自室でのひと時
簡易的な演舞、お料理、そしてダンス。
今日も今日とてせっせとお稽古に励む私の勤勉さに自分ながら嫌気がさす。
軍事会議から一週間が経過しその間は何事もなく安寧の日々が流れ続けた。
決して私とて、バイオレンスなイベントが好きなわけではない、
何しろ命の価値が人権と法、行政や警察などの国家権力で守られていた前世とは大きく異なり、今私が住んでいる異世界は、命の価値なんぞ塵芥の類も同然である。
当たり前のように人が失踪するし、城の郊外に出れば首の無い死体が転がっているのがさほど珍しくもない光景なのである。前世であればメディアがてんやわんやの大騒ぎになるレベルの出来事が、朝のご挨拶ですとでも言わんばかりのテンションで直撃してくるのがこの世界だ。
そんな時代に(見た目だけなら)か弱い少女にしか見えぬ私が不用意な行動を取れば、「ああ、ご親切にどうも」と山賊やらジプシーやらが大名行列さながらの大所帯で、ある者は奴隷、またある者は体の良い性の捌け口として扱うために私を捕まえにやってくるだろう。
「はああ⋯⋯疲れた」
陽が沈みかけた地平線を眺めながら、今日も私は自室に戻る。
禁書は私のデスクの中に厳重に保管してある。周りの景色と同化する魔法、カメレオンを使って引き出しを開いただけでは何もないようにしか見えないように細工してあるから見つかることは無いだろう。
流石に禁書を所持していると知られれば、王族たる私でも罪に問われてしまう。だがしかし、禁書にはまだまだ有用な魔法が数多く記されている。せめて私の脳内神経にその全てが収まりきるまでは何としても手中に収めておきたいのである。
「マリー様。お茶をお持ちしました」
するとここで、私の部屋にレアンが入ってきた。
その手には湯気の立つティーカップが置かれている。わざわざ紅茶を持ってきてくれたようだ。
「御足労感謝いたしますわ」
私は茶を受け取ると、静かに口に運ぶ。
鼻腔をくすぐる豊かな香りと、絶妙な紅茶の酸味が絶品だ。かつては私もサラリーマン時代に世界中の茶をかき集めていたが、この世界で飲む茶の旨さに比べれば犬のションベンも同然である。
それは私の味覚が変化したからなのだろうか、はたまた他の何かが違うのか。
「この紅茶はレアンが淹れたのかしら?」
すると、レアンがポッと頬を赤らめながら頷いた。
なるほど、どうやらレアンの茶を淹れる技術の高さゆえの傑物なのだろう。
もう一度カップを口に運ぶ。茶にはうるさいと自負していた私の口から毒が一滴たりとも垂れてこないとは恐るべき技量だ。
「素晴らしい逸品ですわ。私、感服いたしました」
小さく「ありがとうございます」と言うレアン。
レアンは非常にシャイな少女だ。持っている力量と反比例するように、謙遜的で思慮深い。私と顔を合わせる時はいつも俯いて縮こまっていることが多い。
ライングレッド王国屈指の医療系魔法使いである彼女の力を考えればもう少し自信を持っても良いのではないかと思ってしまうが、彼女はそういう振舞いが苦手なのだろう。
「お母さまとは、まだお会いできていないのかしら?」
「はい⋯⋯でも、もうすぐ会えると思います」
レアンの母はダイナディア帝国の軍属主任医師を務めている。そのためレアンは、ダイナディア帝国にいる母とはもう何年も会えていないらしい。家族に会えずに、それでも我等王族のために執務に邁進するには相当な精神力が必要に違いない。
「困ったことがあれば、いつでも私を頼りにしなさい。出来る限りあなたの望みを叶えられるように努力いたしますわ」
「あっ⋯⋯ありがとうございます」
小さく頷いて頭を下げるレアン。
それでも表情は変わらない、いつもの冷静な表情だ。
内心笑っているところを見たかった、という邪念が頭をもたげるが即座に踏み潰す。
半年に一度しか笑わないと噂のレアンを笑わせるには、この程度ではまだダメなのだろう。
