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短編集

句読点の呼吸

作者: 白鳥加寿彦

 あんたの書く話は筋はおもしろいけど、読みづらいとお姉ちゃんに言われた。

 自分でもそう思う。お姉ちゃんの文はすらすら読めるのに、なにが違うのかわかんない。お姉ちゃんに言わせればあんたは本を、読まないからだよってことらしいけど。でもそれはちょっと違うと思う。

 たしかにあたしは本を読まない。だけどお姉ちゃんが書いたお話は、大好きで何回も読んだもの。

 大学で児童文学研究会に入ったのは、お姉ちゃんがいたっていうこともあるんだけど。あたしでももう少し読書するようになるかなとか、作文上手になるかなとか、そういう思惑があった。で、本はちょっと読むように、なったけど文章力は相変わらず。鼻じゃなくて口で息をしているみたいって、お姉ちゃんは言う。はあ、はあ、ってこと?

 そういえば高校のときにも先生に注意されたっけ。句読点の打ち方に気をつけましょうって。だから一文が長くなるときは半分くらいのところで読点を入れるようにした。

 今の「だから一文が長くなるときは半分くらいのところで読点を入れるようにした」だと、どっちだろう? 半分の前? くらいののあと?

 日本語って難しい。

 いっぽう。お姉ちゃんも誉めてくれたけどあたしの、アイディアっておもしろいらしい。子どものころにお姉ちゃんが、書いたお話の原案はいつもあたし。お姉ちゃんは自分で考えたお話は、ありきたりでつまらないんだって。できたお話をお母さんに見せると、あんたたちは二人で一人前ねって笑われた。

 高校生のときは演劇部の友だちに、台本を書いてなんて言われたっけ。ああ、あたしは帰宅部なんだけど、その友だちが演劇部員ってことね。うちの高校の演劇部は伝統的に、オリジナルの台本でやってるんだって。

 台本なんて書けないよって言ったらいつも、しているおもしろい話を台本にさせてくれって。それはオッケーした。書くのはヨーコちゃんだし。公演を観に行ったけど結構おもしろかったな。

 タイトルはなんだっけ。そうそう、ケイトとハリーの洋裁店。ケイトとハリーのどっちを先に、持ってこようかってヨーコちゃんが悩んでた。

 お話はね。ケイトは編み物、ハリーは刺繍が得意なの。ずうっとずうっと昔からやってるお店で、いろんな服をたくさん作ってきた。ある日のこと、破れたウエディングベールを持った、女の人がやって来て直してくれって言うの。このお店で買ったものだからって。

 それで、それで、で‥‥た、た、た。


 お姉ちゃんはなんで研究会に入ったのって、訊いたら児童文学ってすてきでしょって答えた。ふつうの、大人用の文芸書じゃだめなのって訊いたら、それもいいけど、児童文学には児童文学の魅力があるのって。

 それを訊いたのはあたしが高校生のときだったなあ。夏休みだったと思う。お姉ちゃんが東京から帰ってきて、一週間くらい実家にいた。夕ご飯のときにお母さんが大学生活はどう。って話を振ったら児童文学研究会に、入ったよってお姉ちゃんが言ったの。それで今度はあたしが訊いたの。

 そのときはふうんって思っただけだった。だけど口で息しているみたいとか、先生にも注意されたりしてちょっと考えた。本を読まなくちゃなって。それで難しい本はいやだけど、子ども向けの本ならきっといいと思った。

 でもね。お姉ちゃんと同じ大学に入って。あたしは気づいちゃった。お姉ちゃんはあたしが真似すると、思ってそう言ってたんだろうって。なんでっていうとお姉ちゃんはどこで、アルバイトしていたのって訊いたときに嘘をついたから。

