ハッタリ
バルグの罪は、ライングレッド王国評議会によって正式に決定された。
ライングレッド王国評議会とは、前世でいうところの最高裁判所のようなものだ。残念極まるのは、明確な憲法や法、国民からの信任や厳格な裁判員によって罪状を決められていた前世と異なり、この世界の評議会の判決は何ともアバウトすぎるのである。
どんな物的証拠があるかよりも、『誰が目撃者か』で判決が山の天気並にコロコロ変わる。そして評議会メンバーに袖の下を渡せばあら不思議、数十人を殺害した凶悪犯罪者でも無罪放免である。またその逆も然りだが。
加えてこの事件の最初の目撃者が皇太子であるローディウスと、軍の最高幹部であるゲローだったとなれば最早評議会は彼ら二人の主張をセキセイインコの如く復唱するだけの傀儡と化すのである。まあそれも仕方あるまい。誰だって次期国王と陸軍最高指揮官には逆らいたくないだろうから。
そんなガバガバ司法が本件をどう扱うかは最早私でなくとも容易に予測できた。
結果は有罪。そしてバルグは死刑が確定した。
特にデ・ヘカテス連邦のスパイとして活動していた部分は厳しく糾弾され、『連邦の犬』、『ライングレッド王国未曽有の恥』、『人型の汚物』などなど司法の場とは思えぬ罵声が評議会メンバーから飛び続けた。
それをボケっとした顔でずっと眺めさせられる私の気持ちにもなってほしいが、一番の被害者はライアンだろう。
祖父に浴びせられる心無い罵声に激怒した彼は、剣を抜くや否や評議会メンバーに飛びかかり、そして警備兵たちによって何とか取り押さえられた。
そしてライアンにも何故か有罪判決が下り、『評議会にて不敬を働いた罪』として地下牢にて2日間の拘束が決定した。ようはバルグが縛り首にされるまで大人しくしていろということか。
死刑執行のための余計な変数は早期に排除したいと考えていた評議会の連中には、ライアンの行動は実に都合がよかったということだろうな。
「ゲロー。貴方に聞きたいことがありますの」
そんな私が、ゲローの肩を叩いたのは評議会終了後のことだった。
ゲローの横には兄のローディウスもいる。何となくだが、この事件が起きてからゲローと兄はいつも一緒にいるような気がする。
「バルグがデ・ヘカテス連邦のスパイであったという証拠は何処にあるんですの?」
評議会でしきりに、『バルグは連邦のスパイだった』と主張し、その証拠である手紙もあると言っていたゲロー。だがしかし、その証拠となった手紙とやらは影も形もない。
「マリー様。それはお兄様に説明して頂けますぞ」
するとゲローはニコニコと笑みを浮かべながらローディウスにパスを出した。
相変わらず醜悪な、そして吐き気を催すようなゲローの笑みである。
いかにも私を子供扱いするようなゲローの様子にはそれだけで僅かに怒りを感じる。
すると横にいたローディウスが私に言った。
「マリー。僕は確かに殺された兵士の足元に、デ・ヘカテス連邦から送られてきた手紙が落ちていたのを見たんだ。最高書記の署名もあったし、紙の質やインクも間違いなく連邦政府が使う公式文書用のものだったよ。だから、あれは絶対に贋作じゃない」
確かに、ローディウスは職務柄そういう手紙に頻繁に触れる機会が多い。
そういう意味では私よりも彼の方が手紙の真偽には精通していると言えるだろう。
だがそれは私の疑問を解消する上で何の言い訳にもならん。
「なら、何故その手紙を評議会の場に持ってこなかったのかしら? バルグがスパイか否かを決めるのはその手紙が本当に本物かを評議会の場で明らかにしてからでも遅くなかったはずですわ」
すると横からゲローが笑みを浮かべたまま私に言う。
「幼いマリー様にはまだ理解できないかもしれませぬが、敵国が送ってきた手紙にはそれはそれは恐ろしい魔法がかけられていることもあるのです。私が早期に処分をしなければ、マリー様にも危害が及んでいたかもしれませんぞ?」
つまりあれか? 手紙は危険物かもしれないから処分したってことか?
