英傑の石碑
カルダシア王国に行くためには、ダイナディア帝国を越える必要がある。
しかしダイナディア帝国の許可を得て、この国境を越えることは恐らく不可能だろう。
空を飛ぶ王女。それも腕に奇妙な魔法具を光らせた不審者をダイナディア帝国の国境警備隊が見逃してくれると本気で思うほど、私も愚か者ではない。
かといって迂回するルートはなく、帝国の国境を越える以外の手段はない。
となるとやるべきことはただ一つ。
そう、違法越境である。
残念ながらまだこの世界では『ワープ』の概念は存在しない。
どうにか魔法を考案しようと頑張ってはいるのだが、過去にワープ魔法を開発しようと幾度となく実験を繰り返したものの、送ったはずの木の実が半分になって帰ってきたりした結果、『あ、これ下手に使ったら死ぬな』という結論に至ったのである。
ということで、私は上空5000メートルを時速500キロのスピードで飛んでいた。
凍えるような寒さは温熱魔法で弾き、風圧もメリーシャの演算能力でベクトルを打ち消すことで攻略した。空気の薄さは顔の周りを安定させた空気のベールを作り出すことで凌いでいる。レーダー網もスクランブル戦闘機も存在しないこの世界ならば、これくらいの高さならば地上から視認されることは避けられるだろう。
「この辺りが、ダイナディア帝国の国境か」
明確な壁などはないため漠然とした認識でしか国境は判別できないが、恐らく今私が飛んでいる辺りがダイナディア帝国だろう。実は私はこの世界に来てから帝国に足を踏み入れたことは一度もない。よって今回の違法越境が私の人生初めてのダイナディア帝国入りということになる。
『こちら、ダイナディア帝国国境警備隊。応答せよ』
すると頭の中で、誰かが私に向けて呼びかけてくる。
頭の中で微妙にハウリングするそれは、恐らくテレパシーだろう。
しかしこの高度の違法越境も察知するとは流石は天下のダイナディア帝国。
やはり一筋縄ではいかなかったか。
『貴公は、帝国の領域を侵している。直ちに退域せよ』
私が国境を越えた瞬間、私の脳裏に声が響く。
どうやら国境を違法に越えた場合は警告されるように魔法が設定されているようだ。
『さもなくば、ダイナディア爆撃隊によって強制排除させてもらうが宜しいか?』
宜しいわけないだろ。
どこの世界に、宜しいですわと言葉を返すアホがいるというのだ。
と、私がブツブツ言えたのはそこまでだった。
キランと遠い彼方から何かが光ったのを私の目は捉えた。
「回避!!」
メリーシャにそう命じたのと、それが魔法で生み出された爆撃だと気づくのは同時だった。
右に大きく旋回する私の横を、莫大な熱量を秘めた熱弾が通り過ぎていく。
『貴公を排除する』
1、2、3と数を数えるのは一瞬で諦めた。
何故なら遠くの彼方から飛んでくるのは、『無数』としか形容できぬほどの爆撃だったのだから。
「これが、ダイナディア帝国の国境警備隊か!!」
その火力は最早戦争である。
どこの誰がこんな数の火球を飛ばしているというのか。
恐らくは数百人規模の師団が私に砲撃を飛ばしているのだろう。
となるとこれとまともにやり合うのは得策ではないということだ。
「メリーシャ発動!!」
だが、やられっぱなしは私の主義に反する。
『ミラードーム』
私が極秘開発した魔法、ミラードームの出番だ。
これは遠隔射撃系の魔法を全て跳ね返す珠玉の魔法である。
もともと禁書の中に記されていたものでアインが『理論だけ』完成させていたものを、私が魔法に反映させたものだ。
因みに、この魔法は一秒の展開で一時間の飛行に相当する魔力を使う。
今の私に使えるのは長くても1分だ。
「一気に突破させてもらうぞ!!」
メリーシャに鞭を打ち、私は戦闘機の如く空を疾走する。
音速を越え、爆音と共にカルダシア王国に突撃せんとする私に無数の砲撃が降り注ぐが、私のミラードームはその全てを跳ね返す。そして魔法を放ったであろう術者に向けて砲撃は一直線に飛んでいった。
「自分で放った火でバーベキューにされる気分はどうだ?」
跳ね返った火は、着弾するや大爆発を起こす。