 お姉ちゃんは嘘が下手。嘘をつくときはいつも、変なところで息継ぎをする。

 でも騙されてあげることにした。そのほうがいいと思ったから。どっちにしても本は読まなきゃって思っていたし、アルバイトも家から近いほうがいい。お姉ちゃんがここって言うからには、安心できるお店なんだろうとも思った。実際すごくよくしてもらった。

 でも彼氏だけは失敗だったな。お姉ちゃんのあずかり知らぬところであたしが決めたんだけど。植田先輩。いい人だと思ったのに、騙されたー。

 なんでいい人って思ったかというと。児童文学が本当に好きだったの。ふつうの文芸書となにが違うのって訊いたら丁寧に教えてくれた。

 児童文学は子どもが読むものだから。だけどそれは子供だましという意味ではない。善悪がはっきりしている。喜怒哀楽がわかりやすい。だけどわかりにくいところもあって考える余地がある。わくわくして楽しんで読める。夢があって創造力をかき立てる。そして易しくも正しい日本語で書かれている。よい児童文学というのは実にハードルが高いんだよと先輩は力説していた。

 それから仮に子どもができたとして、読ませたいのはどっち? と本を二冊渡された。一冊は銀河鉄道の夜でもう一冊はこころ。どっちも名作だよと先輩は付け加えた。あの本どうしたんだっけ? ‥‥た、た、た。


 とにかくね、熱心で真面目ないい人なんだなって思ったの。あんなくそやろーとは思わなかった。あたしも軽率だったんだけど。でもお互いによかったと思う。あたしと別れたあと植田先輩は、会社の後輩さんと結婚した。二年つきあったって。で、結婚する直前に二人でうちに来た。お嫁さんとはもちろん初対面。

 なんだろうって思ったら、あのときは申し訳なかったって。

 あのときっていうのは要するに、あたしが浮気したって勘違いしたこと。社会人になってすぐのこと。生理が来なくって妊娠したかもって告げたとき、本当は結婚しようって言ってほしかったのに、先輩は考えさせてほしいって言った。疑われているなっていうのは察知したけど、後ろめたいことなんかなかった。その反応がひたすらショックだった。

 結局、生理が遅れていただけだった。ホッとした。だってあたしを信じてくれない人とは結婚できないし、そんな人の子どもも産みたくないもの。

 あ、なんか今のかんじ、いいかも。ちょっと読みやすいんじゃない?

 そうそうそれで。別れたあと。どうしてかわからないけど先輩は、会社の人にいろいろ訊かれたみたいだった。あたしは会社の人と親交はないんだけどなんでだろう? とにかくそれでいきさつを、話したら女性社員に非難されたそう。叱られて女性の体に関する本を薦められたんだって。

 読んで考えて、もういっぺん女性社員に叱られて、反省したって。

 くそやろーだったけど、今は幸せみたいだしよかったなって思う。あたしもこうして幸せになれているしね。反省したんだ。思いこみで行動するのはやめようって。まずは確認しようって。

 思えば植田先輩は慎重だったんだよね。植田先輩がなんとかかもしれないっていう話を、するときはいつもそのとおりだった。あるていど確認を済ませていて、きっとこうなるからそのつもりでいてね。ならない可能性もあるけどねっていう。だからあたしがあんなことを確認もしないで、言っているなんて思わなかったんだろうね。

 いい勉強になったけど軽率だっ‥‥た、た、た。


 なんの話だっけ。

 植田先輩と別れたくらいにお姉ちゃんがいきなり自費出版するって言い出した。読ませてもらったらおもしろかったんだけどあんたが昔話していた、アイディアを借りたよって言われてもやもやした。著作権の侵害じゃない? って言ったらあんたは、著作してないでしょうって。アイディアに著作権はないんだよって。

 そんなのずるいって言ったらお姉ちゃんは、ニヤニヤして共著ってことにするよと言った。だからあんたのペンネームを考えなって。売れたら売り上げは分けるからさって。

 それなら早く言ってよね。それであたしは花野パンジーになった。じゃあってことでお姉ちゃんは花野デイジー。すごく盛り上がった。親や親戚に触れ回って友だちも買ってくれた。みんなおもしろかったって言ってくれた。うれしかった。

 ‥‥そういえば売り上げ分けるって言ってたのにもらってない!

