11話
暑い……何でこんな暑いの……まだ五月下旬じゃん……アレス様や他の神を目撃して以来、男の情報も碌に掴めず、ボス達の気も立っていた。
そろそろ部下を従えて街に攻撃を仕掛けそうな勢いなので今日中に見つけ出さないと……ふっと、霊力を強く感じた。此れは、悪霊の気配?
辺りを見回しても、其れらしい影は見当たらない。誰かに乗り移った?注意深く警戒し乍ら歩いていると、すれ違った少年に強烈な違和感を覚えた。
其れと同時に、事故現場で感じた妖力とも酷似しているのに気付く。僕は足を止め、少年を見つめる。ドクン、と鼓動が早鐘を打つ。
ああ、漸く見つけた。ずっと探していた、ずっと会いたかった相手が、目の前に居る。自然と口角が上がる。僕は持っていたスマホでボスに電話を掛ける。
「ボス、例の男……少年を見つけました」
電話口の向こうで、ボスが色めき立つのが分かった。一ヶ月も彼に振り回されたんだ。当然だろう。
『分かった。此れ以上野放しには出来ない。人目の無い処で始末しろ』
許可は取ってあるとボスは付け加えた。僕の声も、ボスの声も至って冷静だった。勿論少年に怒りが無い訳ではない。然し、怒りに身を委ねれば冷静を欠き、正常な判断をする事が出来なくなる。
故に僕らは冷静を保つ。任務を終えるまで。僕はボスとの通話を終えて、少年の方に足を向ける。未だ笑う少年を見て、腹わたが煮えくり返る。
君の所為で未だ目を覚まさない人が居る。君の所為で恐怖を植え付けられ泣いている人が居る。君の所為で沢山の人が傷付いた。
なのに如何して貴方は平気で笑ってられるの。段々と怒りは激しい炎へ変わって行く。少年に後一歩まで近付いた時だった。
人々の悲鳴が響き渡った。慌てて少年と距離を置き、悲鳴の原因を探る。逃げ惑う人々の間から、黒い炎を放つ男が視界に映る。
アレが原因か……!よりにもよってこんな時に悪霊が暴れ出すなんて……悪霊が暴れてるお陰で人は少ないから存分に霊能力で闘える。
そう思って悪霊の前に立ちはだかろうとすると、彼の少年が無謀に悪霊に突っ込んで行くのが見えた。明らかな自滅に呆れて居ると、少年が炎を操り攻撃を仕掛けた。
ふーん、多少は能力を扱えるみたいだね。少し感心し乍ら行く末を見物していると、悪霊が僕に目を付けた。
悪霊は僕に向かって走って来る。此の儘倒しても良いけど、少年に逃げられたら困る。僕はわざと悪霊に捕まった。
「其の子を離せ!」
勇ましく叫ぶ少年は、僕から見たら実に滑稽だ。悪霊に敗ける程、弱くもないし。
『此奴の霊力も吸い取って、俺は人間共に復讐してやる!』
死んだ霊が何言ってんだか。復讐する前に死神が迎えに来るって。僕はいい加減面倒くさくなって来たので、躊躇無く氷柱を悪霊の腹に突き刺した。
見ていた少年は相当驚いたのか、あんぐりと口を開けていた。マヌケな面だな……僕は服を払い、少年を睨む。
「あの、君は一体……其れに其の氷の塊は……」
戸惑う少年を無視して近付く。
「本当は悪霊に時間を取るつもりは無かったのに……」
「え……?」
目を瞬かせる少年。僕は冷たい視線を彼に向ける。僕から放たれる微量の殺気に気付いたのか少年は怯える素振りを見せた。
「元々僕の目的は貴方なんですよ。霊能力を悪用して此の街を荒らした、貴方を始末する為に」
僕の身体の周りから、勢い良く炎が噴き出した。其の炎は辺りを輪の様に旋回し、渦状を作り出す。
「さあ、焼死して下さい」