すると飛んでくる熱弾がガクッと減った。
「よしっ、今の内に突破だ!」
幸い私の顔はフードで完全に隠れている。
魔法を使ったとしても、私の顔を確認することはできまい。
そして見えてくるのは、ベルディ共和国とカルダシア王国の国境だ。
このままカルダシア王国に突入しようかと思ったが、よく目を凝らすとカルダシア王国側には魔法を打ち出す自動砲撃台が設置されている。
ミラードームもこれ以上維持できない。よってここは一度ベルディ共和国側に着地することにした。
こうして私は、ダイナディア帝国を突破してベルディ共和国へと突入した。
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そして私はベルディ共和国の国境付近に到着した。
ミラードームによる魔力欠乏は思いのほか軽度で済んだのだが、それにしても喉が渇いた。
私はフードを外して、籠った熱を排出する。そして飲める水がないかを探すことにした。
しかし仕方がないとはいえ、やはりこの長い髪は邪魔だ。
私は少し癖のある毛質のため、長く伸ばすと曲線を描いて綺麗なカールになる。母のメアリだけでなく、同学年の女子たちにもそれが羨ましいと思う者がいるようだが、前世では常に髪を短く切り揃えていた私からすると邪魔なのでバッサリ切り落としたいのが本音だ。
特に夏の暑い時期だと、髪の保温効果でセルフサウナと化してエライ目に合うのである。
と、歩いている内に私は湧き水が湧き出る小さな泉を見つけた。
この世界は公害がないためか、基本的に川の水は何時何処の物でも飲める。
たまに寄生虫が居たりするが、魔法で煮沸した後に不純物を取り除けば問題ない。
手で透き通った水を掬い、口に運ぶ。
戦いと魔力の欠乏で枯渇した水分が補充されていくのを感じると同時に、体が潤っていくのも同時に感じる。
ここでふと私は、泉の横に赤い石板のようなものが置いてあることに気付いた。
「んっ? 何だこれは?」
「おやおや見慣れない娘だねエ。どこの村の子だい?」
後ろから声がした。
無意識の内にハンドブレードを発動する私。
敵ならば容赦なく斬り捨てねば!と思って振り返る。
するとそこには、小さな娘を連れた老婆がいた。
「それは魔法かい? 凄いねえ、こんなに小さいのに魔法が使えるなんて」
そう言う老婆に私は尋ねた。
私を追って来た帝国の関係者ならば口封じのために始末せねばならないからだ。
「貴方たちは何者ですの?」
「ちょっと泉の水を汲みに来ただけの老いぼれだよ。最近は暑くてねエ、しかもこの辺りで水を汲めるのなんてこの泉しかないから大変なんだよ」
見ると彼女らは小さな桶を持っている。
朽ちた木を組み合わせただけの壊れかけた桶だ。
この様子だと、軍とは関係ないただの一般人だろう。
「大変失礼いたしましたわ。私、今は警戒心が人一倍強くなっていますの」
私は彼女らのために道を開ける。
すると老婆は桶で水を掬う。続いて老婆と一緒にいた少女もそれに続いた。
ここでふと私は、泉の横にある赤い石板について老婆に聞いてみることにした。
「ところで、この石板は一体ですの?」
「おやおや、『10英傑の石碑』を知らないのかい? これはね、この世界でも特にお強い10人の名前が刻まれた石碑のことさ」
初耳だ。そんなのバルグにも聞いたことがない。
すると老婆は話を続けた。
「この石碑は聖地ファラールの神官様が世界中にお作りになった物で、この世界でも特に強い力を持つ戦士、魔法使いの名前を世界中に知らしめるためのものなのさ」
聞くところによると、この石碑は世界中にあるらしい。
ライングレッド王国にはないような気がするが、一先ずそれは置いておこう。
この石碑には、第一英傑から第十英傑の十人の名前が刻まれている。
これらは魔法の力で名前が頻繁に書き換えられ、新たに強い人間が現れるとそれに合わせて名前が変わるらしい。
一先ず私は、石板を読んでみることにした。
第一英傑 『虚無』 オーダイト・ブラック
第二英傑 『召喚王』ヘカテス五世
第三英傑 『破壊神』バーヴァリオン・リア・エクポ
