表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/19

マリー・ライングレッド

世界は常に黒く染まっている。

少なくとも、私の濁った眼にはいかなる微笑ましい光景も悲劇にしか見えない。


「さあ、輪になって踊りましょう」


手を繋ぎ、ピアノを奏でる淑女の演奏に合わせてワルツを踊る女児たち。

数年前まで何を言っているか皆目理解できなかった言語は、今やネイティブと称することが出来るほどにスラスラと流暢になっている。だが、そんなことは何の慰めにもなるまい。

フワフワのドレスを着せられたお人形さんよろしく、緑の澄んだ瞳と青い碧眼が揺れ動く小さな小部屋。

その光景に慣れている自分を殴り飛ばしたくなっている。

すると輪に入れない私を心配したか、老婆がこちらに近づいてきた。


「どうしたの? お腹が痛いのかしら?」


私に近づき、そう尋ねる老婆。

私は立ち上がり、その場でステップを踏む。


「素晴らしいわマリー! やっぱり貴方はセンスがあるわね!」


そりゃどうも。だが、一日5時間のダンスのお稽古をしていれば自ずとそうなると言いたい。

つま先はひび割れ、ふくらはぎが千切れそうになっている今の私を見て、現代社会の常識が適応されるならやれ虐待だとか、可哀そうだとか腹の足しにもならない同情を買えただろう。


だが、今の私に憐みの目が向けられることは無い。

朝から晩まで踊り、日が沈めばお屋敷にてダンスの裾を広げてお兄様をお迎えするそれが俺の⋯⋯いや、失敬、つい前世の口癖が出てしまった。私の役目である。


何故こんなことになったのか。

私は立ち並ぶビルの狭間を背筋を伸ばして歩き、スーツに身を固めて毎日満員電車に揺られていたはずだ。

接待、雑務、資料作り。面白くもないキーボードを叩く日々と、死んだ魚の目が年々白く、そして濁りを伴った鈍い輝きを放ち始め、それが遂に老眼という過労と過老から生み出される目の異常と共に具現化された頃には、私は大企業グループの幹部の一人になっていたはずだった。


『⋯⋯⋯くん。明日から我が社は外資企業の傘下に入ることとなった』


今も脳裏に我が社の会長の絞り出すような言葉が思い起こされる。

何が起きたのか分からなかった。敵対的買収? そんなことがあるものか。我が社はあらゆる企業と友好的関係を結んでいたはずだ。だが、私にそれ以上の発言権はなかった。


『⋯⋯くん。彼らはフロント陣を一掃したいと言っている。当然⋯⋯くんもリストラ対象だ』


リストラ? この私が? この会社に誰よりも尽くし、全てを会社に捧げ、プライベートという甘美な響きをも実務に注いできたこの私が⋯⋯リストラ?


『今までご苦労だった。君の幸運を祈っている』


幸運を祈る? 誰に幸運を祈るというのだ。

神にでも祈るのか? 仏に念じれば事態が好転するとでも言うのか?


同僚の何人かは、天下りという名の特権階級が持つ天恵によって早くも居場所を手に入れたと聞いた。だが私にその天恵は与えられなかった。

私が会社を去る間際に、同期の本部長が言い残した言葉が今でも耳にこびり付いている。


『⋯⋯くん。これは君の行動が招いた結果だ。実利主義者なのは大いに結構だが、君の情の無いやり方についていけない人間は多数いるのだよ』


情の無いやり方だと? 

笑わせるな、所詮は一流大学のツテを利用して何の苦労もすることなく大企業に入社し、上司へのごますりと揚げ足取りだけで成り上がっただけのクズめ。

私のやり方が気に入らない? なら何故貴様は年々営業成績が低迷する我が社の危機を見て見ぬふりをしたのだ。火中の栗を拾わぬ貴様の臆病さが今回の吸収合併を招いたのが分からんのか。


確かに私のやり方は、情なぞ微塵も持ち合わせてはいなかった。

生産性もなく、社内法規を守らず、挙句の果てには社外でトラブルを起こすアホを軒並みクビにし、組織を腐敗させる無能な上司は探偵まで雇って粗を探し、そして失墜させた。

その結果、私の部署は他を大きく引き離す営業成績を叩きだしていたではないか。

存在自体が赤字を招く貴様らのケツを拭いていたのはいつも私だったではないか!!


