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裏切り者

これは、日も沈みかけたとある日の夕焼け時のことである。

人気のない空間を人目を避けるように誰かが歩く音が聞こえてきた。

コツコツという足音と共に、誰かが扉を開ける木の軋むような音が静寂の中に響き渡る。


ライングレッド王国の中央にある、ライングレッド城。

その中の一室にライングレッド王国の兵を統括する通称、『ライングレッド中央陸軍統括室』がある。

この部屋には他国に繋がる秘密の連絡ルートや、極秘に開発された軍事兵器の設計図、また軍の構成員の詳細な個人情報などのトップシークレットが保管されている。

当然部外者は立ち入り厳禁で、他国のスパイが入ろうものならその場で射殺だ。


しかし、その絶対領域のど真ん中で小さな人影がせっせと文書をかき集めていた。

国王の印が押された王族に関するデータや小隊の内部構成など、一つでも流出しようものなら一大事の機密情報をその人影はまるで駄銭に群がる乞食の如くかき集めていく。

その胸元にはライングレッド王国軍の紋章が刻まれ、額には脂汗が光っていた。


「フフフ⋯⋯まさか私がデ・ヘカテス連邦と繋がっているとは誰も思うまい」


その人影が漁っているのは、王国軍の中でも特に重要な第一級機密を扱う戸棚だ。

その戸棚には、開閉を許可された人間以外が一瞬でも触れようものなら一発即死の高圧電流が流れる魔法が付加されている。だが物色を続ける人物は感電していない。つまり漁っている人物は、触れることを許可された人間だということだ。


「クックックッ⋯⋯これで私もいずれは連邦幹部の仲間入りよ!」


文書を集められるだけ集めた後に、その全てを胸元に隠す人影。

そして窓から差し込む橙色の夕日がその人影の横顔を照らし出した。

そこに照らし出されるは、まるでガマガエルの様な小太りの男。


ライングレッド王国陸軍最高幹部、ゲロー。

彼はデ・ヘカテス連邦のスパイだったのだ。



==========================



ゲローという男は凡人だった。

魔法の才はなく、お世辞にも優れているとは言えない身体能力。そして凡庸な知識。

大局を見通す広い視野も持ち合わせておらず、人徳は並以下の普通人。


なのに、その男は強者だった。

バルグのように武や頭脳を両方持ち合わせているわけでもなく、

ジェクトのように、軍人たる強靭な精神力と武力を持っていたわけでもなく、

マリーのように強大な魔力を持っていたわけでもない。


だが、唯一優れているものがあった。

それはコネと権力である。


何時の時代も、コネとは大きな武器になりえる代物だ。

そして生まれ持った強大な権力はゲローを勘違いさせるには十分な代物であった。

ゲローは国でも有数の名家の一人として生を受け、幼い頃から人の上に立つことを許された選ばれし存在だったのである。

一般人がゲローに逆らうなどあり得ない。何故ならゲローという男が生を受けた名家は国屈指の権力を誇る一大名家であり、その血族であるゲローに逆らうのはその国で居場所を失うに等しい行動だからだ。


ゲローが士官学校に入学してからは彼の横暴さはさらにエスカレートした。

落第点を付けた教官はお抱えの近衛兵に命じて拷問し、無理やり満点を奪い取る。実技など一度も行わないが何の問題もない。金で雇った傭兵が代理として出席し、最高評価を得て帰ってきてくれるからだ。

別人だから無効? そんなことをほざく教官が居れば、きっとその教官は罷免されていただろう。

でっぷりとしたガマガエルの如きゲローとは全くの別人が授業、実技の行く先々で現れても、採点する教官、また同学年の士官候補生たちは見て見ぬふりをする、そして別人を褒めたたえ、満点を与える。


そして学期末の表彰でようやくゲロー本人が現れ、首席として表彰を受ける。

これが卒業するまで続いたのである。


ゲローの特別待遇は軍に入隊してからも同じだった。

同学年生たちが軍曹長としてキャリアをスタートさせる中、ゲローだけは『少佐』からキャリアを始め、しかも国有数の兵士を選抜した特別部隊を近衛兵として与えられたのである。