骨も灰にする程焼いてやる。其れに焼死体で見つかっても身元がバレる事は無いだろう。皮膚なんて残ってないのだから……
僕は炎を少年に放つ。ギリギリで避けた処を風で切り付ける。
「!?何、今の……!」
かなり驚いた様子から、戦闘慣れしていないのが窺える。僕にとっては殺し易いから手間が掛からなくて済む。そう思っていたら、彼も反撃に出ていた。
飛んで来る炎を避けると、直ぐ目の前に彼が居た。僕は咄嗟に水で自分を覆い隠し、一瞬だけ姿を消した。本当は目の前に居るのに、消えたと思った少年は空中で僕を探す。
「此れで終わり」
急に姿を見せた僕は、迷いなく氷柱を少年の胸に突き刺した。面白い程彼はふっ飛んで行き、地面に打ち付けられた。
でも気絶はしてないし、致命傷でも無い。さっさと殺すよりじわじわと痛め付けてから殺した方が僕の気分も晴れる。けれどボスに早く報告しなきゃいけないから、此処らで始末しないと。
僕は無数の氷柱を創り出す。焼死は辞めた。目立つし。折角人が居ないんだ。騒ぎになる前に此の少年を葬りたい。
僕は少年に手を掛けた。
けれど、少年を殺す事は出来なかった。氷柱を振り下ろす手を掴まれたから。茫然と見つめる先には、見知った人物が立っていた。
「やあ。久しぶりだね、蒼波君」
陽気な笑みを浮かべ、澪吏さんは僕に声を掛けた。けれど、僕には疑問が有り過ぎて直ぐには対応出来なかった。
如何して澪吏さんは此処にいる。如何して澪吏さんは僕を止めようとしている。道真一門にも、彼の捜索を依頼した筈だ。澪吏さんだって、事情を知ってる筈なのに。
僕は訳が分からず戸惑った。態度や表情には出ていないだろうけど。感情が表に出る事なんて滅多に無いし。けれど師匠である澪吏さんには僕の心情が伝わったのか、説明を受けた。
「蒼波君は、僕が君を止める理由が分かってないみたいだけど、此の書類を見れば凡て分かるよ」
澪吏さんに見せられた一枚の紙。其れは、雪星真永を道真一門に入門させる許可証だった。
「雪星真永とは、今地面に倒れてる彼の子だよ。処で、蒼波君はマフィアと道真一門との約束を知っているよね?」
其の言葉に手が震えた。そんな僕を見ながら澪吏さんは約束事を言ってみて。と云った。
「マフィアや道真一門に入った者は互いに協力し合い、互いの仲間を傷付けない事」
そう言うと、澪吏さんも続け様に言った。
「其れともう一つ大切な事。霊能力が暴走してしまった者については、一度だけ見逃す事」
澪吏さんの言葉に俯いてた顔を上げた。
「霊能力が、暴走……?」
そう聞くと、澪吏さんは頷いた。
「君達が追っていた彼は、故意に暴れていた訳ではなく、霊能力を制御出来ず暴走してしまったんだ」
澪吏さんの話が本当なら、僕らマフィアはもう彼に手が出せない。故意に暴れて街を荒らして悪霊や妖怪を呼び寄せたら処罰の対象になる。其れは道真一門も了承した。
けれど、制御出来ず力が暴走した時は、流石に其の人に責任は負えず、已む無く見逃す事になる。それに彼の少年は道真一門に入門した。道真一門に入ったなら、殺そうとしたら互いの関係に亀裂が生じる事になる。
其れはボスが一番避けている事で、僕らも常にそうしている。だからこそ、今此処で少年を殺せない。逆に僕がボス達に殺される羽目になる。僕は自分の中で整理が尽き、澪吏さんを見上げる。
「事情は分かりました。色々と聞きたい事が在るので後日彼を連れて来て下さい。ボス達も納得すると思うので」
結局僕は目的を果たせないまま、その場を去った。