「あれは全部売り切れなくて赤字だったんだよ。言ったでしょ」

 そうだっけ? ああなんかそんな気がしてきた。半年くらい経ってどうなったって、訊いたらもう少しで元が取れるって。おもしろいからってそうそう売れるわけじゃないのね。世の中甘くないわ。

 在庫は今も出版社の倉庫にあるらしい。書店にはもう置かれていないけど注文したら取り寄せできるんだって。でもそんな本があるなんてだれがどう調べられるんだろう? 作者や読んでくれた人がブログとかでオススメして、こうこうこうやって買ってくださいって言ったらいいのかな。

 試し読みみたいに最初のほうだけちょっと書いて。ネットショップのリンクを貼って。それならお手軽でいいかも。できるのかな。

 あたしのアイディアとお姉ちゃんの文章。傑作。タイトルはなんだっけ。死んだ人を閻魔大王が裁くんだけどそれがすっごく適当なの。

「DJえんまとさばきの列」

 そうそうそれそれ。主人公は二十代半ばのOLで結婚を、目前にして事故で死んじゃうの。それで閻魔大王に裁いてもらうために列に並ぶんだけど地獄行きって言われちゃうのね。でも納得できなくて自分をいい人だって、証言してくれる人を待ってそこに居座るの。で、同じように待つ人はほかにもいてそういう人たちと、いろいろおしゃべりしながら自分の人生を振り返るみたいな。

 思ったんだけどちょっと怖いお話なのに、著者名がかわいすぎる気がする。児童文学のわりに暗いし。夢がないし。閻魔大王のキャラはおもしろかったけど。次にやるときはもっとかわいいお話がいいなあ。

 どんなのがいいかなあ、あ、た、たたた。


 児童文学といえばあれが好き。劇場に女の子が住んでて。小さな女の子なのにみんなから頼りにされてるの。それで、ええっと、そうそう、時間泥棒。なんだっけ?

「ミヒャエル・エンデのモモ?」

 そうそうそれ。モモかわいいよね。決めた、女の子ならモモにする。

「ローズかリリーにするって言ってなかった?」

 しない。モモにする。モモ、かわいいもの。いい子だし。モモ。ぜったいモモ!

「うん、それがいいよ。すごくかわいい名前」

 だよね、モモにする。キイくんも賛成してくれると思う。あ、た、た、た。痛い! 痛い痛い痛い!

「落ち着いて。はい、ヒ、ヒ、フー」

 ヒ、ヒ、フー。ヒ、ヒ、フー。あた、た、たたたたた!


   * * *


「なんか陣痛のあいだ、頭のなかが文章でいっぱいだった」

「うん、あんた、ずっと変なこと言ってたよ」

 お姉ちゃんが笑う。もう、恥ずかしい。

 もうすぐ冬。室内は暖房が効いて暖かいけれど、窓の外では、最近まで青々と茂っていた木が枯れた葉をぶら下げて寒そうにしている。妊娠を知ってから八ヶ月。あっというまだったなあ。

 産気づいたのは昨夜遅く。キイくんには連絡したけど、すぐには戻れないって返事。わかってたけどね。臨月の奥さんがいるのに大阪まで出張とか、ホントひどい。キイくんも断ればいいのに。まあ小さい会社だし、仕方ないか。代わりにお姉ちゃんが付き添ってくれた。感謝感謝。

 でも寂しい。キイくん早く帰ってこないかな。

 産まれてみればお医者さんもびっくり、予想に反しての男の子だった。これから名前の考え直し。ふにゃふにゃな体、すうすうと静かな息づかいがいとおしい。

 いつかこの子が、あたしたちのお話を読んでくれるといいな。

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