当然ミッションは全てが成功。だがその内容も、百戦錬磨の軍師の用意した作戦をオウムの如く朗読して兵に伝えていただけである。ゲローが率先して指揮をとり、作戦を成功させたことは一度もなかった。


軍事に興味の無い王族は、適当にゴマを擦っておけばゲローの脅威にはなりえない。

それを理解していたゲローは王族だけには徹底して服従の姿勢を示し、さながら国に忠実なイヌであるとプライドを微塵も感じさせない姿勢を能動的に生み出す術を体得していた。

そしてゲローが名家の後継ぎとなってからは、最早ライングレッド王国軍はゲローの私物も同然の代物と化したのである。その頃になると陸軍の最高指揮官となり、軍事力の頂点に立ったゲローに逆らうものは存在しないとゲロー自身も自負するほどに権力は増長していた。


あの男、バルグが国に帰ってくるまでは。


王族が絶対の信頼を置いており、バルグ自身もかつては英雄として国を守護した実績のある彼が長きにわたるダイナディア帝国での職務から帰ってきたのがゲローの計算を狂わせた。

バルグはゲローの私物と化した軍の現状が深刻であることを一目見て理解し、状況を打開すべくいくつもの改革を王族主導で行ったのである。


権力がゲローに一点集中していたのを『大臣制度』を導入することで分散し、バルグが軍の陸軍大臣に就任したことで軍の指揮権はゲローとバルグの二人に分散することとなった。また、ライングレッド王国屈指の戦士だったジェクトを軍曹から少尉に昇格させ、軍事会議への参加を許すなどの改革を行った結果、ゲローの権力は大幅に弱体化し、国を揺るがすほどだった彼の権力は鳴りを潜めることとなる。


『邪魔な老骨め』


自分の王国を破壊され、ゲローは内に強烈なバルグへの不快感を抱いていく。

だが知略でも人脈でも武力でも、ゲローはバルグに勝つことはできない。凡庸な知能しか持ち合わせぬゲローでもそれくらいのことは容易に理解することが出来た。


だが、ある時彼の元に一通の手紙が届いた。

その封筒には何者かのサインと共に、上質なシルクのような紙と金のインクで文字が書かれている。

ゲロー本人にしか封を開けられないように厳重な魔法で閉じられたそれは、ゲローが触れた途端に魔法が自動で砕ける。それは非常に高度な技術であり、この手紙を送った主は相当な魔法の使い手だろうと予想がついた。


そしてゲローは封を開けて手紙を読んだ。


『ゲロー殿に廻者になって頂きたい。ライングレッド王国軍の機密情報を、毎日陽が沈むまでに我らに送って頂ければ、来る侵略の刻には貴方の自由を保障しよう』


そして手紙の最後には、『デ・ヘカテス連邦最高書記』と署名が記されていた。

廻者とは、所謂スパイ。つまりこの手紙はデ・ヘカテス連邦のスパイ勧誘だったのである。


ここで、ゲローは考えた。

デ・ヘカテス連邦は日に日に侵略の色を強める巨大な軍事国家。そして重大な拠点の一つであるライングレッド王国を何としても支配下に加えたいと考えているのはゲローも知っていた。

そしてもしデ・ヘカテス連邦がライングレッド王国を侵略した日には、王族を筆頭に軍の最高幹部であるゲローも纏めて皆殺しにされるだろう。その可能性が日に日に増してきているのは、連邦の足音が高まりつつあるここ近年の動向を見ても明らかだった。


『フフッ⋯いい話ではないか』


ゲローとは権力の犬である。

国を売ることになろうが良心の呵責など微塵も感じぬゲローには関係のない話だ。どうせライングレッド王国はそう時が経たずとも連邦に侵略されるだろう。ならば今から恩を売り、彼らが侵略してきた暁には自分だけでも生き延びてやろう。

そんな下衆い考えを陸軍の最高指揮官でありながら持つくらいには、プライドの無い人生を歩んできた男である。そこに提案を跳ね除けるだけの国に対する忠誠は存在していなかった。


