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間接照明の向こうから、甘いテノールが響く。
「へえ、じゃあ逃げられたんだ?」
声音に怒りは感じられず、むしろ面白がっている雰囲気すらある。
さすが、余裕だねー。
下っ端どもがスプリンクラーに右往左往してる間、ずっとお楽しみだったみたいだし。
ボクもやっと着替えたとこなんだけど。
「そーなんだ。ごめーん」
まあそんな不満はおくびにも出さない。
「で、どうだった?アイツのお眼鏡にかなった奴は」
「可もなく不可もなくって感じ。あーでも背はあったなー。ちゃんと訓練すれば結構やるかもよ?」
「ふーん」
くすくす笑う女の子たちの声が耳障りだ。
しょーがねーか。
お客さんは大事にしないとね。
バカだとなおヨシ。
一回ハマればじゃんじゃん金をつぎ込んでくれるから。
頭を切替えていこー、商売商売。
「ねーねーお姉さんたち、一回だけこの“おクスリ”試してみない?」
あーあ。久々に猿渡クンに会いたかったなー。
「じゃあ、そのミツヨシくんて子助かったのね。よかった」
「うん。まあ学校はしばらく休むらしいけど」
臼井さんは優しいなあ。
やっぱあんな不良とは釣り合わないとしみじみ思う。
「それにしても乾くん、ミツヨシくんを背負って助け出すなんてすごーい!見直しちゃった」
「え?えへ、えへへ……そお?」
自然と口元がゆるむ。
ついでに告白の返事も見直してくれちゃっていいんだよ?
こーゆー小さな積み重ねが実を結ぶとオレは信じてるぜ。
「でもこんなやり方が通用するのも今回だけだろうね」
が、至福の時間は空気を読まない猿渡の一言で台なしになった。
「嫌なこと言うなよな、昨日みたいなことがなんべんもあってたまるか」
こちとらついこの前までフツーに学校行って、帰りは適当に友達とダベりながらコンビニに寄る毎日だったんだぞ。
それがいきなり不良の溜まり場に一人で行かされて、ヤク中にスプリンクラーに国家試験落ちた元医大生だぞ?
フツーの高校生活とかけ離れてるだろ。
「……てか、本当にケーサツ届けなくていいのか?」
「いい。というか届けるわけにはいかないんだよ」
「なんで?」
「それは……」
そこで言いよどむなよ、お前みたいな根性悪に言いにくそうにされるとこっちも身構えちゃうんだよ。
自然とオレも唾をのみこんだ。
「それは……?」
「失礼しまーす!!」
「うわッ」
いきなり背後のドアが開いて、数ミリ飛び上がった。
「えっな、なに?」
振り返れば昨日嫌ってほど見たオレンジ頭がいた。
「ミ、ミツヨシ!?なんでここにいんの!?」
「あ!総長いた!おはよーございます!!」
満面の笑みで元気に挨拶される。
今、放課後だけどな……。
「悪い。止めたんだが」
「針山……」
申し訳なさそうに針山も入ってくる。
ミツヨシは当然のように、ニコニコと気をつけの姿勢で立っている。
他校だろお前ら、先生はどうしたよ。
「と、とりあえず元気そうで何より」
「ハイ!全部センパイから聞きました!絶体絶命のオレを総長が身体張って助けてくれたって!総長は命の恩人っす!一生ついていきます!!」
「いや、そんな……」
どっちかつーと、敵対してたオレらに頭下げにきた針山のおかげだけど。
その針山もなぜか腕組みして深くうなずいている。
「これで二人は“Messiah”のメンバーだね」
「えっそうなの?」
「というわけで次の目標だけど」
「えっ目標?」
一応総長のオレを無視して話は進む。
「クスリの売買を邪魔する。流通を潰すんだ」
「クスリ?ってミツヨシが打たれたヤツか?」
「そうだよ。一応“seed”って呼び名はある。糸目が少し前に“cancer”に持ちこんで、最近チーム内だけじゃなくジワジワこの区域に広がってきてる」
猿渡が針山を見た。
「……売買なんてしてたのか……全然知らなかった……」
「たぶん、あの店を中心にやってるんだと思う。なにか見たり聞いたりしたことは?」
「いや……俺らは下っ端もいいとこだったから……」
針山は呆然としている。
そりゃそうだ、憧れの人のチームが犯罪行為してたんだから。
「蟹江は?」
「……蟹江さんはいつも二階にいて、めったに降りてこない。仕切ってるのは糸目だろ」
糸目か~、たしかに店でふんぞり返ってたしな。
ありうる。
てか。
「はい質問」
「はい乾くん」
「糸目が副総長だったりする?」
「いや」
ほぼ当たりだろうと思っての発言は、即座に否定された。
針山によって。
「針山……?」
「副総長は空席だ、蟹江さんがそう決めた」
きっぱり言い切られる。
糸目……アイツよっぽど人望ないんだな、空いてるならいるヤツがやればいいじゃん。
個人的にはそう思うが、口に出さないことにする。
なんか事情がありそうだし、せっかく仲良くなったのに針山とこんなことでケンカしたくない。
「……そうか」
神妙な顔つきもつかの間、メガネのブリッジを中指で押し上げた猿渡が言い放つ。
「……ところで、のどが渇いたな」
「は?ああ、うん」
「買って来てくれ」
「え、オレが?」
「そう、君が」
有無を言わさず、お釣りで好きなもの買っていいからと万札を握らされて追い出された。
オレ……総長なんだよな?
