ドラキュラの使用人と美少年
少年は、美少年と呼んでギリギリ差し支えのない程度の顔であった。そんな彼を凶行に走らせたのは、高すぎる自尊心と自意識である。
「私をお呼びです……よね?」
「やっぱり! 本当にいたんだね!」
「いや、確実にいると思っていたから、こんなことしたんですよね? 美少年Cさん」
少年は唐突に暗闇から現れた――――まるで古典映画のメイドのような服を着た――女に驚きはしない。だが、ひどく興奮していたので、自身がCと呼ばれたことには気がついていないようであった。
「僕を美少年と認めてくれるんだね!」
「……過剰、ですね」
黒髪を後ろで束ねたメイド服の女は、銀縁の眼鏡を取り外しエプロンで拭いてまたかける。
「僕を、僕を眷属にしてよ! ヴァンパイアさん」
「あ、そういうことですか。それなら二点、お話が」
期待に満ち溢れた瞳を見返す瞳は、冷たい。そして、少年にはそんな事に気を回せるほどの余裕は無い。(彼は今、夢を叶えようとしているのだから。)
「私達のことを呼ぶ時は、ヴァンパイアではなくドラキュラと。我が主はヴァンパイアという呼び名が嫌いですから」
「わ、わかりました。でも君たちはあのドラクルではないんですよね?」
思わず敬語になってしまったのは、女が見せた一瞬の威圧のせいである。だが少年はそれを(潜在意識でベルでは反応していたが)認識するほど賢くはなかった。
「そうですね。よくご存知でないくせに、よくご存知で」
はぁという小さなため息も、少年は見落とした。
「あと、私に噛まれても眷属になれませんよ? 私は少々特殊な吸血鬼なので」
「え……じゃあ、ここに来てくれたのは……」
「信憑性の高い噂に聞いた私を呼び出すために、糞みたいな殺人を繰り返したあなたを殺しに」
「ふふ……あは」
殺すと言われた少年は怯えることなく、こみ上げた笑いを隠すこともなかった。
「厨二病というやつですか」
「あははは、僕が何の対策もしてないとでも?」
「はぁ」
学生服のボタンをゆっくりと外し、見せつけた裏地には無数の十字架。
「これはね、全て然るべきところで浄化してもらった由緒のあ――あ?」
「あの次は、い」
「い、いいいい痛いいいいいいいいいいいいいいいい!」
鈍く聞こえたその音は、女が少年の脇腹に手を添え肋骨を握りつぶした音。
「十字架、流水、故郷の土。そういう制約は受けませんよ私は?」
「なっ、なんで!」
「先日ある小説を見つけたんですね」
裏地から銀色の十字架を一つ引きちぎり、まるで菓子をつぶすかのように軽々と歪な金属塊にしてみせた女は、倒れてしまった少年の顔を覗き込むように背を丸めた。
「流水を渡るってタイトルなんですけど、ああ、出版されるようなものではなく、どこぞの誰かが趣味で書いたような」
「はぁっ、はぁっ……」
「なかなかおもしろい小説だったんですよ。試験管の中で作られたドラキュラと人間のあいの子が、人間の悪いところとドラキュラの良いところだけを合わせたような怪物の話で」
ズキズキと痛む、折れた骨。その痛みを増長しているのは、大きく脈動する心臓の音か。
「な、なんの話を……」
「なにって、小説の話です。よくできてるなぁって、空想にしては私のことよくわかってるなって思いませんか? 偶然の一致? それとも、人間の奥底にある概念の影響?」
「あ……」
首筋に噛み付いた女と、快楽に震えた少年。
「あ…………ぼく……の血……」
「ほらね、吸われても気持ちが良いだけで人間のままでしょう?」
「ぼ、僕は吸血鬼に……」
「なれません。さて、そろそろあなたを本当に欲しがっている人が、ここに来ますよ」
鍵を破壊する音、その直後に部屋に入ってきたのは金髪碧眼の女である。
「ヨウコ、よくやった」
「こんばんは、エーデルワイスさん。よくやったって言葉は撤回したほうがいいんじゃないですか? 私は間に合いませんでしたから」
金髪の女は黒髪の女をヨウコと呼び、黒髪の女は金髪の女をエーデルワイスと呼んだ。そのどちらも本名である保証はないが、彼女たちの間ではそれで充分なのだ。
「そうか。それは残念だ」
「ぼ、僕を……逮捕する気だな!」
「あら、賢い子ですね。私達の関係バレちゃいましたよ?」
ヨウコは少し嬉しそうにそう言った。
「ぼ、僕を逮捕したら……公表してやる! 警察と、吸血鬼が手を組んでると!」
「心配するな、私達は警察ではない」
「な、ならそれもだ!」
「好きにすればいい」
冷たくあしらうエーデルワイスを見て、ヨウコはさらに嬉しそうな顔となる。
「美少年C、気をつけたほうがいいですよ? あんまりバラすバラすと言ってると、エーデルワイスに脳をビリビリやられて馬鹿になっちゃいますよ? その人達、人権損壊が得意なんで」
「誤解を生むようなことを言うな、私達は人間のために働いている」
「あら、そうですか。じゃあ、権利は?」
その質問に、エーデルワイスは答えない。そしてその態度がどうも具合が良かったようで、ヨウコは大口を開けて笑い出してしまった。
「あ…あ」
少年が心底怯えてしまったのは、突きつけられた事実のせいだけではない。ヨウコの笑い声が、ゲタゲタと笑うその声が――――あまりにも人間らしくなかったから。
「じゃあ、もうひと吸いさせてもらいますね」
「うあ……」
「殺すなよ。そいつの被害者の――」
「わかってますよ。ただ、恐怖で血が濃くなったので少しもらっておこうかと。主が喜びますから」
口元からとろり垂れる血液が、床に落ちて跳ねる。
「あ、そうだこっちのほうがきっと怖がって――――なんのつもりです?」
「貴様こそなんのつもりだ」
部屋の奥に転がる、少女の死体に近づいたヨウコの後頭部に銃が突きつけられた。
「死を冒涜するな」
「またまた、それっぽいこと言っちゃって。偉い人の娘だから、傷をつけたくないだけですよね? 死んでるのに」
「それ以上近づくな」
「はいはい。エーデルワイスは冷たいですね」
諦めたヨウコは両手を上げて振り向き、銃口におでこを押し当ていやらしい笑顔を見せた。
「この世には、あなたはおかしくないですよと言われて楽になる人と、あなたはおかしいですよと言われて楽になる人がいるんですね」
「それがどうした」
「その少年、自分がおかしいってことに誇りをもっちゃってますから、育ててみたらいかがです? 殺しも平気なようですし」
「人間みたいな意見を言うな、化物め」
ヨウコはまたゲタゲタと笑う。この場の全てをどうてもいいと笑い飛ばすかのように、ゲタゲタと。