雨雲が一つ
いよいよ部活が始まる、熊五郎の目に映るのは雨雲だった。
9
部活の申請は滞りなく決定して、週三日のクラブ活動が開始となった。
部は正式に認められたので、部長であるサトが了解して申し込めば部員になれる。
その第一号は、伊集院 学だった。
美奈香も到底運動とは無縁そうで面倒臭がるかと思われたが、やる気満々でピンクのジャージに着替えてやって来た。
「このジャージ、かわいいでしょう~?渋谷で買ってきたんだよ~~」
呆れた顔でサトが、
「学校の部活なんだから、学校指定のジャージ着てもらえますか?」
「とりあえず、今日はそれでいいんじゃないですかね?初日だし。僕も指定のジャージまだ買ってなかったんで」
伊集院 学が濃紺のジャージで現れてにっこり笑った。
そうか、伊集院 学は転校してきた生徒だったな。
サトは頭の片隅にあった記憶を思い起こした。
なんで陸上部発足と同時に入る気になったのかな。
頭も良くて女子には人気があって、運動もできる。
そんなに陸上やりたかったのかな。
人数もいないし顧問もたいした事ないから、期待されても困る。
下校途中の女子たちが、学のジャージ姿を発見して立ち止まっている。
「そう、そうだよ」
安奈がサトのジャージの袖を引っ張りながら言う。
「う、じゃまあ、今日は特別という事にして。始めましょうかね」
教師の須田は誰もいないので引き受けただけの顧問で、そもそも運動音痴なので側に立っているだけで、サトにすべて任せているようだ。
「とりあえず、ストレッチとランニング」
みんな、ストレッチをして走り出した。
縮こまった筋肉が、気持ちよさそうに手を広げて息をしているのを感じる。
走り終わると白線を引いて短距離走を何本か始めた。
サトも安奈も、そして伊集院 学もかなり速く、その中で恐ろしく遅いタイムなのが美奈香だった。
「走ったのって、何年ぶりかなぁ~~まいっちゃうよ~~」
珍しく、弱音を吐いていて疲れた様子だった。
こいつは走れるのかな?
ノリで入ってきただけなんじゃないか?
サトは横目で美奈香のゼイゼイ言っている姿を眺めた。
取りあえずの人数集めだからな。
仕方ない。
熊と翔と陽介は、トラックの見える廊下までやってきてその様子を眺めて、ため息を漏らしていた。
「ありゃ、だめだな」
「走れっこないじゃん!菓子ばっか食ってっから脂肪ついてんじゃね?」
「いつまで続くか、かな」
眺めながら熊五郎が、ふと気がついたように言った。
「あの、小さい二人、いい感じなんだったよな?」
「あ、そうね」
「たぶん、だとするとサトと一波乱あるかな」
陽介がメガネを押し上げながらどこか、遠い目をして考えている。
サトと安奈の仲が良いとしても、なにかしら変化があるのかもしれない。
熊五郎は楽しそうに走る安奈を眺めた。
「なぜ、安奈は陸上部を作ろうと思ったのか」
「うーーん」翔がうなる。
「二人を仲良くさせたかったのか?」
熊が聞く。
「そうか、二人が仲良くなったところで、付き合ってます、ってバラす感じ?」
水色に金のロゴの入ったTシャツの翔が手を打った。
「サトちゃんがそれで、はい良かったね、なんて言うかって事だけどね」
難しい顔の新城陽介。
「ちょっと、まてよ~美奈香もいるから、ややこしくなるんじゃね?」
翔の言葉に
「う~ん」
「かも」
三人はトラックから顔を上げて、複雑な表情でお互いを見てため息を吐いた。
空は抜けるように高く遠くの方に大きな雨雲が一つぽっかり見えた。
湿った風が窓から校舎に流れ込んでくる。
一雨やってくるかな。
熊五郎は、思った。