「なんかシャクゼンとしない……」
ぶつくさ言いつつ、校門を出ていちばん近くのコンビニに行く。
へん、なんだいなんだいオレを除け者にしやがって。
こーなったら全部使ってやらあ。
コーラにオレンジジュースに唐揚げにチョコポテチ肉まんカップラーメン……あと何があったっけ。
「まあとにかく、コンビニ行ったらいろいろあるだろ。たぶん」
適当に買いまくってやろうと自動ドアをくぐったときだった。
蟹江と鉢合わせしたのは。
「よ、奇遇だな」
「……?」
一瞬誰か分からなかった。
「俺だよ俺……忘れちゃった?わりかしショックだな、顔を忘れられるなんて滅多にないんだけど」
「あーっ、おま、蟹江……ッ」
ウソだろ。
コンビニだとこんな爽やかなのかよお前。
両手にお姉さんもいないし。
蟹江だと分かったとたん、頭のなかが真っ白になる。
ど、ど、どうしよう。
固まってしまったオレに、裏でクスリを売りさばいてる不良の親玉が気さくに話しかけてくる。
「……買ってかねーの?」
「えと、その」
「そこで突っ立ってると邪魔になるぞ」
「あっああ」
そう言われてしぶしぶ中へ入る。
本当は回れ右して走り出したい気分ではある。
ではあるけど、意外と逃げ出すにもタイミングってのがあるんだよなこれが。
「へーけっこう買うじゃん。金あんの?」
いちゃもんこそつけられなかったものの、カゴを持って移動してもしつこくつきまとわれた。
てか後ろから覗くのやめろ、お前はオレの彼女か。
「あ、このチョコ期間限定のだ。俺も買おっかな」
おう買え買え。背中から離れろ。
振り切るように店内の端から端まで回ったが結局蟹江は離れようとはしなかった。
「えーと、蟹江は買わなくてよかったのか?」
店から出てもまだついてくる蟹江に思いきって聞いてみた。
「ん?あーいいのいいの。俺はさ」
自然な仕草で肩に手が回り、首をつかまれた。
ぐっと息がつまる。
「お前を待ってたんだよ、乾くん?」
「……ッかは」
ずるずると路地裏に連れこまれる。
喉に食いこむ指の力が強すぎて、外そうにも外れない。
それどころか、そのままコンクリの壁に叩きつけられた。
いってぇ……頭打った。
「弱いなあ、こんなんで俺に勝てんの?」
「ぐ……あ……」
「何とか言えよ、なあ。勝てんのかって聞いてんだけど」
言えるわけねーだろ、首絞められてんだぞ。
「……あ゛っ」
もうだめだと思った瞬間、手が離される。
一気に空気が入って咳きこむ背中を、打って変わってさすられた。
「猿渡とつるむのは止めとけ」
「ゲホ、さ、猿渡?」
見上げれば憎しみに満ちた目がまっすぐに俺を見下ろしていた。
「アイツは必ずお前を裏切るぞ」
続く