ゲローは、こうしてデ・ヘカテス連邦のスパイとなった。


悲しきかな、また隠されざる素質が発揮されたと言うべきか。

ゲローはスパイとして暗躍する才能だけは持ち合わせていたようだった。

ある時は軍の機密を、またある時は城の隠し通路など、ゲローはデ・ヘカテス連邦に情報を売って売って売りまくった。

手際よく、それでいて誰よりも俊敏に情報を流すその姿はまさに下衆の極み。それでいてスパイとしては限りなく最適解に近い行動を連発するゲロー。

軍の最高指揮官であるゲローが、まさか連邦に情報を流し続けているとは誰も思うまい。例え切れ者のバルグであっても予想することすら叶わぬだろう。


ゲローは勝利を確信していた。

いずれこの国が連邦に蹂躙された時、立っているのは自分だけであろうと。

生き残れさえすればいいのである。それが自分ならばそれでいいのだ。


そして今日も彼はスパイとしてその責務を全うしていたのである。

今日、この日のこの瞬間までは。


「ゲ、ゲロー閣下! 貴方は一体何をしておられるのですか!?」


ゲローの表情が凍り付いた。

目の前にはライフル銃を構える新兵の姿があったのだ。

戸棚にあった文書を、デ・ヘカテス連邦へ送るための魔法陣を発動していたゲロー。

しかしそこに偶然、若い新兵が部屋の物音を聞きつけて入ってきてしまったのである。


「移動魔法陣⋯⋯、閣下はその文書を何処に送るつもりでおられるのですかッ!!」


軍に関する機密を移動魔法陣で送るのは絶対的な禁忌だ。

それは軍の最高幹部であっても許されない。

しかもその新兵はゲローにとっては不幸なことに、魔法陣の構成呪文からその転移先まで推測できる知識まで持ち合わせていた。


「およそ北北東に1300セスタ。これはデ・ヘカテス連邦の軍事拠点の座標ではないか!!」


士官学校でロクに勉強してこなかったゲローには、何故それが読み取れたのかが皆目見当がつかなかったが、自身が限りなく『ヤバい状況』であることは直ぐに理解した。


「このことはバルグ大臣に報告させていただきます!! ゲロー閣下、いや王国に仇名す裏切り者め!!」


窮鼠ネコを噛む、という言葉が前世には存在する。

追い詰められたネズミが、天敵であるネコを噛む抵抗を見せるのと同様に、その時追い詰められたカエルは人生で初めて懐に隠し持っていたナイフを手に取った。

危機がもたらす火事場のバカ力がゲローの小太りの肉体をまるで弾丸の如く走らせ、手に持ったゲローのナイフが新兵の体を刺し貫いたのだ。


「グ⋯⋯ハッ!!」


不意打ちでしか成しえない先制攻撃は、新兵に瀕死の重傷を負わせた。

ゲローが持つナイフは特別製で、少しだけある『細工』をしてある。

手に持っていたライフル銃が血に染まり、明るい鮮血が宙を舞う。


「裏切り⋯⋯者め!!」


そう声を絞り出して、新兵はガクリと首を垂れて絶命した。

ゲローは手に持っていたナイフを投げ捨て、思わず顔を覆う。

不思議と人を殺すことはショックではなかった。彼の心を覆っていたのは、新兵殺しがバレることに対する極大の恐怖。これが公になれば流石のゲローもただでは済まない。

これでスパイ行為までもが公になればもうゲローはおしまいだ。

何より厳格を極めるバルグが、ゲローを生かして逃がすとは思えなかった。


「何とかして誤魔化さなければ⋯⋯!!」


死体を埋める? それとも焼き捨ててしまおうか。

いやそんな時間はない。もう数分もすれば、別の兵士や軍幹部がここにやってきてしまう。それまでに文書を連邦に送り、かつ死体を片付ける余裕はない。


どうすればいい? どうすればこの窮地を脱出できる?