「私も、最近は疲れがたまって仕方がありませんわ。もう年かもしれませんわね」
「マリー様ったら⋯⋯なら私が肩をお揉みしましょうか?」
そんな軽口を叩くくらいにはお互い打ち解けた仲なのである。
前世でもここまで親しくしていた人はいない。そう思うくらいに。
「マリー様アアアアッ!! お疲れのマリー様のため、体の揉みほぐしをさせて頂きます!!」
そんな束の間の安寧をドカーン!と開いた扉の音がぶち壊す。
そして烈火の如き勢いで、暑苦しい炎の様なオーラを放つ男が飛び込んできた。
「マリー様の御身を癒すためならこのライアン、一肌でも二肌でも、御所望とあらば三つでも四つでも⋯⋯」
「そのまま全てを脱ぎ捨てて消えて頂戴」BY レアン
するとびっくり。レアンが見事な跳び蹴りで私の身に迫る大厄災の顔をぶっ飛ばした。
大開脚で顔面に飛び蹴りを叩きこむレアンの身体能力に驚くと同時に、それを喰らってもなおすぐに立ち上がる(鼻は少し変な方向に曲がり鼻血も出ていた)ライアンの耐久力にも驚いた。
とはいえナイスプレーだ。もしレアンがライアンを退けていなければ、私のハンドブレード・零式がこの男をみじん切りにしていただろう。
「いい加減、その人間ミサイル的行動を改めたらどうですの?」
「ミサ、ミサイル⋯⋯?」
「暴牛デロサウルスのような単細胞っぷり、とでも言い換えておきますわ」
「ハッ! お褒め頂き感謝の極み!!」
ダメだコイツは。
まだニワトリと話した方が建設的な会話が出来るかもしれん。
「ラ・イ・ア・ン~~!!」
「痛い痛い痛い痛い!! 何をするのだレアン!!」
するとレアンの右手がライアンの耳を捕らえると、猛烈な力で捻り始めた。
痛みに身悶えるライアンに「ざまみろ」と思う私がいる一方で、このままだとライアンの耳が取れるんじゃなかろうか、と心配する自分もいるのが不思議だ。
まあ魔法が存在しているこの異世界では、多少の体の欠損ならチチンプイプイで治せてしまうので最悪取れても問題はないと思うのだが。
「もう、しょうがないんだから⋯⋯」
暫くして、ようやくライアンへの制裁が終わり手を離すレアン。
「痛あ⋯」と言いながら自分の耳をフーフーしようとしてひょっとこみたいな表情になっているライアンを見て、自分の尻尾と戯れようとその場をクルクル回る犬を思い出したのはココだけの話である。
コイツの頭は犬以下か。いや、まだ犬の方が分別があるかもしれん。
「そんな様子じゃ、異性の方とのお付き合いも難しいのではありませんの?」
余計なお世話かもしれないが、そう思いたくなる気持ちが強い。
何故ならこの世界では前世と違って10代で結婚するのが一般的なのである。無論、親同士が結婚を取り付けてそのままゴールイン(というか自動誘導)のケースも多いのだが、所謂恋愛結婚である場合は10代半ばで出会ってチョメチョメしてそのまま子供を作ってライスシャワーを浴びるケースが大半である。
避妊具など当然存在していないので、やることをやれば生まれてしまうのだ。
するとライアンは、私の眼を見てはっきりと言った。
「このライアンは、マリー様に忠誠を捧げた身! 全てはマリー様のためであり、マリー様のお望みとあらば私の全てを捧げると誓います!!」
何か、勘違いされてる気がする。
別に私はお前と初めてを経験する気はないぞ?
というか私はまだ感性はどちらかというと男性の方に寄っているので、男と繋がれるとか考えるだけで鳥肌が立つのだが。
も、もちろん、そこまで大事に思ってもらえるのはありがたいぞ? でもね、世の中にはどうしても超えちゃいけないラインがあるというか、そこを超えると見ちゃいけない世界を見るハメになってしまいそうな気がするというか何というか⋯⋯
「⋯⋯⋯」
ここで、ふと私はレアンが真反対の方向を向いているのに気が付いた。
思慮深い彼女のことだ、何か考え事でもしているのだろうか?