『黙れ⋯⋯。お前のような人間に、私の管轄(ヘブン)を荒らされるのはもう御免だ!』


成程、全て理解した。つまり貴様らは私の様な爆弾を抱えたくはないということだな。

周りをイエスマンで固め、ユルリまったりとした地獄の中で余生を過ごしたいと言うのか。

激怒した私は本部長に唾を吐きかけ、そして退職金も受け取らずに会社を去った。


私は職を失い、そして生きる道を見失った。

家族はいない。居るのは、私という人型のたんぱく質ただ一人。

金ならある。だが、私の中にあった生きる指標は消え失せた。


再就職しようにも、もうこの年で一から重役に迎え入れてくれる会社などないだろう。

ギャンブルも酒も、何もしない趣味なき男であった私にとって、『仕事』を通じて会社という社会の中で成り上がるのは至高の喜びだった。人を踏み潰し、特には嵌め、他の机よりほんの数センチだけ大きく、座高の高い椅子に座るのが私の自尊心を高めた。


だが、今は地位も名誉も収入源も絶たれて、私は一人部屋の隅で蹲っている。


そして、面倒事は重なりに重なるものだと思い知らされた。

なまじ金を持っていたせいか、私の家は常日頃から強盗や泥棒の類の格好の的になっていた。防犯システムは徹底していたつもりだったが、金に目がくらんだ愚尊の類はそんなものなどお構いなしに私の家へと突入する。そして、私は輩と遭遇してしまった。


「クソッ! 家の主がいない時間を狙ったのに!」


リストラによって帰宅時間を早めたのが、私の運の尽きだった。

ナイフを取り出す男。力づくで障害を排除しようとするその男の動きは、私が想像していたよりも遥かにシャープで、愚かと言わざるを得ない行動だった。


「グフッ⋯⋯!!」


私のビール腹に突き立てられるナイフ。

筆舌に尽くしがたい痛みと共に、襲い来るは走馬灯と舞い散る己の鮮血のシャワー。

その刹那私は、過去のまだ純粋だったころの私の姿を見た。毎日近所の友達と遊び、テストを家に持ち帰っては母によくやったねと頭を撫でられ、毎日笑顔を絶やさなかった私の姿。


「ああ⋯⋯醜くなったものだ」


視界がぼやけていく。意識は遠のき、現世からの別れを告げる時が来たと理解する私。

せめて来世は醜い権力闘争など存在しない、豊かな自然の中で羽を広げて生きたいものだ。

スーツなど着ず、こんな醜い姿を晒すことのない可憐で美しい花のような存在でありたい⋯⋯



=========================



で、私はこうなった。


成程、可憐で美しい花の様な見た目だ。

豊かな金髪に、透き通った緑の目。幼いながらも既に美女としての未来が確立された容姿。

豊かな自然に囲まれた美しい城の真ん中で、私は今日も踊りを踊る。


「いいわ、いいわよマリー! それでこそ、ライングレッド一族の長女に相応しい舞いだわ!」


料理、ピアノ、勉強、ダンス、取って付けた程度の剣舞。

絵に描いたようなお嬢様生活。そして、それを難なくこなしている私の器用さが嫌になる。

私はこの世界にて『マリー・ライングレッド』という名前を授けられた。


どうやら私は、ライングレッド王国という国に転生したらしい。

名前の通り、この国は私が生まれた一家が王族として統治している。そしてこの国の周りにはそれは如何とも説明しがたい危険な大国たちが多数、それもライングレッド王国を挟むようにして存在している。この国の自然豊かな平和は、本当にギリギリの開戦一歩手前で踏みとどまる状態でキープしているということだ。


なお、この世界には物騒なことに魔法という概念が存在してしまっている。

現代であれば銃火器の類で城壁が塵と化すまで戦うのだろうが、この世界では魔法でドンパチやるのである。当然戦争にとなると、炎の龍やら氷の大山やらが乱れ飛ぶ阿鼻叫喚になるらしい。