それは苦しい言い訳だろう。
「なら、危険物の取扱いに精通しているレアンや城の魔法使いたちに分析を頼めば良かったのです。仮にも軍の最高指揮官ならば、それくらいの機転は利かせられないものなのかしら?」
「マリー! ゲローに失礼なことを言うのは止めるんだ!」
ローディウスはそう言うが、明らかにゲローの主張は不自然だ。
私には、この男が何が重大なことを隠しているようにしか思えん。
するとゲローは「良いのです」とローディウスに言うと私に向きなおった。
「マリー様は勉強熱心な方だと聞いておりましたが、まだ物心ついたばかりながら既にここまで思慮を巡らせるその聡明さには頭が下がる思いでございます。マリー様がこのまま成長されれば王国の未来も安泰ですなあ」
「見え透いた世辞は結構ですわ。私は今貴方に、『何故、重要な証拠になりえた連邦政府からの手紙を処分したのか』を聞いているのです」
「⋯⋯? 私は手紙が危険物であった可能性を考慮して処分したと申し上げたはずでは?」
私はその主張に大きな疑問があると感じているのだ。
しかし兵士の遺体が処分され、手紙も消失したとなれば直接的な証拠を掴むのは難しい。
だから、お前には禁じ手を使うことにした。
「本当にそうかしら? 私は偶然見てしまったのですわ、貴方が手紙に細工をしている所を」
すると、僅かにゲローの表情に変化が現れた。
といっても、素人には分からない位の微小な変化である。
だが前世で無数の心理戦を繰り広げた私には手に取るように分かる。目の前の相手が自分にとって面倒であることを勘づき始めた人間の雰囲気がゲローから漏れ始めていた。
だがそれも一瞬のこと。すぐにゲローは笑顔に戻る。
「何を仰っているのか分かりませんな。私が手紙に細工をした?」
「ええ。それは偶然昨日中央指令室の前の廊下を通りかかった時のことですわ」
ここから先は全て私の創作だ。
いや、ここはハッタリと言ったほうが正しいか。
「それは痛ましい光景でしたわ。ナイフが胸に刺さり、命果てた兵士の御方が倒れてらしたの。そこにゲローがいらしたので私もそちらに向かおうとしましたわ。ところが⋯⋯」
私はこう考えた。
恐らく手紙にはゲローにとって不都合な何かが記載されていたのだろうと。
だからゲローは手紙を抹消した。さらに言えば『手紙をローディウスに確認させることで』それが不自然に映らないようにカモフラージュしようとしたのだろうと。
「ゲローが手紙に何かを書き込んでいるのを見てしまったのですわ。あの時は何をしているのか分からなかったのですけど、今考えれるとゲローが手紙の内容を改竄していたのではと思ってしまいましたの」
「そんな訳ないじゃないか。マリーは何かを勘違いしているんだよ」
本当にそうだろうか?
お兄様の横にいるガマガエルはそんな感じじゃなさそうだが。
「まっ、まっ、まさか、そんな、見られて⋯⋯」
私は一瞬だけゲローから零れたその言葉を聞き逃さなかった。
緑色に近い肌色が青くなっている。強い動揺が現れているのは明らかだ。
やはりこの男、謀には向いていないな。
「だっ、誰も居ないと思っていたのに⋯⋯!」
「ゲロー? どうしたんだ急に!」
「す、少し具合が悪くなってきましてな。今日はこれにて失礼させて頂きまする」
そう言うやゲローはドタドタと太った体を走らせて廊下の彼方へと消えていった。
これで確信した。奴は間違いなく手紙に関する何かを隠している。
「マリー! 一体何をしたんだ!」
「ほんの簡単な質問ですわお兄様。それでは私も失礼させていただきます」
ここまであからさまな誘導尋問にもローディウスには意図が通じなかったらしい。
分かってはいたが、私のお兄様は相当勘所が悪いようだ。
私は兄から少しばかり距離を取り、通信魔法を発動させる。
まあ、やる必要はなかったかもしれないが一応聞いておこう。
「レアン。ゲローの心拍数はどうなっていましたか?」
『危険なくらいに急上昇しています。マリー様が何かをしたんですか?』
医療に精通しているレアンは遠隔魔法で人の心拍数を把握することも出来る。
口では何とでも言えるが体は正直だ。私は前もってレアンにゲローの体の心拍数をチェックしておくように伝えておいたのである。嘘を言っているなら心拍数に異常な変化が起こるはずだ。そして、それは現実のものになった。
「いいえ。ちょっとおしゃべりをしていただけですわ」
レアンにはまだ私の真意を伝える必要はないだろう。
それは私の元にやってきたもう一人の報告を聞いてからである。
「ようお姫様。御所望通りに連れてきてやったぜ」
やってきたのはジェクトである。
その腕には顔が腫れ上がったボロボロの男がいた。
「ひゅ、ひゅるして⋯⋯何へも話しゅから⋯⋯!!」
「おう好きなだけ喋れや。おい姫様、こいつが闇市場で毒を売っていた野郎だ。守秘義務があるとかほざきやがったから喋るまでボコボコにしてやったが、問題ねえよな?」
「問題ありませんわ。よくやってくれました、ジェクト少尉」
そして私は、ジェクトに連れられた毒売りの男に話しかける。
「神経に作用する猛毒、その中でも即効性が強くて最も強力な毒は何ですの?」
「ど、毒龍ガーディンの毒袋へす。最近、そいつを1000万ゴールドで買った奴がいりゅ」
そんな額を出せる人はこの国でもそう多くはない。
王族以外だと、名家の人間くらいなものか?