第四英傑 『英雄』 エリアス・キング
第五英傑 『女帝』 マリア・ノヴァクール
第六英傑 『海洋王』ジャズ・ディア・シーバ
第七英傑 『大巨人』ラバー・ドーン
第八英傑 『魔剣』 オゾラ
第九英傑 『踊り子』ララーナ・モータイト
第十英傑 『不死身』シン・ティオ
ここにあるメンツがこの世界のトップ10らしい。
どうやら私は居ないようだ。
一国を滅ぼした私でもトップ10入りすらできぬとは一体彼らはどんな怪物なのだろう。
するとここで後ろにいた少女が、チョンチョンと老婆の服の裾を引っ張る。
「そうだねリリイちゃん。早く帰ってパパとママに水を渡しに行こうかね」
そうやら少女はリリイというらしい。
すると老婆は私に言った。
その様子はやや困った様子である。
「実は、最近エル・ゼロっていう怖い魔法使いが現れてねえ。どうやら最近の水不足と日照りも、そのエル・ゼロが私たちの口を滅ぼすためにやっているって噂なのよ」
どうも、私が噂のエル・ゼロです。
と言いたいのをグッと堪えて話を聞く。
そして老婆は話を続ける。
聞くところによると、この小さな泉以外の水源から突如として水が出なくなってしまったらしい。
さらに季節外れの日照りが連日続いているせいで、体調を崩した住民も多いらしい。
「このままじゃあ、私達も干からびちゃうよ。だから早くエル・ゼロさんに機嫌を直してほしいのさ」
そう言うと、老婆はリリイを連れて村へと戻っていった。
リリイは去り際に律義に私にペコっとお辞儀して帰っていく。
見たところ、リリイより私の方が年上に見えたからだろう。
あの幼さで年上を敬う気持ちがあるとは、余程教育が良いに違いない。と、実年齢がジジイの私は思ってしまった。
「⋯⋯さて、では私は日照りを和らげるとするか」
思えば、この辺りの日照りは明らかに異常だ。それが魔法によって引き起こされているのであれば、これをやっている魔法使いは相当な使い手なのだろう。
その『自称エル・ゼロ』がどれ程の使い手なのかを知るには、直接対決してみるのが一番だ。
「メリーシャ発動!」
そして私は、意識をこの世界全体に集中させる。
この近くにはカリアス湖という、この異世界でも屈指の大きな湖がある。また、この泉と隣接するようにして太平洋の何倍もある巨大な海も存在していた。
雨を降らせるには、そこにある水を蒸発させて雲をつくる必要がある。陸から水分を持ってきても良いが、それでは水分が足りない。となると、力技で海から持ってくるのが一番だ。
私の底無しの魔力をありったけ使うつもりで、雲を生み出す。
すると見る見るうちに青い空が灰色に変わり、肌を焼くような日差しが和らぎ始めた。
「⋯⋯来たか」
メリーシャが最大出力を発動する。
すると気温がみるみる下がっていき、ポツポツと雨が降り始めた。
私が作ったのは特大の積乱雲。そこから生み出される雨は前世のゲリラ豪雨の比ではない。
そして、まるでバケツをひっくり返したかのような大雨が乾ききった大地に降り注いだ。
突然の大雨に驚いたのだろうか。遠くに見える村から歓喜の声が聞こえてくる。
これだけ雨を降らせれば、暫くは水に困らないはずだ。
すると近くにあった古びた井戸から水が湧き出てくる。私の魔力に刺激されたのか、それとも今まで水が出るのを遮っていた何かが私の力で破壊されたからだろうか。
至る所から、まるで今まで我慢させられていたものが一気に発散されるかのように水が溢れ出てくる。そして乾いていた大地が潤っていくのを私は見届けた。
が、ここで私に異変が起きる。
突然私を激しい頭痛と眩暈が襲い始めたのだ。
この感覚は前にも感じたことがある。そう、確か飛行実験を繰り返していた時に幾度となく魔力欠乏を起こして倒れていた時のあの感覚⋯⋯
「無理を⋯⋯しすぎたか⋯⋯」
ライングレッド王国からここまで空を飛び続け、ミラードームも使い、魔法で積乱雲も作った。
流石の私の魔力でもそれ以上は限界だった。
体中から力が抜ける。意識も遠ざかっていく。
「少し⋯⋯休まねば⋯⋯」
そして私はその場で倒れ、意識を失った。