ゲローの黒い脳がこの刹那の時間で超速で回転する。

そして一つの結論を導き出した。



=============================



そして、数分後。

中央室の前をローディウスと、そしてその警護の兵が通り過ぎようとしたその時。


「な、なんだこれは!?」


「誰かが倒れているぞ!!」


そこには、胸に短刀を突き立てられた哀れな男の亡骸が横たわっていた。

亡骸に駆け寄るローディウス。すると彼は胸に突き立てられている短刀を見て驚きの表情に変わった。


「これはバルグの短刀じゃないか!!」


独特な形状はバルグの超速剣技にも耐えられるようにカスタマイズされた、バルグ専用の短刀の証。


「まさかバルグ大臣が!?」


「そんなはずない! バルグがそんなことをする人じゃないのは僕が知っている!!」


兵士たちの声に反論するローディウス。

するとそこに近衛兵を連れたゲローが現れた。


「何ということだ⋯⋯まさか城内で殺しが起きるとは」


するとここで、ゲローはあるものに気付く。

兵士の亡骸の近くに手紙のようなものが落ちていたのだ。

それを拾い上げると中身を確認するゲロー。

するとゲローの表情が一変した。


「ローディウス様。これを御覧ください!」


ゲローに言われてローディウスも手紙を見る。

するとそこには衝撃的な内容が書かれていた。


『バルグ殿に廻者になって頂きたい。ライングレッド王国軍の機密情報を、毎日陽が沈むまでに我らに送って頂ければ、来る侵略の刻には貴方の自由を保障しよう』


その下には『デ・ヘカテス連邦最高書記』と署名がされている。

つまりこれはデ・ヘカテス連邦の正式な文書ということだ。


「まさか⋯⋯バルグが⋯⋯」


狼狽するローディウス。だが現実は非情だ。

しかも部屋を見ると、第一級機密情報を納めていたはずの戸棚が乱雑に開かれている。


「バルグ殿にお話を聞かなければ⋯⋯いや、もはやここまで物証が揃っていれば言い逃れすることは出来ないでしょう。おいお前たち、バルグ殿、いや王国に仇名す裏切り者を地下牢に幽閉せよ!」


「ま、待てゲロー!! まだバルグが犯人だと決まったわけじゃ⋯⋯!」


「敵陣営からの正式な文書を受け取っていた時点で王国に対する反逆罪であります。加えて兵を殺し、実際に機密情報を売っていたとなれば最早死をもって罪を償って頂くほかありませぬ。それともローディウス様は、友人であるという勝手な私情で大罪人を見逃せと仰るのですかな?」


「そ、そんなこと言ってないけど⋯⋯!!」


「私も、長く国を支えた忠臣であらせられるバルグ殿が国を裏切るなど信じたくはありませぬ。しかし、この殺人がバルグ殿によって引き起こされたのは明らかであり、ましてや彼が連邦のスパイであったならば言い訳の余地はないのは自明の理で御座いましょう」


そう言うと顔を覆い、肩を震わせるゲロー。

ゲローもきっとこんなことはしたくない。だが国を守るため、王国に危機をもたらした裏切り者を裁くために泣く泣く心を鬼にしているのだろう。ローディウスはそう思った。


「⋯⋯分かった。バルグを地下牢に送れ!」


「了解いたしました。後のことは万事このゲローにお任せください」


「僕もこのことは父さんに報告する。辛いけど⋯⋯この国のためだ」


そう言ってローディウスは父である国王に報告するために兵士を連れてその場を去っていった。

ゲローは近衛兵たちに亡骸を手厚く弔うように命じ、同時に『余計な混乱を招かないために』暫くの間は中央室近隣に人を近づけないように命じた。

そして近衛兵たちは刺殺された亡骸を遺体安置所へと運んでいった。


「ククッ、クククッ⋯⋯フフフフフフ」


誰も居なくなった廊下。

そこにゲローの押し殺すような笑いが広がっていく。


「バカめ。全部私の策略通りだ!!」


手紙の文字は、上から金のインクを書き足すことで誤魔化した。

ナイフは初歩的な物質操作でナイフをバルグの使っているナイフと同じような形で変形させただけだ。

この程度の小細工、それこそ仮にバルグであれば一瞬で見抜いただろう。

だが、それを見抜けるバルグは今は孫のライアンの剣の修練に行っている。


そしてこの時間帯にここを通りかかるのはいつもローディウスだ。

あの青年にこの小細工を見抜く慧眼はない。ゲローはそれを知っていた。

ゲローは蝋燭の火を連邦から送られてきた手紙に点ける。すると手紙はあっと言う間に灰となって消えた。


「愚かな次期国王には、私の身の潔白の証人になってもらうぞ!」


そう言ってゲローは誰も居ない廊下で高らかに笑ったのだった。

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