「顔を隠してたけど、ちっこい奴だった。あと、軍服を着てた」
ということは、軍関係者か?
軍関係者で低身長、そして名家の生まれということは⋯⋯
「名前は?」
「知らへえ。闇市場で本名を使うバカは誰もいへえ」
「ああそうですか。なら、これ以上聞く必要はありませんわね。名前を知っていれば特別にアナタの裏取引の前科を全て見逃してあげようと思ってましたけど、これでは無理ですわね」
敢えて私は、そう言ってジェクトに命ずる。
「この男の罪を全て償わせなさい。バルグの次に処刑台に立つのは貴方になりそうですわね」
「ヒ、ヒエエエエッッ!! 分はった!! 全部言うからひゅるして!!」
すると男はあらんかぎりの力を振り絞るようにして言った。
「ゲローって奴だ!! アイツは昔から闇市場をよく使ってたから知ってる!!」
その言質が取れただけで大収穫だ。
コイツは闇市場にも詳しそうだしまだ利用価値がありそうだな。ここは見逃してやるとするか。
「このことは他言無用ですわよ。言ったら最後、このジェクト少尉が貴方の喉笛を掻き切りに行きますわ」
その言葉に大慌てで頷く男。
一先ずこれだけ脅しておけば大丈夫だろう。
私はジェクトに男を開放するように言った。
そして男が廊下を駆けて去っていくのを見届ける。
「んで、どうすんだよお姫様。このままゲローの野郎をブッ殺すか?」
「いいえ、それでは今度は我々が罪に問われますわ。もっとスマートに、かつ誰もが分かる形でゲローに罪を認めさせねばなりません」
何より厄介なのが、ゲローがローディウスを味方にしていることだ。
私が王族とはいえ、兄の次期国王であるローディウスは王族の格としては私より上。おまけにローディウスは察しが相当悪い。こちらがいくら説明したとしても、ゲローに言い包められてしまえば逆に我々が万事休すである。
「9割9分、今回の殺人の首謀者がゲローだと絞り込めたのは収穫です。しかし困りましたわね、手紙がない状態ではゲローが何故兵士を殺したかの証明が出来ませんわ」
これが私の最後の難関。『何故、ゲローが兵士を殺したか』である。
さらに、手紙に何らかの改竄を施したことも恐らく真実なのだろうが、一体何を書き加えたのか、また書き加えられる前には何が書かれていたのかも未だに明らかになっていない。
「それを立証しないままゲローを捕らえることはできませんし、仮に捕えても罪が軽くなる可能性が高いですわ。それではこの事件の裏に潜む真の巨悪の尻尾を捕らえることはできませんわよ」
「証明つったって、手紙がないんじゃ証明しようがねえだろうが。それとも自白薬を使って無理やり喋らせるか?」
それも名案ではある。だが、現実には無理だ。
自白薬はこのライングレッド王国には存在しない。貴重な鉱石といくつもの幻の動物の希少部位を複雑な過程を経て下ごしらえし、何か月もかけて抽出することで完成する自白薬はとんでもなく希少な薬だ。確かダイナディア帝国の帝国薬学院で調合していると聞いたことがあるが、仮にダイナディア帝国から薬を持ってこようにも薬を持ってきたころにはとっくにバルグは処刑されているだろう。
「ゲローは何らかの重大な秘密を隠していますわ。それを明らかにしないまま彼を始末するのは愚の極み。何とかしてゲローに隠された秘密を暴き出さなければ⋯⋯」
と、その時だった。
インスピレーションというべきか、私の脳裏にある秘策が浮かび上がった。
「⋯⋯ジェクト少尉。貴方にやってもらいたいことがあります」
「次から次へと人使いの荒い姫様だぜ。で、何をしろって言うんだ?」
私は運がいい。
丁度私達がいる近くにこんなに都合の良い部屋があったのだからな。
私はすぐ横にあった部屋のドアを開いた。
「おいおい何だよこれは」
「これから貴方にはある仕事をやってもらいますわ。ここはそのための準備をする場所ですの」
私の頭に思い浮かべた計画が全て完遂したその時、ゲローの秘密は明らかとなる。
闇に葬られた手紙の謎を解き明かすための最後の計画を始めることとした。
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