「どうしましたのレアン?」
「あ、いえ、その何でもないです⋯⋯」
振り返った彼女の顔は、どことなく機嫌が悪そうだった。
あまり感情を表に出さない彼女にしては珍しい。
恐らく、ライアンの存在が嫌なのかもしれないな。普段から鬱陶しそうにしているし、今日も静かな時間を邪魔されて怒っているようだったから。
配置転換をしても良いのだが、王族にはそれぞれ護衛となれる剣士と、万が一の時に王族の蘇生を行える治癒魔法に熟練した魔法使いが従者として従うことが義務付けられている。
如何せんライングレッド王国も人材難でそう簡単に剣士や魔法使いも補充することはできないし、ましてや私と年齢が近い人間でこの条件に合致するのはライアンとレアンくらいしかいないのである。
「そんなにライアンが嫌なら、剣士の配置転換をしてもよろしいのですわよ?」
「そ、そ、そ、そ、そんなあああああ!!」
絶望的な表情になるライアンを無視して、レアンに尋ねる。
これで彼女がイエスと言うようなら配置転換を考えなければなるまい。
恐らく肯定的な意志を示すだろうし、そうなると一体誰が私の新しい護衛になるのか⋯⋯
「べ、別に配置転換なんてしなくても大丈夫です! 大丈夫ですから!!」
すると急にオーバーリアクションでレアンが否定し始めた。
むしろ普段はあまり自己主張しないレアンが、一世一代の危機を迎えるかの如く否定の姿勢に走る様子は見慣れないものだ。
「そうなの? 遠慮せずともいいのですわよ?」
「遠慮してませんっ! 私はライアンともうまくやれますっ!」
反論するレアンの顔がメチャ赤くなってる。すごく可愛い。
普段は固く無表情を貫いているだけにギャップが凄い。これがギャップ萌えというやつか。
⋯⋯やめておこう。自分の精神実年齢を考えるとこれ以上考えるのは背徳的な何かを感じる。
「おっと、いつの間にか私の鼻が治っているようです!」
見るとレアンの蹴りで出血したライアンの鼻からの血の流れが止まっていた。
いつの間にか、鼻の角度も元通りに直っている。
すると元気マックスだと言わんばかりの様子で私に拝礼するライアン。
「では、私はこれから剣技の修練に行ってまいります! では、さらば!!」
そんな言葉を残してライアンは光の速さで消えていった。
しかしまあ、底無しの体力とはライアンの様な人間のことを言うのだろう。私の警護に、剣技の修練、それが終わればバルグとの剣の個人レッスンが追加で用意されていると聞いたことがある。
落ち着きがないのはアレだが、その体力と溢れ出る情熱は特筆に値するだろう。
「全く、バカなんだから⋯⋯」
すると小さくポツリとレアンが呟いた。
顔を赤くして何処か呆れつつ安堵しているような様子だ。
「うん? 何か言いましたかレアン?」
「い、いえ、何でもないです!」
すると、ここで私はレアンのローブから青い瓶が見え隠れしているのに気づいた。
その中には透き通った水色の液体が入っている。あれは確か『妖精の泉』の湧き水だ。小さな妖精たちが何年もかけて精気を込めた泉の湧き水で、たったの一滴でどんなに重篤なケガや病気でも直してしまうという希少な代物である。
見ると少しだけ栓が緩んでいる。誰かに使ったのだろうか。
「妖精の泉の湧き水とは、随分希少な物をお持ちなのね。誰かに使う用でもあるのかしら?」
私はあくまで素朴な疑問として聞いたつもりだったのだが、レアンはそれを聞くや否や突然顔を真っ赤にして、ポケットから顔を覗かせていた瓶を慌てて懐の奥に押し込んだ。
「べ、べ、べっ、別に大したことじゃありませんよっ! 決して、ライアンの鼻を折っちゃったのに焦って使っちゃったわけじゃありませんからっ!」
レアンが何かを口走ったが、早口過ぎて良く聞こえなかった。
恐らく、彼女が治療している患者の中に余程容体の悪い患者がいるのだろう。その患者を助けるために湧き水を手に入れたに違いない。
彼女は暇を見つけては医学の勉強や新薬の研究を行うほど勉強熱心だと聞いたことがある。
きっとその原動力の根底には、医学に対する強い熱意があるのだろう。
「レアンは、本当に(医学の研究が)好きなんですね」
「す、す、好きだなんてそんな、別に好きじゃありませんからっ!」
「素直になってもよろしいでしょうに。毎日熱心にそのことを(医学のことを)考えているのでしょう?」
すると、見る見るうちにレアンの顔が濃い朱に染まっていく。
顔で目玉焼きが出来そうなくらいに火照った顔は激しい羞恥の表れか。
でも、私はそんなにレアンが恥ずかしいと感じるようなことを言った覚えはないのだが⋯⋯
「マリー様のバカっ! 意地悪っ!」
するとレアンは真っ赤な顔そのままに部屋を出ていってしまった。
「カップの回収を忘れてますわよー」と呼びかけたが、返答はなかった。
どうも中身がジジイのせいか、年頃の少女の繊細な心情はよく分からん。
レアンが持ってきてくれたお茶もいつの間にか冷めてしまった。これはこれでアイスティーとして美味しいので問題はないのだが。
「年頃の娘は何を考えているのか分からんな」
そんな言葉が自然と出てきてしまうような、今日この頃だった。
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