実に物騒だ。そんなものに巻き込まれては折角現世の記憶を持って転生するという奇跡を体感できているのに、ほんの10年程度でその奇跡も終わってしまう。


何故私がこの世界に、それも世界観の全く異なる前世の記憶を持って生まれたのかは分からない。

だが、一つだけ分かっていることがある。それは、私が普通ではないということだ。

踊りの稽古を終え、私はこの日最後の授業へと向かう。


それはこの世界の人間なら全員が必須としている教科。

『魔法開発』の時間である。


「では皆さん⋯⋯杖を持ちましょう」


その場にいる全員、私も含めた全員が一メートルくらいの木の棒を持つ。

その先には青色の宝珠のようなものが付いている。ここに魔力を注ぎ込めば、魔法が具現化されることによって魔法の行使が可能になる。


「あら、今日は小さい炎を出せるようになったのね。偉い偉い」


優等生の部類に入る少年が、そう言われて教師に褒められている。

このクラスは10歳に対応したクラスだ。魔法を行使できるだけでも満点評価だし、ましてや炎を出せるとなればそれは最早天才児の名を欲しいがままに出来る快挙だ。その評価に違わず、彼は採点シートに満点であることを示す星印が書き込まれた。


「では、次はマリーさん。やってみてください」


さん付けで私を呼ぶ教師。

それは私が王族に属するからという安直な理由ではないだろう。顔は強張り、心なしか使い古された彼女の持つ杖がカタカタと震えている。


『エラ・フアルフアーレ』


私は呪文を唱えた。

この世界でエラとは『最上級呪文』の意。

フアルフアーレとは『炎龍』のことである。


そして私の杖から、爆炎と共に巨大な炎の龍が現れた。

腰を抜かす教師。年甲斐もなく失禁する様は正直見てられない。

どういうわけか、私は真性の無宗派主義者の分際で神に愛されてしまったらしい。私の体には莫大な魔力が内包されていた。前世の記憶はそのおまけの様な感じらしい。


「消えなさい。鬱陶しいですわ」


10年の歳月で中途半端に身に付いたお嬢様口調で私は龍に命じる。


するとボン、と煙をたてて消え去る炎龍。

それを見送ると、私は教師に採点シートを投げ渡した。


「採点は?」


「ま、ま、満点です⋯⋯」


小さい火の玉を出して満点を貰えるなら、私は一億点くらい貰えてもいいんじゃないか。

そんな本音を飲み込みながら、私はドレスを広げながら恭しくお辞儀する。

サラリーマン時代の記憶があって助かった。取って付けた営業スマイルを顔に張りつけ、私は教室を出る。出来が良い生徒を演じることが、この世界を生き延びる一番の近道だ。


「マリー。今日のお勉強はどうでしたの?」


家に帰れば、母からそんなことを聞かれる。

因みに母の名はメアリ。母とは呼んでいるが、前世の記憶も込みで考えると母というより娘である。なお彼女は自我を持った二児の子持ちなのにまだ32歳である。兄を生んだのが16歳の時だと考えると、やはり異世界は子を産むという概念が一般世界よりも早めに設定されているようだ。


「問題ありませんわ」私が言うと、彼女はそれ以上は何も言わずに私の頭を撫でる。

何でも、私は既に人生の計画を父と母によっておおよそ決められているらしい。あと5年もすれば、私は政略結婚という形で大国の皇子の元に送られる。愛を育む幸せな家族などではない、小国であるライングレッド王国が大国に差し出す言うなら『人質』である。


人質である私がどれ程勉学に優れていようと、魔法に優れていようと関係ない。それは日々踊りを叩きこまれる教育方針からも透けて見える。ようは後々結婚するであろう皇子が退屈しないように踊りを覚えさせて料理も出来るようにしておこうという、私を『体の良い玩具』に仕立てる必要性があるということだろう。


私は演じる。来る日も、その次の日も女優になったつもりで演じる。

兄に、父に、母に、ひたすら『可愛い女の子』を演じ続ける。

それが一番波風立たない形で、目標を成し遂げられるから⋯⋯


「おい、大人しくしやがれ!!」


そんな私は今、むさくるしい男どもに担がれて馬車に乗って疾走している。

まあ疾走というより失踪。ぶっちゃけ言えば、誘拐だ。


「ライングレッド家に、娘を返してほしければ1億ゴールドを持ってこいと伝えろ!」


私は城郊外の庭を歩いている時に、彼らに誘拐された。

無作法にも胸元を鷲掴みにし、ほんの少しだけ盛り上がった双丘を縄でグルグルに押しつぶして体を拘束したのは恐らく山賊たちだろう。よく見れば、お尋ね者のリストにこんな顔がたくさんあった気がする。あった気がするだけで、それが彼らだったかは覚えていないが。


「兄貴! コイツはどうしますか?」


「頃合いを見て殺せ。暴れられると面倒だ」


交渉をするなら、人質の生かしておくのはマストだと思うのだが。

どうやらこの男どもは、異世界特有の学の無さ故に最低限の知識も持ち合わせていないようだ。いや、それとも、ノコノコと人質を返しにくれば容赦なく殺されると分かっているのかもしれない。だとすれば厳しいこの世界で犯罪一筋で生きてきた第六感が仕事をしたということだろうか。


そして山賊が持ってくるのは巨大な斧。

ギラリと光るそれは、私の首に振り下ろされるのだろう。


「殺せ。今すぐだ!」


手下の一人が、私目掛けて斧を振り上げる。

やれやれ、私の第二の人生もここまでか。


と、言うとでも思ったか?


「ギャアアアアアアアアッッ!!」


十字の閃光と共に、斧を持つ山賊の体が一瞬でズタズタに切り刻まれた。


「もううんざりだ。私は私の覇道を往く」


女の体を得れば心も女になると思ったか? 勘違いも甚だしい。

私をただの少女と思うなクズめ。肉体は幼かろうと、頭は現代社会に毒されて歪んでいるのだ。


私の手には、半透明の鋭利な刃が纏われている。

これはハンドブレードといい、私が独自に編み出した魔力を原材料とした刃だ。

そしてまるで鞭のように刃を拡張して周囲一帯の敵をみじん切りにする技も同時開発し、これは『ハンドブレード・零式』と名付けた。


奴らが巻いた縄など、とっくの昔に魔力で生み出したハンドブレードで切り捨てておいた。

そして不用心にも胴をがら空きにして斧を振り上げてくれたのでな。私の編み出した魔法、ハンドブレード・零式で胴を真っ二つにさせて頂いた。

臓器をブチ撒け、馬車から転落する男。驚いているようだが、私の射程範囲に入った貴様らを生きて返す気は無い。


「せめて、祈る時間だけでもくれてやる。さあ死ぬ準備は出来たか?」


零式を振り回し周りの山賊(クズ)共を斬る瞬間、私はまるで言葉に出来ない快感を感じていた。

女の体の中心から溢れ出る至高の喜び、飛び散る臓腑がまるで願い事をのせた流れ星のようにキラキラと輝いて見える。

そして残る最後の山賊を見る私の顔は、山賊にどう映っていたのだろう。


「あ、あ、アアアアアアアアアアアアッッ!!」


その恐怖に満ちた顔。地獄の業火に焼かれるような絶望の表情。

私が求めていたものがそこにある。役に立たぬ社員を、それも妻子持ちの幸せな一家の主を左遷してやった時のあの絶望的な顔を見た時の様な気分だ。

気が付いた時、私の下着は尿ではない何かによってビチャビチャに濡れていた。


「アハハッ、アハハハハハハハハハハ!!」


笑いが止まらない。これだ、これが私が求めていたものなのだ!

私は究極の快感に身を包まれながら、最後に残った山賊を切り刻んだ。


血に染まった大地と、生の気配の消えた馬車。

私は、マリー・ライングレッドは一人そこで立っている。


「神よ。貴方が私をここに呼び寄せたのは、こういうことだったんですね」


恵まれた魔法と、歪んだ前世の記憶。

そして、儚げな少女の体と王族の地位。戦国時代真っただ中の時代。


「いくらでも、殺しが肯定される時代!! いくら金を積んでも得られなかった異世界(ヘブン)だ!!」


ぽたりぽたりと、下着から垂れる雫の冷たさを感じながら私は雫を指ですくってペロリと舐める。

ここに来たのは前世で得られなかった生の喜びを知るためだ。かつて私が身を委ねていた『勝利欲求』以外の私の中に秘められた欲求、『殺人欲求』が目覚めた瞬間であった。


「異世界よ! 私をもっと楽しませろ!」


私はマリー・ライングレッド。元エリートサラリーマン。

今日私は、新たな人生を歩みだした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